騒音書簡1-36

2025年2月28日

あの頃の「極左暴力集団」の君へ

僕は我々の友人「N」の部屋にはとうとう行ったことがなかったが、後で君が同居していたと聞いたときは笑ったよ。驚きはいたるところにひっそり隠れている。それはランボーの言う「幸福の魔術的研究」を思い起こさせる。むしろそれは探求になったりしかねない。それにしても、風の便りだが、今でもNが健在なのは何よりだ。おかしなもんだねえ、時代というのは。はたして感慨はあったのだろうか。それはすでに傾いていて、緩やかに歩いていても、離れたところから見ると、それは急傾斜の坂道だったりする。ドイツ表現主義映画『カリガリ博士』の書割りのように幾何学的事象のすべてが、時間とともに、あるいは時間の埒外で、斜めにしか成立しない。僕がいつもラリっていたからではない。あれら独立した瞬間的風景は時間を締め出すのだ。

それはそうと、君のウェザー・リポートへの酷評はまったく同感だ。1970年だったか、神戸のジャズ喫茶KneeKneeではじめてマイルスの『ビッチェズ・ブリュー』とブリジット・フォンテーヌの『ラジオのように』を同時に聞いたときはぶっ飛んだが、同じ頃にその喫茶店でよくかかっていたウェザー・リポートには僕も何の感銘も受けなかった。退屈でしかなかった。今でもどんなフュージョンも性に合わない。ピアノを弾くからなのか、同じくよくかかっていたバド・パウエルとかセシル・テーラーとかマル・ウォルドロンとかを聞いているほうがまだよかった。そう、覚えているよ、『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』はいいアルバムだったなあ。チャールズ・ミンガスの音楽は「物語」的だなどと言われるが、僕はそうは思わなかった。僕にとっては、当時はやり始めていて、実際、誰が読んだのかわからない現代外国文学のように、「もう物語はなしだ」という感じだった。その端緒をつかむことができたし、その渦中に僕はいたのだから。前衛はすでに袋小路にあったが、殺人を含めた武装化までは決心がともなわず、それでも新鮮さはこんな風にしてまだ残存していた。感情的ではないし、それは「感情」ではないが、それでもなんか楽しい。「幸福の研究」の気配があるからなのか。あんな風にビ・バップとの断絶を演出し、その微妙であざやかな断面を演奏し、音楽的偽内容(あるいは真正の内容?)として延長しなければならない。君の言う「中性」性がそこに現れる。シンコペーション自体が後先のない真新しい断絶の様相を呈するように、演奏のそんな断片また断片を構想しなければならない。そして大胆な音楽的寸断が小刻みに行われるのだが、それは演奏者自身のうちで起きていなければならなかった。もちろんエリック・ドルフィーの介入的演奏がなかったらそうはならなかったかもしれないが、怒りっぽいミンガスの指揮者的編纂力ばかりか、ミンガス自身によるべース・ソロ部分や応答を聞いても、いうところの「物語」を持続させようなどとは考えていなかったことは明らかだった。そんな感じがする。同時に、ドルフィーのほうはいつも「外」にいるような気がしたが、ロックと違ってジャズバンドにはそのようなことが可能になる特徴があるように思った。でもミンガスのバンドがなかったらドルフィーはどうなっていただろう。そんなことも思う。ガキだった当時の僕は何もかもが一緒くただったので訳がわかっていなかったが、今ならそう言うことができる。

君はミンガスのことだけでなく、当時バルバラを聞いたと書いていたけど、驚いたよ。僕もまったく一緒。それって、なんだろうね、僕もマイルスやフォンテーヌと同時期にバルバラを聞いていた! 誰かに教えてもらったわけでもなかったはずだし、よく覚えていないが、バルバラだった。すぐにレコードを買った。毎日聞いた。古いやつと、新しいのは『愛の華』だったかなあ。バルバラはやばいと思った。あの美しいフランス語、ネイティブ・フランス人にも真似のできないフランス語の発音(ついこの間フランス人青年が僕にそう言っていた)。60年代の演奏ビデオを見ると、彼女がおかしなくらい変わり者であることがわかる。人前でも堂々たるもんさ。私生活の片鱗すらうかがえてしまう、生粋の変わり様。恋の歌をあんな風に歌うのは、もちろんブリジット・バルドーにもアンナ・カリーナにも無理だし、ジェーン・バーキンともフランソワーズ・アルディともバネッサ・パラディとも違うし、バルバラの「ゲッティンゲン」を歌うポムにも無理だし、男性であるボリス・ヴィアンにもブラッサンスにもレオ・フェレにもムスタキにもゲンズブールにもできないことは言うまでもないが、ある時期、彼女こそが僕にとっての女性歌手だった(もう一方には、ビリー・ホリディがいたが、全然別ものだった)。言葉のイメージとしては、まさに「禿の女歌手」だ。

鈴木創士



鈴木創士

鈴木 創士(すずき そうし)

作家、フランス文学者、評論家、翻訳家、ミュージシャン──著書『アントナン・アルトーの帰還』(河出書房新社)、『中島らも烈伝』(河出書房新社)、『離人小説集』(幻戱書房)、『うつせみ』(作品社)、『文楽徘徊』(現代思潮新社)、『連合赤軍』(編・月曜社)、『芸術破綻論』(月曜社)他、翻訳監修など

【Monologue】まだ腰が治りません。辛い。