2023年10月28日
レディース・アンド・ジェントルメン、
みなさんに向けて今回は書きます。前回の鈴木創士からの手紙は「まだ」私に宛てたものとは受け取れません。アルトーの言葉を自分のものとして私に届けているわけではなさそうだし、自分の言いたいこともまだ書いていない。これをどう読む?と問われてもいない。まだ続きがある状態で私は言わば放り出されています。しばし待てと言われています。返信を禁じられているわけです。ここはアルトー論を展開する場としてふさわしくない、というより、それを切れ切れに私相手に行うのはほんとうにもったいないと思いますが、さような振る舞いを彼がしていることについては、私にもこの場でこそ言えることがあります。彼にではなく、レディース・アンド・ジェントルメンに向かって。
これが、あるいはこれもまた、私たちの主題であるノイズだ、と彼は身をもって示しているのです。ノイズについて書くのではなく、ノイズを実践してみせることで、論に代えています。私はやり取りのタイミングを外されました。そのことで読者-聴者にとってはリズムが狂った。このよう──私が今書いていることを皆さんが読み/聞いているよう──に。私がここでちゃぶ台返しをして、やり取りそのものを止めてしまえば、彼の振る舞いはノイズになることができず、下手くそな「ピリオド」になったでしょう(佐藤薫の困った顔が眼に浮かぶ)。その意味では私が、あるいは私もまた、音─言葉をノイズにする鍵を握っています。ノイズは一人でも二人でも作ることはできない。三人目以降の介在が必要なわけです。二人目である私がこの20通目の手紙を不在の誰かに向かって書かなければ、彼の第19信はノイズになることができなかった。もちろん、彼がこのあと一種のモノローグをどこまでか続けても、それはどんどん彼の「論」に近づいていきますから、その分ノイズ性は失われていくでしょう。私は私のソロを奏ではじめるほかないので。「騒音書簡は」二重奏であることをやめ、二つの別々の読み物になっていくでしょう。
私は今、ヴィレッジ・ヴァンガードでコルトレーンと一緒に舞台に立った1966年のドルフィーのような位置にいるのかもしれない。あの舞台で、ドルフィーの演奏は必ずしも不可欠の構成要素にはなっていませんでした。現に彼がほとんど吹いていない曲もけっこうある。演奏のイニシアチブはあくまでコルトレーンが握り、バックさえしっかりしていれば、彼はいくらでも勝手に吹いていられる。それはそれで心地よく聞くことができる。鈴木創士の文章のように。しかし多少フリーキーでも、それはノイジーではありません。あの共演を騒音書簡で取り上げるに相応しいものにしているのは、シーツオブサウンドというコルトレーンの考え方とは異質な、ときに素っ頓狂にも響く一音一音を際立たせたドルフィーの介入でしょう。ドルフィーもソロないし自分のバンドで演奏するときは、彼らしい音の散逸感をいくら出しても、まったくノイジーではない。ところが二人が絡むと、あるいは交代の間隔をあまり置かなければ、「美しいノイズ」が現れる。タイミングのずれそのものが面白く聞こえる。ひょっとすると舞台の二人、特にリーダーのコルトレーンのほうは、「こいつとはやっとれんわ」と思ったかもしれません。実際、ドルフィーはコルトレーン・バンドのメンバーにはならなかった。そんな事後的歴史性も、私には『ライブ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード』をノイズ音楽の範例にしています。だから鈴木創士には言っておきたい、ある意味オレ次第なんだからな、ここでは。
そして、レディース・アンド・ジェントルメンに向かって、今度は新譜が出たばかりのローリング・ストーンズを想起しつつ言いたい。いちばん好きなライブアルバム&映像(1972)なんです、『レディース&ジェントルメン』は。新譜も悪くないし、あの豪華で作り込んだ音の後に「なまずのブルース」を持ってきて全体を締めくくるセンスにはほろっと来たけど、それでも私にとってストーンズと言えば、破れかぶれがパフォーマンスに昇華されている『レディース&ジェントルメン』。そこは譲れない。いったい誰に譲る?という話なんですが。ただ、私にはもうそこにいかなるノイズ性もありません。その後のストーンズの歩みが、それを今の私の耳から消し去っています。むしろ、あれが今でもいいと思える自分はひょっとすると郷愁に浸っているのかと、そのノイズ性のなさが私に問いかける。ストーンズは言ってみれば講壇哲学者になったヌーヴォー・フィロゾーフ。そうはなるまい、なってはいかんと『ライブ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード』を聴きながら思う。
ただし、みなさん! 私が今回ここで、鈴木創士のアルトーに対しドルフィーを持ち出すにあたっては、1972年のローリング・ストーンズが確実に触媒になってくれました。彼の「手紙」──あくまでカッコ付き──を読んだ瞬間、「レディース・アンド・ジェントルメン」と叫んでいましたから。みなさん、これがノイズです! と。
これが、あるいはこれもまた、私たちの主題であるノイズだ、と彼は身をもって示しているのです。ノイズについて書くのではなく、ノイズを実践してみせることで、論に代えています。私はやり取りのタイミングを外されました。そのことで読者-聴者にとってはリズムが狂った。このよう──私が今書いていることを皆さんが読み/聞いているよう──に。私がここでちゃぶ台返しをして、やり取りそのものを止めてしまえば、彼の振る舞いはノイズになることができず、下手くそな「ピリオド」になったでしょう(佐藤薫の困った顔が眼に浮かぶ)。その意味では私が、あるいは私もまた、音─言葉をノイズにする鍵を握っています。ノイズは一人でも二人でも作ることはできない。三人目以降の介在が必要なわけです。二人目である私がこの20通目の手紙を不在の誰かに向かって書かなければ、彼の第19信はノイズになることができなかった。もちろん、彼がこのあと一種のモノローグをどこまでか続けても、それはどんどん彼の「論」に近づいていきますから、その分ノイズ性は失われていくでしょう。私は私のソロを奏ではじめるほかないので。「騒音書簡は」二重奏であることをやめ、二つの別々の読み物になっていくでしょう。
私は今、ヴィレッジ・ヴァンガードでコルトレーンと一緒に舞台に立った1966年のドルフィーのような位置にいるのかもしれない。あの舞台で、ドルフィーの演奏は必ずしも不可欠の構成要素にはなっていませんでした。現に彼がほとんど吹いていない曲もけっこうある。演奏のイニシアチブはあくまでコルトレーンが握り、バックさえしっかりしていれば、彼はいくらでも勝手に吹いていられる。それはそれで心地よく聞くことができる。鈴木創士の文章のように。しかし多少フリーキーでも、それはノイジーではありません。あの共演を騒音書簡で取り上げるに相応しいものにしているのは、シーツオブサウンドというコルトレーンの考え方とは異質な、ときに素っ頓狂にも響く一音一音を際立たせたドルフィーの介入でしょう。ドルフィーもソロないし自分のバンドで演奏するときは、彼らしい音の散逸感をいくら出しても、まったくノイジーではない。ところが二人が絡むと、あるいは交代の間隔をあまり置かなければ、「美しいノイズ」が現れる。タイミングのずれそのものが面白く聞こえる。ひょっとすると舞台の二人、特にリーダーのコルトレーンのほうは、「こいつとはやっとれんわ」と思ったかもしれません。実際、ドルフィーはコルトレーン・バンドのメンバーにはならなかった。そんな事後的歴史性も、私には『ライブ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード』をノイズ音楽の範例にしています。だから鈴木創士には言っておきたい、ある意味オレ次第なんだからな、ここでは。
そして、レディース・アンド・ジェントルメンに向かって、今度は新譜が出たばかりのローリング・ストーンズを想起しつつ言いたい。いちばん好きなライブアルバム&映像(1972)なんです、『レディース&ジェントルメン』は。新譜も悪くないし、あの豪華で作り込んだ音の後に「なまずのブルース」を持ってきて全体を締めくくるセンスにはほろっと来たけど、それでも私にとってストーンズと言えば、破れかぶれがパフォーマンスに昇華されている『レディース&ジェントルメン』。そこは譲れない。いったい誰に譲る?という話なんですが。ただ、私にはもうそこにいかなるノイズ性もありません。その後のストーンズの歩みが、それを今の私の耳から消し去っています。むしろ、あれが今でもいいと思える自分はひょっとすると郷愁に浸っているのかと、そのノイズ性のなさが私に問いかける。ストーンズは言ってみれば講壇哲学者になったヌーヴォー・フィロゾーフ。そうはなるまい、なってはいかんと『ライブ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード』を聴きながら思う。
ただし、みなさん! 私が今回ここで、鈴木創士のアルトーに対しドルフィーを持ち出すにあたっては、1972年のローリング・ストーンズが確実に触媒になってくれました。彼の「手紙」──あくまでカッコ付き──を読んだ瞬間、「レディース・アンド・ジェントルメン」と叫んでいましたから。みなさん、これがノイズです! と。