騒音書簡1-28

2024年6月30日

一夜ん

君のカーラ・ブレイ! 少し意外だった。僕は高校生の頃にジャズ喫茶で聞いて以来熱心に聴いたことがないので、彼女の音楽をよくわかっていないだけかもしれないが、何しろ君の「経験」なのだから興味深く読んだ。ショパンでもなく、モンクでもなく。コルトレーンでも、ドン・チェリーでもない。エイミー・ワインハウスもそうだけど、君好みの女性だということはわかるが……失礼! 「経験」は理解可能性の範疇にあるだけかもしれず、こちらとしては記憶のない経験として吟味することもできず、つまり直感的には結局お手上げだ。降参するしかない。僕にとっての、ジェーン・バーキン? フランソワーズ・アルディ? アヌーク・エイメ? それともバルバラなのか? たぶんまったく違うよな。でも、察するところ、カーラ・ブレイは君のアイドルだったはずだ! 認めろよ。

旧グッゲンハイム邸の森田潤とのライブにはご足労願い、大変お疲れさまでした。長丁場で、満員御礼で人が多かったこともあったのか、かなり身体的には疲れたよ。でもたしかにいい疲れだったのだろう。森田潤も主催者たちも機嫌よく終われたのが何よりだった。イベントの主催者たち、Vincent JelenもShuji Nabaraも良い青年だけれど、彼らがいつ苛立ち始めるか観察していた結果、それもなく、いつになくニコニコしていた。自分たちが主催者でないのは何ていいことだろう! 酒も飲んでないし、シラフだし、僕はちょっと余裕だった。知ってのとおり、病み上がりというか、まだ快癒途上だから、あんがいそれも幸いしたのかも。まじで病気気味のときは、病気の音楽が自分から離れて薄れてくれる感がある。うまくいくことがある。演奏中以外では、少しは自分のからだと相談したりしていた。神戸だから、たぶんあんな爆音ノイズを聴くのははじめてという人が大勢いだだろうが、会場の波動は悪くなかった。時代のせいなのかどうかわからないが、飛び交う波長はそもそも不規則でも複雑でもなかった。あ、あ、あ、何ていい社会! いい年をして、孤絶した、離脱した社会を夢見てしまう。不満じゃないよ。ただの独り言。皆さんには感謝しています。会場にいた森山未來が芸能人オーラを消していたのも印象的だった。自分のことを棚に上げるが、年寄りばっかりじゃなかったのもよかった。そんな印象だ。場所、空間、霞んだ海、潮の匂い、雨、夜、すべてを味方につけることができたのかもしれない。遠くが曇って見えないあの目の前に迫っていたはずの夜の海のせいで、隔たりは演奏の最中ごく眼前にしか、自分と自分の手の間にしかなかった。あらかじめそれを確認するのはまず自分でしかないが、そのせいで気分が悪くなることもなく、ラッキーな夜だった。

種明かしをしよう。

一曲目はバッハ「ゴールドベルク変奏曲」。君がそれを言い当てて、あらかじめこれをやるのがわかっていたのだから、びっくり。僕としては、バッハで始めたかったが、マイナー調のバッハでないほうがいいと思っていた。ドローン、ノイズが先に来るニュートラルで印象の薄いバッハ。自分で何をやっていたのかあまりよく覚えていない。

二曲目はバロック風。カッチーニの偽曲「アヴェ・マリア」。それからブリジット・フォンテーヌ「レヴォリュシオン」、アルビノーニ「アダージオ」。いつもの我々の思惑どおり、わかりやすいのを森田君がぐちゃぐちゃにしてくれた。

休憩。休憩をやると言い出したのは僕だけど、いざ休憩すると間がもたなくなり、見回すと森田が消えていたので、適当に軽くゆっくりピアノを弾くはめになった。あのグランドピアノは上等で、とにかく鍵盤が重い。

三曲目はワーグナー『タンホイザー』の一節。ピアノのマイクの音量を上げろという意見があったが、あれがあのノイズ爆音のなかでは最大限。僕としてはワーグナーの響くさらに遠くから、あるいは別の部屋から聞こえてくるようなピアノという感じを考えていた。

四曲目はモーツァルト『レクイエム』の「ラクリモーサ」。かなりエグい演奏になって、一番いい出来だったと思う。自分でやっていても気持ちよかった。

五曲目はクルト・ヴァイル『三文オペラ』の「匕首マッキー」。CD版では『三文オペラ』であることはほぼわからないようにしているが、今回は、わかるようにやった。EP-4 unitPでも時々やるやつだが、ぜんぜん違うヴァージョン。

こうやって自分でおさらいしてみると後半は今度のCD『残酷の音楽』の拡大版、森田潤のマッド・サイエンチスト風気狂いバイオリン入りのかなりエグいヴァージョンになったかな。PAの理解のおかげでもある。基本的にこのような変化は我々の歓迎するところだし、前よりさらに強力になりたいと思う今日この頃です。

「我々は穢らわしい世界に住むことになるのだから、我々は世界より強くなるだろう」(80年ぶりに発見された原稿、ジャン・ジュネの新刊『ヘリオガバルス』より)。

鈴木創士

鈴木創士

鈴木 創士(すずき そうし)

作家、フランス文学者、評論家、翻訳家、ミュージシャン──著書『アントナン・アルトーの帰還』(河出書房新社)、『中島らも烈伝』(河出書房新社)、『離人小説集』(幻戱書房)、『うつせみ』(作品社)、『文楽徘徊』(現代思潮新社)、『連合赤軍』(編・月曜社)、『芸術破綻論』(月曜社)他、翻訳監修など

【Monologue】近況:生命の危機があり、酒をやめました。