騒音書簡2-33

2024年11月30日 市田良彦さま 近いうちに、ある本を書こうとしていて、僕もいやおうなく過去を思い出さねばならないのだが、なかなか思い出すことができない予感がしている。どうしたものか。今のところはまだ書く気がないので …

騒音書簡1-33

2024年11月28日 UnitPの首魁にして自らの「百二十日」を綴り続ける作家、鈴木創士へ、 このところのmy music lifeはますます混沌の度合いを増している。灰野敬二と森田潤の共作ときみたちのライブ盤を堪能す …

騒音書簡1-32

2024年10月31日 市っちゃん 君は君自身と対比して僕を「作家」だと言うが、じつは何も書かない(本を一冊も出さない)、何も書けない詩人や作家、つまりそれでも書き続けている「無名の」作家が(なぜなのかは永遠の謎だ)、あ …

騒音書簡2-32

2024年10月29日 0歳の音楽家へ、 ある故人を偲んで催された会合がそろそろお開きになろうかというころ、友人から一人の老人を紹介された。「ヨネさんだよ」。知っている人、知っているはずの人だが、半世紀近く見ていないその …

騒音書簡2-31

2024年9月30日 良彦さま 先日、京都ミングルという小さなスペースでユンツボタジと僕と二人だけの爆音デュオ・ライブをやった。京都デュオは、パーカッションとキーボードの二つのみだったので、我々としてもレアな感じになった …

騒音書簡1-31

2024年9月28日 鈴木くん、 ライブとアルバムは違う。前々葉を書いているとき、きみはそう答えるだろうなと思っていた。答えの説明については特段予想していなかったが。そしてぼくは言わば先回りして、それへの返答として前葉を …

まとめ220321

2022年3月21日 市田良彦さま ひどい空音に襲来されていた時期がある。空襲警報が鳴り響いた。カチカチ山が騒音に包まれ、ケツに火がついたみたいだった。まことの耳鳴りだったが、それは空耳と区別がつかないていのものだと感じ …

まとめ220328

2022年3月28日 鈴木創士 殿 創士に公開で手紙を書け、と佐藤薫から。あいつはもう最初の手紙を書いているらしい。おれはまだそれを読んでおらず、まさに今、おれからの最初の手紙を書きはじめている。レーベルのサイトを介した …

騒音書簡2-30

2024年8月30日 Sô-siどの、 ライブ空間を思い浮かべてもらいたい。「体験」は言わば流れだ。体験する「私」にとって、それは「すでにそこにある」。いつはじまったのかいつ終わるのか分からず、というかどうでもよく、「私 …

騒音書簡1-30

2024年8月29日 市田さま 「音楽とジェンダー」という「主題」にはまったく興味がないし、僕は女性だからといってべつにリスペクトするわけではないが、歌手の場合は女性と男性はまったく違って聞こえる。最近は男性歌手を聞く気 …

異言としての音楽、あるいは生成AI時代のアントナン・アルトー

異言としての音楽、あるいは生成AI時代のアントナン・アルトー 市田良彦 異言をさしあたり心理学的意味に理解してみよう。神か悪魔に憑依された者が突然話し出す、その者が知らないはずの外国語。あるいは、狂った人間が発する誰にも …

騒音書簡2-29

2024年7月29日 市田大兄 記憶というものは不確かである。そこに自分がいたかどうかも定かではない。私は思い出す。丘の上に月が昇っていた。私は月を見たのか、そして同時に見なかったのか。丘なんかなかったのだ。エニシダの小 …

騒音書簡1-29

2024年7月31日 スズキくん、 はて。カーラ・ブレイが僕のアイドルだったことはないな。アイドル視することは彼女と彼女の音楽に対し失礼な気がする。彼女が女であることは彼女の音の感性に関係していたのかもしれないが、僕には …

騒音書簡2-28

2024年6月29日 創士兄、 いやあ連載第27回、我々の27通目の手紙はようやく二重奏の真骨頂を見せましたな。喜ばしい。「経験」を主題に二つの旋律を同じ時間の中で絡み合わせている。オーネット・コールマンとドン・チェリー …

騒音書簡1-28

2024年6月30日 一夜ん 君のカーラ・ブレイ! 少し意外だった。僕は高校生の頃にジャズ喫茶で聞いて以来熱心に聴いたことがないので、彼女の音楽をよくわかっていないだけかもしれないが、何しろ君の「経験」なのだから興味深く …

騒音書簡1-27

2024年5月29日 おい、鈴木! 「おい、小池!」というフレーズを反響させつつ、音楽は「経験」だと言うきみに倣い、俺も自分の「経験」について語ってみる。この1ヶ月久々にカーラ・ブレイを、それも今回は初期から死ぬまでのほ …

騒音書簡2-27

2024年5月28日 良彦さま デスマス調は日本語のひとつのテクニックなのだから、それには気をつけなければならない。君の前葉を読んで、これは、ぜひとも「経験」等々について自分の考えを述べないといけないと思った。この反論は …

騒音書簡1-26

2024年4月30日 良彦さま 前葉で君の言う、“プルーストの言う「同じだが、違う」の正反対のこと”、つまり、はしょって言えば、「違うけど、同じ」なのだから、『レクイエム』全体はただ「一曲」だった可能性があるということ。 …

騒音書簡2-26

2024年4月30日 鈴木創士様、 前回のお手紙は実に貴兄らしい、というかミュージシャンらしい反応と拝読しました。つまり聞き手としては、「そうですか」とさしあたり言うほかない創作家の内的経験を語っている。「~は恐ろしい」 …

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SÔ-SI SUZUKI + JUN MORITA『LA MUSIQUE DE LA CRUAUTÉ 』
──2024年5月18日リリース! アントナン・アルトーに囚われた二人のアーティスト、鈴木創士と森田潤による『残酷の音楽』。 市田良彦の超解説付きCDアルバム。 SÔ-SI SUZUKI + JUN MORITA『LA …

騒音書簡2-25

2024年3月31日 市っちゃん、 前葉では、君はモーツァルト+森田潤の『レクイエム』をまだ聴いていないようだから、まずはその感想を待つことにしよう。 ともあれ、モーツァルトが18世紀の歌謡曲だという君の意見はおおむね認 …

騒音書簡1-25

2024年3月30日 森田くん、ついでに創士くんにも、、 ブハハ、思わず吹いてしまったよ。送られてきた森田版『レクイエム』のジャケ写を見たときには。前回書いてしまったことの残響-残像なのか、『昭和歌謡大全』? はたまた『 …

騒音書簡1-24

2024年2月29日 市田君 プルーストの「同じだが、違う」を見つけ出す絶妙さは、ほとんど無意志的であることを「装う」ように、突発的、あるいは、言ってみれば即興的(こちらは無意志的だ)にやって来るところにあるように思われ …

騒音書簡2-24

2024年2月29日 創士くん、ついでに森田くんにも、 ひょっとして、と思いつつひと月経ってしまった。ひょっとして森田版『レクイエム』が送られてくるのではないか、その感想がこちらからの書簡第24葉になるのではないか、そう …

騒音書簡2-23

2024年1月28日 市田さま 君にコルトレーン役を引き受けてほしかったのは、なにも君をコルトレーンのような精神的求道者にしたいわけではないし、君のことをまったくそう思ってもいないが、たまたまコルトレーンとドルフィーの話 …

騒音書簡1-23

2024年1月31日 創士くん、 観客として言わせてもらえば、演奏されているときにこそ、音楽は言語と見分けがたくなる、と思っている。客席からは、舞台上の君(たち)は自分(たち)と「語りあっている」ように見える。あるいはそ …

騒音書簡2-21

2023年11月28日 親愛なる良彦さま 「完全にってわけじゃない」けど、君が言うように、リズムが狂っている、あるいはリズムを狂わせるのは、自慢することではないが、僕のオハコかもしれない。いや、いや、もちろん自慢している …

騒音書簡1-22

2023年12月+28日 Mon camarade Yoshi, リスナーは怖い存在だけど、正直に言えば、敵に見えることがある。リスナーを憎んでいるわけではないよ。それならリスナー、観客とは、そもそも仮想敵なのか? だが …

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騒音書簡2-22
2023年12月28日 Sô-siへ、 僕がコルトレーン? 彼のことは、宗教的と思ったことはあれ哲学的と思ったことはないぞ。まあお前は隠れキリシタンだと言われたこともあるので、違いは微妙かもしれないが。それでも哲学的ジャ …

騒音書簡1-21

2023年11月29日 創士くん、 そう、リスナーは怖いよ。誉めるから。ライブ終わりに「最高!」なんて声をかけるのはまさに誉め殺しではあるまいか、とよく思う。そのときリスナーは自分がいかにお高くとまっているのか忘れている …