まとめ220321

2022年3月21日

市田良彦さま

ひどい空音に襲来されていた時期がある。空襲警報が鳴り響いた。カチカチ山が騒音に包まれ、ケツに火がついたみたいだった。まことの耳鳴りだったが、それは空耳と区別がつかないていのものだと感じた。頭がおかしくなったと思い、その騒音のなかに電波メッセージを聞き取ろうと躍起になった。ある意味、僕が言葉に取り憑かれているのは自分でわかっているが、そういうことではない。これはチャンスだ、やっと僥倖が訪れた、と考えた。意味のある言葉がノイズのなかから浮き上がるのを待った。君もそうだと思うが、僕はそれまで狂気の発作に見舞われたことはなかった。これでやっとひとかどの人間になれる! ホワイトノイズのテレビ画面に未来画像が一瞬映るかもしれない。以前からそんな映像を見てみたかった。やったね! ……だがいくら集中して耳を傾けようと、神の託宣も悪霊の囁きもない。今にも開かれようとしていた人生の局面が消えてしまったようで落胆した。ただ延々と雑音が続くだけだったのだ。 もちろん音楽を聞いているときもこれは止まない。ワーグナーを聞こうと、シェーンベルクやヴェーベルンでさえ騒音は共演していた。この場合は静かに共演していたといっていい。逆に騒音がましになり、打ち消され、それなりに聞こえなくなるのは、お察しのとおり、パンクや、ノイズミュージック、フリージャズ、シュトックハウゼンかクセナキスくらいだった。ただ単に音量と密度の問題だ。何を聞き取ろうとするのか、リスナーの心づもり、姿勢の問題かもしれない。だがいずれにしてもノイズとのバランスはとれない。 寝ているときはさらに悲惨だった。あたりが静まり返ると、耳のなかは川流れの音と蟬の啼き声で満たされた。蟬の声も凄まじい。電気的でもあるし、コロイド状であると言ってもいい。むろん眠りを妨げる。不眠症なのでさらに眠られない。身体の片隅が身体の一体性を絶えず妨害し続ける。そいつは身体のなかを遠慮なく流れ続けた。だが川が流れ込み、その流れが終わる大海はからだのなかに見出すことができない。耳から耳。ただそれだけ。頭のなかでよけいに増幅が起きる。 不眠のノイズを聞きながらジョイスの奇書『フィネガンズ・ウェイク』の冒頭を思い出した。《riverrun》。川流れ。川走り。冒頭の一文を意味だけ訳すとこうなる。「川流れは、イヴとアダムの教会を越え、海岸を迂回し湾のカーブに沿って、車の行き交う快適な村を通り、ホース城とその近郊まで我々を連れてゆく」。これでは忠実な訳とは言えない。柳瀬尚紀ならこう訳す。「川走(せんそう)、イブとアダム礼盃亭(れいはいてい)()ぎ、く()岸辺(きしべ)から()(きょく)する(わん)へ、(こん)()()せぬ(めぐ)(みち)媚行(びこう)し、(めぐ)(もど)るは栄地(えいち)四囲委蛇(しいいい)たるホウス(じょう)とその周円(しゅうえん)」。これはもうほとんどノイズだ! 『フィネガンズ・ウェイク』の「英語ではない英語」を最後まで読んだ人が世界に何人いるのか知らないが、この本がたとえノイズとミュージックコンクレートのつぎはぎだとしても、このノイズが読者をどこかへ連れて行ってくれることは確かだろう。しかし僕の川流れはどこへも連れて行ってはくれない。『フィネガンズ・ウェイク』のように企まれた謎が介在する余地がない。ミステリーがない。ただ音が、ノイズが、走って音を追いかけ、増幅し、あるときはものすごい塊になるだけ。これが「音楽」につながるのかどうか結論が出せない。余興みたいなものだと言われればそうだが、四六時中なのだから迷惑な話だ。耳鳴りは今でも治っていないが、軽度にはなった。半端な騒音ではなかったので、ああ、ただの耳の病気か機能的問題だと気づくのに十年以上という歳月を要することとなった。どうせ無駄だと思ったし、医者には行っていない。 続きはまた。では。

鈴木創士




2022年4月29日

So-siくん、

そう来たか、ジェイムズ・ジョイスか。ノイズ・ミュージックはさしあたり『フィネガンズ・ウェイク』の「ような」ものか。最後までそうであるかはさておき。前々から小説家としてのきみにいつか聞いてみたいと思っていたことがあった。いちおう文章を書く人間としてのおれには「できない」と思うことを、きみはときどきやる。小説と論文の違いの問題ではない。きみはとても論理的な文章も書くし、おれは小説のようであろうと意識して文章を書いたこともある。けれどきみはおれが自分には「できない」と自覚していることを、平気でなのか、そこになにかを賭けてなのか、すすんでやる。それが「ような」とか「ように」と書くことだ。おれはそれを意図して避けてきたように思う。

きみがそう書いているのを目にするたびに思い出す。「手術台の上でのミシンとコウモリ傘の出会いのように」。「ような」とか「ように」ときみが書いているのを見ると、オレはまだシュール・レアリストだぞ、と、きみが宣言している「ように」聞こえるんだ。アンドレ・ブルトンを引き継ぐ覚悟には敬服する。ブルトンが良い悪いではなく、自分の「作品」をどこにどう置くかをきちんと知っているということに脱帽する。おれに対し、ああおれはいつの頃からかシュール・レアリズムからも、さらに「文学」からも遠ざかろうとしてきたんだな、と思い起こさせてくることに感謝さえする。きみにも言ったことはあると思う。おれは今、ほとんどの小説が読めないんだ。入っていけない。 それは多分、「ような」/「ように」が言語以前にある──と想定される──心的経験なのか世界なのかを「隠喩」してしまうからだ。言葉はそれ自体でなにかしらの現実の隠喩なのか? それが「心の闇」であろうと、「いまどきのリアル」であろうと、「狂気」であろうと、言葉がその隠喩的表現であろうとしていると感じたとき、そんなものには興味がない、とその言葉に向かって言いたくなる。そんなもの、知ってるよ、いまさら言われなくても、と。歴史的蓄積のあるこれだけの情報社会(!)で、言葉で、それも喩えてみせる言葉でしか伝えられないものなんてあるのか。歴史を、年寄りを、なめんなよ。喩えなくていいから、情報だけくれ。 とはいえ、かく言うおれも、自分の書くものは「歌」の「よう」であってほしいと願っている。おれの文章は世界の隠喩でなくとも音楽だ! 踊りだ! と見栄を切りたい気分を、論文を書くときにも持っている。特に助詞の使い方と文末処理には「リズム」を賭けている。フランク・ザッパについて書いたときには、頭のなかでずっと彼の『黙ってギターを弾け』を流していた。CDを聴きながらではない。そんなことをすれば同調できない。おれは無音の状態でしか文章を書けない。たったいま頭のなかで流しているのは「ブラウン・シュガー」だ。もうコンサートで演奏しないというニュースを耳にしたから、おれがキースとミックの代わりに演ってやるぜ、ぐらいの心持ちでいる。 この差はなんなのだろう。きみの意見をぜひ聞かせてほしい。 「同調」と書いてしまったことに関連して、少し補足しておく。「ような」/「ように」を目にするたび、ほとんどの小説を読むたびに、おれは世界から遠ざけられた気分に陥る。隠喩は、隠喩されるものからは離れていることを前提にするからだろう。隠喩は世界との同調を妨げる。だから逆に、世界からいったん離れるために音楽に没入する時間もおれにはある。なに、ごくありきたりな効用さ。イヤホンをつければ外界から自分を一定遮断できる。そしてスピーカーから大音量でノイズミュージック──例えば先日の森田潤のライブアルバムな──を流せば、それが世界そのものになるから、つまり現実世界の隠喩たりうるほどリアルさを乗っ取ってくれるから、隠喩されたリアルな世界を一瞬忘れることができる。ああ、イランのペルセポリス神殿でクセナキスの「ペルセポリス」を聴きたかった! ベートーヴェンではもう隠喩にさえなれない。いっとき自分でマスタリングすることに凝った裸のラリーズの客録り音源も、おれにはもうだめ。いったいどうしてだろう。

市田良彦




2022年5月20日

親愛なる友、

君の質問に答えなければならないね。君が指摘する僕の文章、とにかくそれは「文学」だ。「……のように」だが、「直喩」でも「隠喩」でもいい、そいつは「現実」の裏をかき、その断片をかすめ取るためにあるんじゃないかと思ってきた。現実の網目の見えないタガを「外す」ためだ。蝙蝠傘もミシンも手術台も現実だけど、それは「ように」によってたしかに「世界から遠ざかる」。しかしまず言葉が言葉の「隠喩」なのだから、この隔たりによって逆に現実が遠く透けて見えることがある。僕はそれに賭けている。現実はデータによってできているわけではないし、現実との「同調」もまた「真理」にとって一つの「言葉」、つまり隠喩じゃないかな。小説にも色々あるが、現実の機微を捉えることはあると思う。 現実の裏をかく、いや、文学はやはりそれだけじゃない。つまり小説でも詩でもいいが、「文学」で何が問題となっているかといえば、実は「実在」が何であるかということだと僕は考えているんだ。僕にとって文学がそういうものでなければ、馬鹿の一つ覚えみたいにこんなに長い間「文学」に拘泥することはできなかった。今度の本『芸術破綻論』でもそのことに触れている、というかそのことしか問題にしていないとも言える。哲学者の君に即していえば、哲学だって「実在」が何であるかという問いは中心の近傍にあるだろうが、哲学もそのために「表現」するじゃないか。言葉の審級が異なるだけだ。 ボルヘスは(ちゃんと本を参照したわけでなく、記憶で引用するので不正確かも)、文学の歴史というのは幾つかの隠喩の抑揚から成り立っていると言うんだが、これにはさすがに僕にもいささか異論があって、じゃ、何のために「隠喩」があるんだという問いが頭をもたげてしまう。 そういう意味でそもそも「文学」は「破綻」していると僕は考えているんだ。「すぐれた」(!?) 文学はなおさらそうだ。そもそも「表現」は、表現主義は、最良の手段ではなく、破綻の一端だ。「文学」の本質は孤独ではなく破綻にある。だから「上手く」破綻できればどんなにいいだろうかとも思うんだ。でも正直に言えば、いかに現実から遠ざかるにしても、いろんな意味で「破綻した」人間である僕に残されたものは、そんな「文学」だけだったというのが実情であるのかもしれない。 だけど僕だって文学にうんざりすることがある。で、何で「音楽」をやっているのか? あえて言うなら、一つには音楽はこの問いを不問に付してくれる気がするときがあるからだ。それが幻想でしかないにしても。君が「音楽」を鳴り響かせながらリズミカルに文章を書いているのはよくわかるし、書き手としてさすがだと思う。でもそれだって「文学」だよ。最良の意味でね。マルクスにもアルチュセールにもそういうところがあった。ところで、君の名著『ランシエール 新〈音楽の哲学〉』を僕は小説のように読んだよ。君の意に反するだろうが、哲学の門外漢である僕からすればこれは誉め言葉なんだ。だからといって君が「小説」を読む必要はないし、それでいいじゃないか(何なら『カラマーゾフの兄弟』でも読んでみるか?)。いずれにしろどれも面倒な実験だし、現実を書くこと、現実への接近の仕方は一つではないと思う。 一つ反論がある。僕は若いときさんざんブルトンを読んでたぶん思想的にも影響を受けたし、その点でブルトンに借りがあるが、今の僕はシュルレアリストではないな。正直言って、シュルレアリスムにもシュルレアリスムの「美学」にも飽きた。ブルトンに借りは返していないが、前回書いたように、僕は(偽の)古典主義者なんだ。

鈴木創士




2022年6月25日

So-siどの、

『カラマーゾフの兄弟』の代わりに、最近の小説を一つ読んでみた。君から文学者──「文学的な人」ぐらいの意味か──として認めてもらえたからというばかりではなく、誕生日プレゼントに「騒音書簡」の読者からもらったので。文学オンチ、比喩アレルギーのお前にはちょうどよかろう、と。『鑑識レコード倶楽部』という。ぜひ読まれたし(今度のライブに持っていくよ)。まさに我々の寓話だ。読後、少なくとも俺はコロッケにものまねされた岩崎宏美のような気分である。著者マグナス・ミルズのことはまったく知らないが、カリカチュアされる栄誉を味わっている。「音楽を語る」ことのカリカチュア。 3通目の手紙を送ってから、我々の間には手紙の交換以外にもう一つ出来事があった。君たちのライブである。久しぶりに聴いた。轟音にさらされて久しぶりにアレルギーが出た。ようやく消えかかっているところなので、来週のライブがちょっと心配ではある。とにかく今回の返信は、君からの手紙と先日のライブと予期せぬ読書経験の三つに対し、同時に反応してみたい。 これが君の言う「破綻」なのであろう。それを強いるものなどなにもなく、俺はただ往復書簡という規範を守って前の手紙に反応しているだけでよいのに、勝手に他の因子をこの場に引き入れている。他の因子は偶然ですらない。無視してもよいのだから。往復書簡というこの場の形式は、君にとっての「古典主義」のようなものかもしれない。それがなければ「破綻」が不可能なもの。先日のライブもその意味では立派に「古典主義」的であった。君は他のメンバー、特に俗に言うリズム隊の3人にうまく「破綻」させてもらっていた。その全体への森田潤の介入も、40年以上かけて成立した「EP-4サウンド古典主義」をうまく「破綻」させていた。 しかしちょっと待ってほしい。今回の「破綻」がなければ、俺があの場で思い起こさずにいられなかった、つまり俺の頭のなかで同時に鳴っていた昔日のEP-4の音は「古典」にさえならなかったではないか。君たちは何十年もバンド活動をしていなかったのだから。あの音はこの世から消えていたのだから。ライブから帰って、思わず聴き直してみた(今ではAppleのサブスクで聴ける──佐藤薫はそのことを知らなかったが)。「破綻」のありようを確かめたかったわけだ。その結果として言う。俺は偽であれほんものであれ「古典主義者」にはなれんな。 というのも、俺にはセロニアス・モンクが「破綻」しているとは思えんのよ。というか、前にも書いたが俺にとって「はじまり」をなすあの音を、「破綻」ではないものとして受容できるよう、俺は修行してきたのではないかと先日のライブを聞いてあらためて思ったのよ。一人であの音を出すことは難しくても、バンドならそれが可能で、それを希求する者たちの系譜が確実にあり、君たちもそこに連なろうとしているのではないか。いや、妄想的に言う。連なることを目指してほしい。« Sister Ray »のヴェルヴェッツ、 何作かのミンガス、« Les Stances à Sophie »のアート・アンサンブル・オブ・シカゴ、« Last Date »のドルフィー(一曲目はモンクのカバーだ)等々、いくつものバンドが先人として頭に浮かぶ。それは俺の密かな言い方では、バンド音楽を「盆栽」にしないことに賭けてきた者たちの系譜で、君がひょっとしてノイズ・バンドなどという有難いのかそうでないのかよく分からんカテゴライズを受け入れてやろうとしている音もそこに連なるのかも──電子音を使ってな──とあの夜思った。日本にはジャズでもロックでもうまいバンドはいくらでもいる。けれどもいくらそれに感心しても、感心しているその瞬間、俺は盆栽を愛でる気分になっている自分に気づいて嫌になる。森の野生を忘れてしまったのか、と。どんなバンドの音も必ず音楽史のそれなりの総括と縮図になる。そのようにしかバンドは聴くことができない。そこに「古典主義」もその「破綻」もない、と俺には思える。盆栽か森か──比喩である。 俺があの夜耳にし、次のライブでも聴きたいと思っている演奏はもちろん幻だ。その幻の音を『鑑識レコード倶楽部』は、人前ではかけられずに終わる無タイトルのデモ盤として登場させた。この倶楽部は「コメントなし評価なし」にレコードを聴くという盟約に結ばれた者たちの集まりで、自分語りとセットでしか音楽を聴かない「告白レコード倶楽部」と対立している。「鑑識」派からは、沈黙の掟に耐えきれず、周辺的蘊蓄なら喋ってもよしとする「認識レコード倶楽部」という分派が生まれた。今回の手紙で書いたことも「鑑識派」と「告白派」と「認識派」の混淆でしかない、と俺は知っている。次のライブを楽しみにしてるよ。幻の電子版モンクを聴かせてくれ。

市田良彦




2022年7月28日

こんにちは

君と同じように「比喩」を嫌悪している作家マグナス・ミルズの『鑑識レコード倶楽部』を読ませてもらったよ。だけど俺にはこの比喩の拒否はこの作家特有のレトリックにしか見えなかったし(たとえそれが彼の長きにわたる経験に裏打ちされたものであるとしても)、この小説全体がそもそも何かの「比喩」のようではないかと感じた(それが小説というものの本性かもしれんが)。政治的寓意、集団的寓意という点では、俺の訳したベルナール・ラマルシュ=ヴァデルのフェイク・バロック小説『すべては壊れる』のほうが俺にはしっくりくる。この政治的集団的寓意は「死」に包囲され、現代の死体解剖所見となっているのだが、作家本人も頭をピストルでぶち抜いて自殺したのだからオチまでついている。まあ、自分が訳したのだから、単なる手前味噌なんでしょうが。

それはそうとして、音楽を聴くということについては、この小説が語るように、ノーコメント派(鑑識派)、告白派、認識派がいるというのは確かにそのとおりだろうし、なかなか言い得て妙だった。鑑識派の主眼は四の五の言わずに「聴く技を磨く」ことなのだから、究極的には聴くことから「思考」を追い出すことが求められることになりそうだ。「感情」については言うまでもない。この場合、「感覚」なるものはどのあたりにあるのだろう。しかしそこまでいけばこの試みは至難の技だ。モンクについて君が俺たちunitPに要求するように、「モンクのように」に試みるとして(これにかなり深い意味があることは俺にはわかるが、こんな要求は無謀だよ)、どうやって「思考」を追い払えばいいのだろう。

演奏しているときに何も考えないでいることは俺の課題なんだ。ただしあれこれ考えたほうがいいときもある。盆栽音楽については、凡庸な思考の臭いがぷんぷんするだけで、肝心の内容がそっちのけのものや、逆に内容盛り沢山でもミュージシャン臭で辟易するものがあるが、君が盆栽音楽を退けるのはうなずける。音楽は鑑賞するものじゃない。趣味でもない。告白派そして認識派には盆栽を愛でる傾向がある。

ところでこの本で一番はっとした箇所がある。パブの臨時女給でミュージシャンでもある、この小説の隠れた主人公ともいえるアリスが、鑑識派の「俺」に放った言葉だ。《「あんた、ここで何してるわけ」アリスは言った。「あんたそもそも、音楽なんて好きじゃないじゃない」》。お前そもそも、音楽なんてどうでもいいじゃないか! 音楽を聴くふりしているだけだろ! ああ、なるほどそういうことがあるな。アリスの言うとおりだ。彼女はミュージシャンなのだから、とだけ考えてはいけない。だけど俺は音楽が好きなのだろうか。まったく音楽を聴く気がしなかったり、受けつけないときもあるが、たぶん好きなのかな。君はどうなんだ。佐藤薫はどうなんだろう。こんな馬鹿げた質問を彼にしたことはないが、佐藤はオーケストラの指揮者のようなものだから、誰よりも音楽を注意深く聴いてきたことは確かだ。聴いてきた音楽の範囲もとても広い。それは俺が保証する。でも音楽を注聴することは音楽を愛することなのか。それとも佐藤の頭のなかでは、音楽ではなく、音が鳴っているだけなのか。音楽が好きというのは何のことなのか。

こんなことを思ったのは、もうひとつには、先日、氷川きよしをテレビで見たからだ。彼のビジュアル的変貌はとてもいい選択だったと思うが、その番組で氷川はジャズのスタンダードを歌おうとしていた。嫌悪していた演歌をずっと無理やり歌わされてきた腹いせはよくわかるが、歌ったジャズのスタンダードはひどいものだった。相変わらず彼の歌う節回しはジャズではなく、演歌のままだった、というようなことが言いたいのではない。でも俺にはわかったんだ、こいつは音楽が好きじゃないな、って。

鈴木創士




2022年8月28日

創士くん、

音楽が好きかって? 俺には音楽絡みというわけではないのだが、一つの規範がある。いつのまにか出来上がった作業仮説のようなものにすぎないけれど。それは〈好き-嫌い〉でものを語らないということだ。とりわけ、こだわりのある対象については。そのこだわりが〈好き-嫌い〉の判断を許さない。そんな判断は信用ならない、と我ながら思ってしまう。信用すればこだわりとの関係において結果的に損をする、と。

話は終わってしまうではないか、〈好き-嫌い〉を持ち出せば。それを聞かされたほうは、そうですか、と返すほかない。〈好き-嫌い〉は主張の根拠になりこそすれ、それ自体に根拠のない最後通牒のようなものだ。これが好きな私、嫌いな私を語っているのみ。マグナス・ミルズに戻って言えば、告白派の告白がそこへと帰っていく最後のセリフ。どうしてそんな「私」を信用できるのか、と思ってしまう。求められてもいない誓約をして後で困らないのか、とも。恋愛の場合には致し方ないだろう。恋愛には告白=誓約に続き、二人でする契約が待っているので。しかし、自分とは契約をする必要などない。〈好き〉は〈嫌い〉の反対ではなく、〈嫌い〉から差し込む影のようなものだろう。正常と異常の関係に等しい。いつか〈嫌い〉になるかもしれない、異常に、病気になるかもしれない状態の名前が、〈好き〉であり正常であるだろう。音楽と雑音の関係もこれに等しいと思っている。

だからまた、分かっているつもりではある。〈好き-嫌い〉をはっきり言ったほうがよい瞬間もある、と。根拠としてそれを持ち出すのではなく、まして最後通牒にするためにではなく、こだわりを自分vs自分、自分vs他者の関係において持続させるために。先回の手紙でライブ評まがいの感想を綴ったのはそのためだ。騒音書簡は俺にとっては、きみたちにとってのセッションやライブのようなもので、反応しなければ続かない。その反応は反応される側にとっては、いつでも告白だろう。自分語りだろう。「私」はこういうボールを投げる、さて「きみ」は? その交換の継続が演奏であり、往復 (?) 書簡だろう。しかし、言い訳でなく言うのだが、告白はいつもフィクションだ。嘘をつくわけではない。あくまでほんとうのことを言っている。けれども、告白することで、その告白文の主語でしかない「私」を、告白している生身の「私」と儀式的に一致させ、告白される者に例えば──まさしく例えばでしかない──「市田良彦」というペルソナを持続的に虚構させる。この人物はいつか狂って「私はナポレオンだ」とか言い出すかもしれないのに。それでも「きみ」が反応を返すためには、少なくとも返すまでは持続する虚構が必須であるだろう。先回の手紙で自分をアンディ・ウォーホールだと言ってみたのにはこういう機微があった、と告白しておく。告白も感想文も、主語が「私」であるかぎり、誠実であることとフィクションであることは矛盾しないどころか、両立させることが誠実性の証だ。

こだわりは、〈好き-嫌い〉でないとすれば〈意志〉か? これもYesかつNoだ。そのこだわりを持続させようと望んでいるという点ではYes。望んでいなければ、すでにこだわっていない。しかし、望みどおりにならないものがあるからこそ、こだわりではないのか。捨てようと思っても捨てられないことがこだわりであるだろう。だからこだわりは〈非意志〉でもある。〈好き〉と〈嫌い〉同様、〈意志〉と〈非意志〉も互いの影であるだろう。格別ややこしいことを言っているつもりはない。欲情の身体的表れは「私」の〈意志〉の現れか? 望んでもいないのに「ヤツ」が反応しているという「私」の〈非意志〉であるから、欲情は「私」の欲情ではないのか。

「演奏しているときにはなにも考えないでいる」ことが自分の「課題」だと、書いていたね。俺はそれを、考えることも考えないでいることも、〈非意志的な意志〉だというふうに受け取った。生物としての人間にそれ以外のことができるのか、と思う。「課題」に括弧と下線の両方を付して読みたい。そのうえで、俺がなるべく〈好き-嫌い〉について語らないことを規範にしているもう一つの理由も書いておきたい。YesかNoか、Aかnot Aか、はっきりさせろという脅迫への抵抗が第一の理由であったわけだが、もう一つ、それに相反するような理由もある。生物としての人間には〈意志〉と〈非意志〉など裏表にすぎない、という理屈は、どうしてもキリスト教の原罪遺伝説を思い起こさせる。この理屈は、罪を犯してしまうことが罰である──罪としての〈非意志〉的欲情は汝がかつて〈意志〉的に犯した罪への罰なり──という仕方で転用されたではないか。いくら懺悔してもだめ、最後の審判の日まで懺悔し続けよ。現代では、とにかく〈好き-嫌い〉については尊重し、法律違反かそうでないかだけを問題する、ということがほぼ規範になっている。二つがセットになって人間を阿呆にしている。それにだけは抵抗したいと思う。なにか言うべきことがあるとすれば、この規範に対する騒音でありたい、と。

市田良彦




2022年9月30日

市田君

前回の君の手紙に反論がある。好き嫌いで物事を判断することは馬鹿げているし、反動的で無益だということも重々承知している。だが僕は「文学」が好きかとも、「哲学」が好きかとも聞いていない。そうすぐに一般化しないでくれよ。書き手として、あいそよく、僕はフォノンのためにここで「騒音書簡」を書いていることをまったく意識しないでいることはできないのだから、当然、音楽の話になってしまう。でもローリング・ストーンズが好きか嫌いかじゃなくて、僕は「音楽」が好きかということについて話をしたんだ。音楽が好きか嫌いかということは、あっ、そう、では済まされないところがある。本質的なことなんだ。誰にとって? 僕にとって? ああ、そのとおり! マグナス・ミルズ『鑑識レコード倶楽部』はアイデア小説としては非凡だけど、僕にとってはそれだけという感じだった、つまりそんな意見など「あんたの好みの小説じゃないんだ、あ、そう」で済むところがあるが、「音楽」については同じとは言えない。君の言うのとは反対に、音楽について、好き嫌いはそう簡単には反転できないと思う。『鑑識レコード倶楽部』では、あのアリスの言葉はやはり僕にとって当意即妙なままだ。《「あんた、ここで何してるわけ」アリスは言った。「あんたそもそも、音楽なんて好きじゃないじゃない」》。

今はバンドの哲学や社会学について話をしているのではないし、自分対自分、自分対他者のことはさしあたりここでは置いておく。君が音楽を好きだとしても、それは僕に直接関わりがないだろう。だが嫌いだとすると、話は違ってくる。音楽が好きな思想家、嫌いな思想家や書き手は、少なからず名前を上げることもできるだろうし、音楽あるいは音楽的ということについて無感覚な思想家や書き手を僕は心底信用できないところがある。耳があるのに音楽が嫌い、嫌いだから音楽を死ぬまで聴きたくないということをうまく想像できない。「思考」そのものとの関係、あるいは五感全体の対比においてね。それに音楽を嫌いな人がそう簡単に好きになったり、音楽が好きな人が年を経て嫌いになることがあったりするのかな。そんな芸当は聞いたことも見たこともないよ。音楽を聴くことができないという状態と(それは僕にもしょっちゅうある)、音楽が嫌いというのは全く違うことなんだ。

君は僕の第一書簡の空耳の話にそれらしい反応を示さなかったが、また蒸し返すなら、聞こえないこと、実際には聞こえていないこと、あるいは空耳は、音の対極にあるのではないことは君も承知してくれると思う。今はまだうまく言えないが、空耳が聞こえていること、耳鳴りを聴くこと、それを意識せざるを得ないことは、音楽を聴くことと無関係ではあり得ないように思うんだ。しかも空耳はつねに「騒音」と対になっているし、それこそ反転可能だ。これらのこと自体が、ただ単に音を聞いているということにしても、あるいは無音を聴きとろうとする意志にしても、それらは「音楽」の範疇にあるということを示している。耳の聞こえない人だっているじゃないか、って? 生まれつきの聾者も何も聞こえないという感覚そのものによってある種の「音」を聞いているのだと思う。音楽を聴くことは、物質としての音-無音をひとつの身体的反応として享受することであり、身体は延長をもつのだから、この反応と無反応は身体の延長のなかにもあるからだ。しかしスピノザに反するようだが、これを延長における精神的反応だとしても何ら齟齬はない。音楽を聴いて、あるいは聞こえないことでそれを享受することは、そもそも身体的「矛盾」を、身体のなかにある種の乖離を引き起こすことだからだ。何が言いたいかといえば、音楽を聴くことは(身体的)空耳だということになる。

こんなことは全部個人的なことだろうか。たぶんそうかもしれないし、音と音楽をごっちゃにしていると反論されるかもしれないが、ノイズにおいても、それは僕にとって同じ原因結果を伴うものとしてある(これは君が言うようにキリスト教的だろうか)。ただの感想と受け取られても仕方ないが、ノイズを聴こうとする人、ノイズを聴くことのできる人は、音と音楽を分けて考えることができない。クセナキスを引き合いにするまでもなく、それが基本じゃないかな。もし音楽が嫌いな人であれば、このようなことは理解できないと思う。

最近読み返していたので余談を。中上健次という作家にとって「路地」は愛憎相半ばするものとして存在した。だが中上は明らかに路地に矛盾した観念的「愛着」を抱いていた。失われたにしろそうでないにしろ、なまの現実としても、一種のサーガとしても、路地が好きだった。中上ならそう答えることをためらわなかっただろう。路地からはいろんな音がする。ラジオ、テレビのニュースや相撲や軍歌、家の外に漏れてくる話し声、茶碗と箸がかちかちあたる音、女と子供の声、向こうから聞こえる小川や雨だれの音……。中上はそれらの音をアルバート・アイラーのテナー・サックスの攻撃性とその消えゆく余韻のなかにも聞き取った。音楽はそのような「存在」でもあるし、存在論的な次元を確固としてもつかもしれないが、存在を瓦解させるところもあって、その意味で中上の観念のなかの路地は僕の言う「音楽」に似ているかもしれない。まず最初に、そこにいた者、あるいはそれを聞いている者に、君が言うように、極めて実在的な「妄想」を要求するんだ。

君の言う、好き嫌いという「規範」への抵抗を揶揄したり、その邪魔をしたりするつもりはないが、君が答えなくても、君の答えを留保する必要はないと思う。じゃなければ、ショパンではなくモンクに衝撃を受けたという君の「告白」はあり得ないよ。

鈴木創士




2022年10月29日

鈴木創士殿、

何に対しどう反論されているのか、ちょっとよく分からんが、とりあえずいくつか応えてみる。それらはたぶん、相互に連関しているはずだ。

1) 『鑑識レコード倶楽部』におけるアリスの位置は、俺にとってははっきりしている。演者にとっての「音楽そのもの」だ。君が「好きなのか」と聞いたものを、演者の立場で代表している。そしてその含意もはっきりしている。「音楽そのもの」について「語りうる」のは実は演者のみ。ただし「語りえる」のは、アリスの言ったことだけ。「音楽」はある、これをあなたは「好き」か。それ以上のことを語ったとき、演者はすでに演者ではない。聴く立場に回って語っており、それはアリス以外の三派の言説のいずれかに回収される。つまり小説におけるアリスは、演者と聴者、音楽と言葉の非和解性、非対称性、絶対的な差異を小説のなかに導入する仕掛けだ。その昔、遠藤ミチロウが言ったことを俺は忘れられない。「客との非和解性を大事にしたい」。彼にとっては、いくらファンが求めても、自分は求められることを演るとはかぎらない、ということであった。俺にとっては、自分はもう客でいい、と思わせる言葉であった。俺は別の土俵に行く、と。文章を綴ることをその土俵にすると決めても、読者との非和解性は俺にとって「大事にしたい」ものの一つであり続けている。だがそれは、自分の音楽があるとか、俺の文章は俺の自己表現だ、という所有権の主張ではまったくない。むしろ逆。演者/書き手に回れば、音楽であれ言語であれ、それ「そのもの」から決定的に締め出されるという「経験」を味わうことになるという諦念の確認だ。「経験」は聴者と読者の特権であると思う。あくまで受動的な体験であるという意味において。能動的な立場に回った人間とは、「そのもの」の門前で「なかに入れてくれ」と祈り跪く「棄教者」の姿に俺のなかでは重なっている。自分の音楽を「楽しんでいます」などと言う音楽家を、俺は「口舌の徒」として信じることができない。俺は様々な「棄教者」のおかげで、「門のなか」が「ある」と信じることができる。

2) 聴く側には、好きな音楽と必ずしも好きではない音楽があるだけだ。嫌いな音楽は「音楽」ではない。俺が好きとか嫌いとか言いたくないのは、音楽の聴き手としてではなく、文章を書く人間としてだ。自分の文章に、そんなことを言わせたくない。それを言わせれば、俺は自分の文章まで評点しなければいけないだろう。もちろんそういうことを絶えずやりながら文章を書いているわけだが(特に外国語で書く場合)、それはまさに書き手としての問題であり、「客との非和解性」からして、ほっといてもらいたい部類のことがらである。あなたたちには言いたい放題言う権利がある、存分に語ってくれたまえ。しかしこちらとしては、手の内を明かすようなことは、やろうと思っても十分にはできない。私は言葉の門前で祈り跪く人間でしかないのだから。そう俺は「言う」。君の言う「音楽あるいは音楽的ということに無感覚な思想家や書き手」、あるいは「音楽が嫌い」な人間を、俺は音楽について好き嫌いだけ「言って」いればいい者と解する。俺としては、そういう人を信用するとか信用しないではなく、いい身分だよなあとしか思えない。

3) 君の「空耳」はミュージシャン、演者としてのものか? そうであるなら、俺には聞こえないと「言う」しかないが、俺にはなにか書いているとき、つねに、そこへ入れてもらおうとしている「門のなか」がある。そこから、俺は呼びかけられている。「空耳」のようなものだろう。その呼びかけに応えるべく、俺はいつも書いている。ただ俺はそれを「自分の身体」だとも「過去の経験」だとも「思わない」。最初の頃の手紙で書いたと思うが、俺には「言語以前の経験」が「ある」とは思えない。書く俺に呼びかけてくるのはむしろ、かつて受動的、身体的に「経験」することで、俺がそこから決定的に締め出されてしまった、「そと」にあるなにものか。前の手紙で少し書いたように、書き上げたばかりの本の最後のほうでは、俺はラリーズの音から呼びかけられていた。かつて書いた本の執筆時には、同じく最後のほうではザッパのギターから。ま、君が中上健次に見た「観念的『愛着』」かもしれんね。あるいは音楽と言葉は俺にとって互いにフィードバックしているのかもしれん。いつも。

4) 中上で思い出したが、彼は俺が自分の文学オンチに居直るきっかけになった作家の一人だ。彼のようには書けないと思ったからではない。ミチロウさんに対しては、あなたのようにはとうていなれませんと思ったけれど。中上が、上に書いた「手の内を明かす」ようなまねをやったからだ。よく覚えている。「路地」シリーズのどれかにたしか「夏芙蓉」という名前の花が出てくるのだが、彼はその花について、そんな花は実在しない、自分が作品全体を通じて「実在」させるんだ、とどこかで喋っていた。「夏芙蓉」は実在しない、「路地」も。そんな当たり前の「秘密」を明かし、それを文学はやるんだ、と見栄を切られてもなあ、と思った。ならば俺は、犯人のいない探偵小説を書くぜ、と思ったことをよく覚えている。一つのモデルはレーモン・ルーセル。

市田良彦




2022年11月28日

Ma vieille branche,

1)2)どうもお互いの返答はうまく噛み合っていないようだが、というかこんな風の吹きまわしになるのが佐藤薫の仕組んだ往復書簡なのだろう。それに僕の設問の立て方がまずかったのだろう。「好き」「嫌い」の話はもうどうでもいいさ。先に進めることにする。 「音楽」そのものを感覚するとき、僕はつねに「リスナー」であることを意識してしまう。聞いてしまうんだ。むしろその方がうまくいく。演奏しているときでさえも。即興ならなおさらだ。客はいないも同然だ。遠藤ミチロウの「客との非和解性を大事にしたい」というのはよくわかる。だが、あえて言うなら、そこには「バンドの政治性」と「音」そのものとの混同が見られるのではないかなあ。「バンドの政治」としてはその点でたしかに彼の姿勢は一貫していた。僕は遠藤ミチロウをストア派として讃える文章を書いたことがあるので、あまり言いたくないが、しかしザ・スターリンの「音」自体はどうなのか? 僕には非和解性には聞こえない。 パンクはほんとうに「客との非和解性」を求めていたのか。ピストルズは? PILは? ザ・スターリンは? ヴェルベット・アンダーグラウンドにはなるほど「政治性」にも「音」にも、当時としての非和解性があったと思う。それなら「音」それ自体を問題にするとして、例えばドイツ系のポスト・パンクや、スロッピング・グリッスル、サイキックTVのようなバンドは?……勿論、俺だって演者として「音楽を楽しんでいます」という感じなどない。物を書くということに関しても、いままで「読者との和解性」求めたことなどないことは君も承知しているはずだと思う。それで俺がどんな立派な境遇にいるかもw。だけど俺は門の中には入れないし、はっきり言って、その気もないんだ。いい歳をして、いつまでも門前の小僧のままだよ。 「演者」としては、もうすぐ森田潤と一緒にCDを出すから、聞いてみてくれ。でも僕自身いまやこのCDに対してもリスナーでしかないし、今となってはこの「演奏」に対してア・プリオリに一人の「リスナー」にすぎなかったとしか言いようがない。君の批評をぜひとも聞いてみたい。以前何度か爆音ノイズギターの山本精一と二人だけでやったとき、「音」に関して、「客との非和解性」どころか、我々は「嫌がらせの音楽」をやることを心がけた。まあ、そういう感じも僕にはあるんだ。

3)4)「空耳」は演者としてでもリスナーとしてでもない。完全な外部だ。文字通りの「空耳」なんだが、これも「言葉」との関わりにおいて、ある種の経験の「発生」ではないかと思ったんだ。「音」との関係においても。でも、僕の「経験」には生理的次元があるのだし、ちょっとわかりにくい話ではあるね。

中上健次についてだけど、君の手紙を読んでちょっと笑ってしまった。中上はインタビューとか対談とか講演ではいつも大風呂敷を広げて自作解説をやるが、いい加減なことをしゃべり散らすし、あのエンターテイナー振りはたいてい噴飯物だよ。僕はいつもそう思っていたし、真面目に受け取ったことはない。だから浅田彰や柄谷行人たちが中上を持ち上げていたブームの頃、僕は完全にしらけていた。作家本人の自作解説などまったく信用できない余計なものだ。だけど「小説」作品そのものとなると別なんだ。本人がいかに理路整然と自作を後から分析しようと、小説には別のものがすでに入り込んでしまっている。そのままの形では作家の意識に上らないものだけど、いわゆる無意識のことが言いたいのではない。書くというまさにその時点に到来する何かだ。その意味では中上健次は小説家なんだ。どんな作家もそれを意識するのはとても難しいし、自分で吟味できたとしてもそれは書いた後からでしかない。書いている時点でそんな芸当ができたのはプルーストやジュネしかいないと僕は思っている。

「犯人のいない探偵小説」で君はレーモン・ルーセルの名前を挙げているけど、もっとベタな意味で、夢野久作の『ドグラ・マグラ』は文字どおりそれじゃないかなあ……。僕は別のことを考えていたよ。「登場人物のいない小説」だ。実際、まったく人物が登場しない小説は技術的になかなか難しいだろうし、書いても誰も読んでくれないだろうが、ロベール・パンジェ(ヌーヴォー・ロマンの作家に分類されているけれど、他の作家たちとは決定的に違うところがある)はかなりそれに近い。つまり登場人物に人物それ自体としてほとんど意味がないんだ。ベケットの場合は、登場人物の語ることが無意味な一種の幽霊の声によるものであることによって、逆に大きな意味をもつ。それはそれで真似のできない芸当だ。ある意味では――まあ、異なる意味だけど――ボルヘスもそうかもしれないが、ちょっと違うか。

パリ・コミューン時代の若き詩人が吐き捨てるように言っていた、「そう、新しい時代はともかくきわめて厳しい」。俺たちの目の前で、すべての酒が流れた。悪酔いしたのだろうか。俺には目に浮かぶ、あの古い大通りを横切っている自分が。風は垂直に眠っていた。でもそれはいつのことだったんだ?

鈴木創士




2022年12月29日

鈴木創士兄、

困るなあ。僕は貴兄たちのアルバム──LAST CHANCE IN KOENJI──を批評するのに適任ではないと思うぞ。特に批評を貴兄が求めているのではない、ということは僕も分かっているつもりだが、何を書いたところで「騒音書簡」には読者がいる。顔も人数も分からない公衆という存在がいて、彼らには僕が何を書こうが書くまいが、それは批評になってしまう。書く側としては、作品を批評するにはある種の無関係が作品との間に必要であるのに、僕はどうしてもこの「騒音書簡」という〈デュオ〉における貴兄を、鈴木創士vs森田潤のそれに投影して聞いてしまう。そんなこと気にしなくていいじゃん、と読者も貴兄も思うだろうが、こちらにそれは無理。この無理を読者には分かってもらえないと思う。というか、この〈分かってもらえないかも〉という関係が、僕が何かを批評するには対象との間で必要なんだ。おれとおまえは関係ない、だからおまえについて何ごとかを書ける、それを他人に読ませることができる──そういう次第。以下はそれを踏まえて読んでいただきたい、皆様。

アルバムに即して具体的に言うと、森田潤を相手にする貴兄と、僕が「騒音書簡」で知っている貴兄がどうしても被ってしまう。貴兄は自分でも書いているように、よく「聞く人」だ。共同作業の現場で、とりあえず自己主張したいというような類の人ではない。相方(たち)との間には決して「非和解的関係」など設定しない。アルバムの貴兄は森田潤に反応し続けている。反応の中に、貴兄の言う「偽古典主義」──僕ならたんに「想起」(過去の音楽の)と言うが、とにかく「古典主義」を規範主義とは解さない──を織り交ぜ、森田の反応を待ちつつ全体に予期せぬ仕上がりを与えようとしている。

ところが森田については、彼の過去作をいくつか聞いてきたせいか、まったく違う感想を持ってしまう。自分と無関係に聞くこともできる。モジュラーシンセは玩具箱のようなもので、一人で実に多様な「合奏」をすることができるだろう。インド古典音楽を一人のモジュラーシンセ奏者が再現(?)したアルバムを聴いたことがあるが、ほんとうに何世紀も前のバンドのようであったし、森田が一人「フリージャズ」を試みてきたことは貴兄も知っての通り。けれども、しばらく前から、森田はそのことに不満を抱いているように僕は感じてきた。演奏において他者を必要としない、ということに。一人でやっていてはいつまでたってもこれは「おれの楽器」にならないではないかと思いはじめたのでは、と。言わばモジュラーシンセを真っ当な一つの楽器にすべく、彼は「反応」してくれる相手を求めはじめたのでないか、と邪推している。それ自体は肉声からもっとも遠い電子音の玩具箱を、肉声にする努力? アノニモ夫人との合作にはそれをはっきり感じた。その相手が今回は貴兄だったのかもしれない。一人で弾く貴兄のキーボードシンセは、モジュラーシンセの相手としてはアナログ楽器だ。一つの、一人の声。アルバムのはじめのほうは、どこが二人なの? 森田のソロアルバム? と聞こえていたが、だんだん〈デュオ〉に聞こえるようになって僕はなぜか安堵した。

ひょっとすると、これは僕の個人的音楽体験史に根差し過ぎた感想かもしれない。というのも、僕にとってパンクもポストパンクも、PILの「フラワーズ・オブ・ロマンス」ぐらいで終わってるのよ。その「あと=ポスト」はほとんど存在していない。基本的にボーカルと打楽器だけ、ギターもベースもなし(実際には色々音色は入っているのだが)で、ロックにできるという証拠に触れて、僕は僕の古典たる「歌」に回帰していったようなところがある。どんな楽器も音楽も「歌」として聴く、というか。以降、ボーカルを入れない、あるいは声を楽器の一つと見なすかのようなバンド──例えばCAN??──はどこか遠ざけてしまっている。萩原健一を超えるパンク歌手が現れないことがすごく不満である。ノイズミュージックには正直に言って、どこか肉声へのコンプレックスを感じてしまう。肉体に近づきたいなら歌えよ、みたいな。

貴兄たちの〈デュオ〉がこれからどうなっていくのか分からないが、貴兄のキーボードがPILの前記アルバム中の≪Francis Massacre≫におけるジョン・ライドンの歌のように聞こえるようになったとき、少なくとも貴兄は紛れもないもない「偽古典主義」者だと僕は納得するよ。まさにポストパンクの「マック・ザ・ナイフ」だったもんな、あれは。森田に手伝ってもらえ。

市田良彦




2023年1月31日

親愛なる友

歌……。すべての音楽、あるいは「音」が、「歌」に収斂するのかどうか僕にはわからない。最初に「歌」があったのか、「歌」とともに、「言葉」やメロディ、リズム、その他のものが、我々の「血肉」になったのかどうかもわからない。ミュージシャンとしても自分でそのことを確認できない。たぶん自分から好んでのことだろうが、僕はとても曖昧な立場にいる。歌は聞こえている。歌はたゆたっている。みんなが歌えばいいと思う。たまにだが、僕のなかに「歌」が響いていることは間違いない。それはひとつの普遍的な経験なのだろう。《どんな楽器も音楽も「歌」として聴く》。なるほどね。これを覚えておかなきゃ。君が言っている意味とは違うかもしれないが、僕の頭のなかのどこかにも「歌」があることはたしかだ。しかし演奏者として言えば、楽器を「歌」と化すのはとても難しい。歌うようにやればいい、ということでないことは僕にもわかっている。

歌……。ところで、正直に告白するが、昔からシューベルトの歌曲とかが好きでね。いまでも聞くことがある。しかし、PILのジョン・ライドンの歌のファンではあるが(Francis Massacreは僕も大好きだよ)、「ロック・ミュージシャン」としての僕にとって、いつも頭のなかにある「歌」はどれなのかといえば、いまでもやはりモンテヴェルディのミサやモーツァルトのレクイエム、バッハのマタイ・ヨハネ受難曲の合唱であるとしか言いようがない。理由はいいろつけることができるけれど、ひとつには、たぶんそれらの歌には、クラシック音楽特有の複雑さの向こうに骸骨のように透けて見える単純ともいえる構造があって、「例えば」古代の石笛の音や、洞窟のなかに反響している音や、チベットの呪文のようなものが、予想に反してかすかに聴こえることがあるからだ。バロック的な重層と拡がりという遠近法が最後に集まる「消点」のその奥から聞こえてくるみたいだ。向こう側から厚みを破る、というか反対向きに穴をうがつものがある。こんなのはなかなかない。ロックにもジャズにもない。幻聴の宝庫といってもいい。脳が痺れるようだ。自分がメロディーを意識しているときでさえ(僕にもメロディーを求めることはあるさ)、僕はそれを聴こうとしてしまう。言うまでもなくエスニックなものそれ自体を探し求めているわけではない。だがこの「例えば」という思想は音楽ではないし、音楽とは関係ないかもしれない。

歌……。僕と森田君の『Last Chance in Koenji』の批評だが、君の言うとおり君が適任でないかもしれないけれど、まず君の感想を是非とも聞いてみたかった。無理強いしました。ありがとう。楽器が一つの声となること。だがジョン・ライドンの歌のように聞こえるようにするには……。僕がやるのかい? オルガンで? えらいこっちゃ! でもいいヒント、というかいい助言をもらったと思っているよ。ジョン・ライドンのことは最近忘れていたが、さっそくPILをあわてて聞き直した。どんな風にやれるかはわからない。森田潤との次回作、あるいはunitPのライブで?

歌……。『フラワーズ・オブ・ロマンス』は僕にとっても特別なアルバムだ。Francis Massacreについて言えば、君の言う「歌」がずばりジョン・ライドンの唄う歌そのものを指しているのか、彼の歌が想起させるものを指しているのか、そうではないのか、いま少しわからないところがあるけれど、この曲の演奏は『フラワーズ・オブ・ロマンス』のなかでもとびきり冴えているというか、とても面白いと思う。太鼓、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ? 全体の出来はともかく、この曲についてはバックの演奏を聴いてしまう。だがこういう見解は、まあ、ミュージシャン目線だから、君が言いたいことに照らせば的が外れているかもしれない。とにもかくにもこのアルバムでは、生霊であれ死霊であれ、逆にシド・ヴィシャスの幻影は消えている(フラワーズ・オブ・ロマンスって元々シドとキース・レヴィンがいたバンドの名前だろ?)。ジョン・ライドンはシドの弔いをやったのか。シドを葬ったのか。こんなことを言うと、反論があるだろうが、このアルバムにはキース・レヴィンのギターもいらないくらいだ。 

鈴木創士




2023年2月28日

同志Sô-siへ、

歌……ゴダールは映像 image と音 son からなる映画 film を≪Notre musique≫(我らの音楽)と呼んだが、僕は音楽と言葉からなるものを「歌」と考えたい。というかそう思っている。音楽と詩を結婚させれば総合芸術としてのオペラが出来上がる、と見なしたワグナーに倣いたいわけではない。音楽に言葉を乗せたり、逆に言葉にメロディーを付けたり、という「歌」作りのノウハウは、いつかはともかく〈後〉からできたもので、あくまで〈はじめ〉に「歌」ありき。音楽よりも言葉よりも先に。

とはいえルソーばりの「自然状態」を信奉しているわけではない。鳥の囀りに音楽と言語の共通の根を置くようなね。そんなものはまさに〈後〉から成立した幻想か、「曲=歌」作りのための一種の作業仮説だ。

「歌」が音楽と言葉からなるという状態はむしろ、音楽と言葉の分裂を指し示しているように思う。音列だけがあるのに言葉を聞き取ってしまう、言葉の意味の向こうに音楽を聞いてしまう、その経験が僕の言う「歌」だ。ある曲に別の曲を重ねてしまう場合も、過去の詩から別の詩を作るときでも、僕に言わせれば「歌」を作っている。「今」の「私」、「私」の「今」を分割している。一方に身体を、他方に観念を置いても同じこと。懐かしく知っているものと、味わったことのない感覚の交差。そして、この状態について僕にもっともしっくりくる記述はパスカルのものだ。「人間はかくも必然的に狂っているので、狂っていないことも、狂っていることの別の顔であるだろう」。分かりやすく、同時に「二つ」であることと言ってもいいけれども、この「二つ」の共存と交代に人間はふつう耐えられない。だから「歌」を、狂気と理性のように音楽と言葉に分離してしまう。それでもほんとうは「一つの回転体」だと知っているから、気づいているから、分離した上で総合を考える。「回転体」をねじ伏せようとする。それがワグナーであり、ルソーであったろう。

ねじ伏せる別のやり方が、一方では純粋音楽に立てこもりつつ、他方で「これ」こそ詩であると宣う(逆でもいい)、「二つ」を互いのミメーシスである関係におくような美学であるだろう。音楽を詩の、詩を音楽の隠喩であるかのごとくに語る立場だと言ってもいい。この書簡の最初のほうで述べた僕の隠喩嫌い(前回も振り返ったはず)は、間違いなくそういう美学や語りへの反発から来ている。昔話をして恐縮だけれども、もう15年も前の本になる僕の『ランシエール──新〈音楽の哲学〉』はそんな反発をベースにしていた。ランシエールには僕の個人的な反発の歴史的由来を教えてもらったような気がして、今でも感謝しているけれども、あの頃も今も、あるいは今ではいっそう、ではどういう「歌」ならそんな隠喩ごっこ──そう言ってしまおう──を抜け出せることになるのか、という点では、彼には不満がある。抜け出そうとするのは一種の前衛主義で、それこそ近代美学の最たるものだ、と言うに止めるからである、彼は。美に宗教の後継を見ておしまいにするから、と言い換えてもいい。かつての神の位置に、あるときから人間は美を置いた。いずれにしても、隠喩するものとされるもの(人間と神、音楽と詩、等々)の間には「似姿」の関係があり、どちらが根本的モデルというわけではなく、ただ相互送付する隠喩があるのみ。そう主張するランシエールに対しては、僕としては、音楽や文学は宗教の代わりに果たしてなれたのか、と強く思う。パロディーにはなれたかもしれないが。

彼がけっして見ようとしないのは、美が一つの規範であること。醜くては、かっこ悪くてはいけない、とそれは命じる。そんな規範は、間違えるなとか正しくあれという別種の規範(論理的規範と倫理的規範)の否定としてしか存立しえない。意味を持たない。オレはろくでなしだがかっこいいだろ? それが美というもの。そして諸規範にはすべてを支える最高規範、普遍的規範などない代わりに、規範に合わせよう、正常化しようとする機能的一致がある。思い切り端折って言ってしまえば、狂うな、パスカルを認めるな、それが諸規範の収斂点において発せられる命令だろう。

だから僕の言う「歌」は、これも端折って言ってしまえば、音楽や詩によってたえず正常化されよう(美しい何かに変えられよう)としているノイズ、雑音、騒音なのよ。音楽と言葉の合体に孕まれる「耐えられないもの」。狂え、とか、ひたすら轟音を出せ、とか、ましてアナーキーにやれ、というのとはまったく違う。そんなのは美的規範の一つにすぎない。ヤク中のオレってすごいだろ、みたいなツッパリにすぎん。もしくは、惨めな前衛主義。それよりはワーグナー的に「二つ」の幸福な結婚を追求しているほうがまし。そんな結婚はどうせ破綻するし。「耐えられないもの」がいつか頭を擡げる。「運命論者ジャック」かな? 現代ではノイズを言語として差し出すミュージックだけが「歌」だとわりと本気に思っている。狂人の私的言語ではなく、あくまで「通じる」言語として。そこにほとんど生歌のないことはやはり悲しいけれど。久しぶりにゴダールを見てそんなことを考えた。Notre musiqueは「耐えがたい」。これを美しいなどと言うな。

市田良彦




2023年3月31日

Mon camarade

僕も音楽と言葉の通常の合体には耐えられない。まあ、他人がうたっている歌を聞くとき、僕はほぼ言葉の意味を無視する、というか耳にほとんど入ってこないから、別にそれほど嫌悪感はないのだが、自分でやる音楽となると話は別だ。僕は他方にあるのが「詩」であるとは今まで思えなかった。はたしてそれは詩なのだろうか。もっと別のものがあるのではないか。音楽と言葉。それらはいまだに僕のなかで互いを打ち消している。意味は違うが、その反動なのか、プレスリーとかバルバラのシャンソンとか、ポップスを爆音ノイズでやりたくなるのだが、それはそれで難しい。ところで、歌に関して、新しいニュースがある。EP-4 unitPに若い女性ヴォーカルに入ってもらうことにした。メンバーの了解はすでに取りつけてある。君の「歌」談義には考えさせられるものがあったし、感化されたのかもしれないね。森田潤との第二弾にも入ってもらおうと思っている。まだ詳細は明かせないけれど、これは新しい展開にはなるだろう。しかし妥協の産物にならないように気をつけなければならないと思っている。僕にとっても完全に未知数だ。彼女に歌の経験はない。

ランシエールを批判して、美は一つの規範だと君は前回の手紙に書いているが、僕にもそれはわかるよ。この規範には意味も意味に対する解釈もないし、その必要もない。アントン・ヴェーベルンは「生きること、それは一つの形を守ることだ」、と手紙に書いていたが、彼にとって生きることは、十二音階の音楽をつくること、彼にとっての美の破調、「ウィーンの危機」をつくり出すことだったのだから(これらは前衛主義とは何の関係もない)、似たようなことを言っているのだと思う。たとえ彼が最後はベランダでタバコを吸っているときに誤ってアメリカ兵に射殺されたのだとしても、それが生きることであり、ヴェーベルンにとって手に負えない必然だったのだろう。ヴェーベルンを聞くと、どうしても世界大戦時のヨーロッパの「塹壕」を思い起こしてしまう。

規範、形……。形というのは形態でもあるし、形式でもある。形はどこから来るのだろう。狂ってないものが狂っているものの別の顔であるように、真理に対する生の形式は、必然的に人は狂っているのだから、賭けのなかにあると言っていい。パスカルはそうも言っていた。生が強要する美はそんなやわなものじゃないし、断崖絶壁にある。いつも賭けられているものがある。ノイズが音楽や詩によって正常化され、美に変えられようとすればするほど、僕にとってノイズはパスカル的な「賭け」でもある。

マラルメが言うように、偶然はその点で廃棄されるのだろうか。そうであれば、規範、形、形式は移動を始め、別の感覚の領域に移ることになる。そうはいっても偶然と音楽の字義どおりの結合は美の硬直した形式でしかないと感じざるをえなかった。ずいぶん前、スコアどおりにジョン・ケージを弾くピアニストと二人で現代音楽の解体みたいなことをやったことがあるが、すぐに飽きてしまった。ジョン・ケージの重要さを認めるにやぶさかではないが、僕はどうもケージが好きになれなない。彼の音楽が表しているとされるように、規範、形において、純粋に偶然だけが介在できるのか。それが何かになるのか。少なくともそれは「歌」にはならない。

君の隠喩嫌いに照らせば、ますます偶然は廃棄されるはずだ。ブルトンを俟つまでもなく、現実のなかにある偶然なるものは隠喩的作用を免れない。あちらとこちらが、突然にしろ、くっつくのだから。君は隠喩を嫌悪していると言うが、君は直喩も退けているのだから、君が嫌悪しているのは隠喩だけではなく、言葉と言葉のある種の関係かもしれない。その関係はひとつの認識ではあるが、しかしその逆に、隠喩的でない関係が必ずしも現実を構成しているのではなく、言葉の関係にあって現実をつくりだしているのは、たとえ「喩え」を成立させているかのように見えるとしても、むしろそれらの言葉それぞれの独立性だと僕には思われる。そうでなければ、それがいまだに僕にとって何なのかはっきりわからないにしても、「詩」は存在できないだろう。

鈴木創士




2023年4月30日

鈴木創士殿、

もうすぐ「5・21」40周年ライブなんだね。その機会に君が、別働隊unit PとはいえEP-4にヴォーカルを入れるとは嬉しいニュース(にしてもPって何?)。たまたまマーク・スチュアート(The Pop Group)の訃報に触れたタイミングでもあったので、昔のことを思い出した。僕はあの頃、佐藤薫とマーク・スチュアートを頭の中で拮抗させていた。EP-4の曲に歌詞はないけれど(それが遠藤ミチロウのファンであった僕には物足りなかったわけだが)、アルバムタイトルの「昭和崩御」という日本語が、マーク・スチュアートが歌の中に差し入れた“We are all prostitutes”という英語のフレーズと、響き合った。二つのバンドの「音」の同時代性みたいなものに、言葉の共鳴がリンクした。乗っかった。僕にとっては時代そのものの一つのアイコンになるくらいに。しかし、思い出したのはそのことじゃない。「昭和崩御」という語はEP-4には「歌えない」、もし歌えばEP-4の曲にならない、と痛切に感じたことだ。同時に、佐藤薫はうまいやり方を発明したものだな、と。語を歌詞の外に放り出して「音」の中に入れる、というやり方。それがなければEP-4とThe Pop Groupが僕の頭の中で拮抗することはなかった。そしてこの拮抗する一対がYMO的「アジア」と対立することも。さて、来る5月21日に、君はバンマスとして君の歌姫にどんな「歌」を唄わせるのだろうか。楽しみにしている。

よもや日本語詞を乗せることはあるまい、とは予想する。単語の絶叫(?)ならあるかもしれないが。しかしどうして「よもや」なのか。大昔の論争──日本語にロックは可能か──に絡めて言っているのではない。論争にはもう決着がついているだろう。日本語が乗るロックは「ある」ということを、数多のミュージシャンが実証してきた。あの論争は問題の立て方が間違っていた、と。内田裕也にとっての「ロック」には確かに日本語は乗らないだろう。しかしこの決着の仕方が、改めて僕に思わせてしまうわけだ。EP-4の「音」には日本語詞は乗るまい。君も書いていたね、プレスリーやバルバラを爆音ノイズでやりたくなる、と。忌野清志郎でも美輪明宏でもないわけだ。それでもプレスリーやバルバラを爆音ノイズでというところに、僕は日本語問題を感じずにはいられない。君が日本語で文学を実践する人間であるという事実との因縁を。早い話、アメリカ人ならプレスリーを、フランス人ならバルバラを「破調」させてみたいと思わんだろう。思うアメリカ人やフランス人もいるかもしれないが、君の欲望が「マイウェイ」を「破調」させたシド・ヴィシャスと同種のものだとは思えない。君の言う「爆音ノイズ」はむしろ、かつての佐藤薫の「昭和崩御」に近しいと感じる。日本語が乗らない「音」に招き入れられた「日本語」。

「音」と「言語」の鈴木創士的関係(佐藤薫的と言ってもとりあえず良いのだが)に、ヨーロッパにおいて近しいと僕が感じるのは、例えばエイミー・ワインハウスだ。彼女の歌は一面、実に痛々しい。それは、彼女がドラッグに溺れていたこととは何の関係もない痛々しさである。歌い方、英語の発音の仕方に僕はそれを感じる。彼女がトニー・ベネットとデュエットしたスタンダードナンバーを聞いてみてほしい。ベネットの歌い方と発音の「自然さ」と対照的な、彼女のそれの「不自然さ」が実によく分かる。彼女の歌声が、昔日の甘いポップスとは決定的に異質でどこか「よくできたモノマネ」のように聞こえてくる。その結果、彼女の自作曲まで違って聞こえてくる。”My tears dry on their own”などそれ自体として実に見事な詞だと思うけど、その見事さが歌い方の「無理」と人工性に支えられているように。彼女が薬に溺れたのは、あくまでこの「無理」の結果だと僕は思う。どう憧れても決して同じになれないもどかしさを一つの「形」(鈴木創士用語のつもりで書いている)にし続ける「無理」の結果。以前ここで紹介した小説『鑑識レコード倶楽部』の隠れた主人公、あのウェイトレスは僕の中ではエイミー・ワインハウスだった。

もう一つ、例を挙げたい。今度は君が文学者であることに関わる例。怒るかもしれないが、最近実際の映像を見て君のことを思い出さずにはいられなかったのよ。ピアノを弾くサルトルだ。ドビュッシーか何かを弾いているのだが、これがまた実に下手くそで、演奏の体をなしていない。というか、彼には1、2小節ごとに立ち止まらないと次に進めないという癖がどうもあるらしい。指はある程度動いているのだから、ちょっと練習すれば下手でもそれなりにスムーズに弾けたろうに、どうもそういうことではないらしい。休止を入れることでいちいち聞く時間、味わう余裕を作っているように見える。この独特の時間性が、彼の文章、特に哲学や批評のフィールドにおける文章の、延々ととぐろを巻くような時間性とあまりにかけ離れていることに、僕はある意味安心した。サルトルにおいて言葉と音楽はまさに無関係。両者の関係に関しては、ニーチェがくどくど言うことよりよほど信頼できると思った。

要するに、無関係という関係にも色々ある? 言語的ないし音楽的「規則」にしろ、チェスのルールのような側面(無視すれば会話が成立しない)から、料理のレシピのような側面(無視しても食える)まであるのと同じかもしれない。

市田良彦




2023年5月21日

親愛なる市田

前回の君の手紙に答えるべきことが色々あるようだ。

無関係のあり方も千差万別。僕は勝手にその一つをアラン・バディウ風に「非-関係」と呼んでいる。サルトルの話はすごく腑に落ちるし、怒るどころか、光栄だよ。サルトルの哲学や文学に影響は受けなかったが、彼が毛沢東派とつるんでいた『人民の大義』の頃も嫌な感じはしなかった。彼のピアノ! とても興味深い。延々と続いてとぐろを巻く文章、覚醒剤的効果にも思えるあのサナダ虫のようなセンテンスとの違いか。なるほどね。それならサルトルの文章のなかにも言うところの「非-関係」を探してみるべきかもしれない。何か発見があるかもしれない。

サルトルの歩く姿が目に浮かぶ。ラスパイユ通りだった。たぶん彼の住まいの近くだったと思う。薄茶色のジャンパーを着て、背の低い、藪睨みの老人とすれ違った。近くにはたしかロダン作のバルザック像があった。眼鏡をかけたちっちゃなサルトルと腹を突き出した堂々たるバルザック。しかも「人間喜劇」だ! 対照的人間喜劇。コントラストをなしている。できすぎだとは思ったよ。僕は若かったし、映画を見ているみたいだった。舞台装置はそろっていたが、「人間喜劇」にしては、サルトルは憮然として歩いていた。サルトルは、何ていうか、共同体から離脱した、それでいて市井の人のようだった。

ごめん。誤解させたね。君が見たとおり、5・21に女性ヴォーカルはなしでした。いくら何でもまだ一緒に演奏は無理だと思っていたので、まだ先の話だと思っていた矢先、この話はお流れになった。向こうの事情によるのだけれど、僕のほうから若い彼女に無理強いは絶対にしたくなかった。先走りすぎたけど、彼女を見ていて、やらない可能性があることを考慮に入れてはいたけどね……。残念だけど、仕方がない。バンドには色々ある。しかしヴォーカルがいようがいまいが、「歌」なるものをどうするのか? 「歌」なのね、結局は。君が言う意味で。EP-4 unitPに若い女性のヴォーカル(我々はじじいバンドなので)というか、ヴォイスが欲しいとは前々から思っていた。ヴィジュアル的にというわけではなかったが(きっと人はそう思うだろう)、ぼんやりとした音楽的構想はあったんだ。それにしても大変な課題を僕は背負ってしまった。僕自身の演奏の質も変わらざるを得ないだろう。すでにその感覚があるにはある。実際、先日の5・21の「演奏」にはそうとは聞こえない「歌」が少し入っていたと思うんだけど、どうかな。エイミー・ワインハウスか。たしかに彼女はニーナ・シモンより弱々しいし、痛々しい。歌手としての人格もずれているし、言葉が浮いて歌詞からずれ始めるかのようだ。そこが彼女の本質であるのだろうし、魅力なのだろう。早死にする感じがすでにあったなあ。でもunitPに必要な女性ヴォーカルはエイミーではないかもしれないが、『鑑識レコード倶楽部』のあの謎のウェイトレスがエイミーだとする君の意見はわかる気がする。我々の歌姫はみんな病んでいる。森田潤との第二弾をつくっているが、それには女性の声が入る予定だよ。こちらはもう録音済み。

君の見立てというか直観は鋭いね。白状すれば、君の言うとおりだよ。かつてEP-4とThe Pop Groupは音楽的に似たところはないのに、当時、少なくとも僕にとって切り離せない関係だった。僕はひそかにThe Pop Groupを意識していた(ステージで覆面するのはマーク・スチュアートより我々のほうが早かったはずだけど)。この意識化はどこからやって来ていたのか。僕にとってお手本となったのは、ヴェーベルン、ヴァレーズ、シュトックハウゼンだった。決してブーレーズやフランス人たちではない。ベルクでもなければ、ケージでもない。アメリカ人なら、ヴェルベッツだったけれど、EP-4はロック・ミュージックではない(そういえば、unitPは印象としてEP-4本隊よりロック的かもしれないな、それからついでに君の質問に答えるなら、PはpseudoのP、つまり「偽」のユニット、もしくはチンピラのPだ)。そしてこの意識化の裏には佐藤薫によるブラック・ミュージックがきっちり潜在的リズムとして控えていなければならなかった。だけどミュージシャンとして彼の考えや思惑を演奏に生かすことは、正直言って、とても難しかった。それに君の言う「昭和崩御」や“We are all prostitutes”という言葉をEP-4の「言葉」として「抽象的」な手段としてさえ佐藤薫に歌わせてはならないと僕は思っていたのだから。EP-4に「歌詞」があったとしても、それは「音」と入れ子状になっている。それが君の言う佐藤のうまいやり方だったし、「発明」だったからだ。

鈴木創士




2023年6月28日

創士くん、

せっかくだからアルトーに託けた話をもう少しだけ。君の音作りに一定親しみ、君の小説を読み、また「偽の古典主義者」だという君の自己規定を知るにつけ、常々考え込んでしまう問いがある。これのどこにアルトー的なところを見出せばよいのだろう。アルトーの写真を使ったライブもあったし、彼の声を使った動画もなかったか。そうした引用をさておいても、僕は君がアルトーについて直接語っていることに僕の問いに対する答えを見つけてはいけない気がしていた。そんなことをすれば、どんなアルトー愛好者の作品も「正しく」アルトー的と言わなくてはなるまい。作品レベルの違いが見えないどころか、固有にアルトー的なものなど何もないと言うに等しい。

この書簡を続けているうちに、分かったことが一つある。この書簡もまた君の作品であるとしてだが、君は全くもって非アルトー的な作品も作ることができるからこそ、君にとってのアルトーを血肉にすることができるのであろう。この書簡の君は彼からはかぎりなく遠い。僕は少なくとも、彼から手紙を受け取ったリヴィエールのような気分になったことがない。この往復書簡もいつまでも続けていけるような気がする。それは単純に、言葉をやり取りする上での「破綻」がないから。そして君はどうやら、振り返って君の他の作品を思い出すに、「破綻」を「作品」にしたいという衝迫と熱に駆られているようだ。爆音でスタンダートを演奏したいという呟き然り、ヴェーベルンと塹壕の風景を重ねる連想然り。君がライブで時折、耳に馴染み深いメロディーを無秩序な音群に挟み込むことなお然り。同じようなことを往復書簡でやられれば、僕のほうは「何を言っとるの?」でおしまいだろう。それをここでしないこと、持続的一作品化の可能性そのものが極めて危ういこういう場でそれを避けていることが、僕には君が「破綻」の作品化の何たるかを心得ている証のように思える。

「破綻」はプロセスだ。最初から壊れているものは端的な無や死や沈黙とほぼ変わるところがない。何も言わない。「破綻」もまた、行き着く先にそういう状態を眺望させるには違いないけれども、ほかならぬ「まだそこではない」という事態が、そんな終わりへの抵抗を感じさせる。つまりプロセスには「破綻」に逆行するベクトルもまた含まれている。そして作品になった「破綻」は、作品が終わる瞬間に、プロセスの全体をひっくり返す。この「終わり」は作品がそこから生まれたのと同じ「無」であった、「はじまり」の場所であった、と告げる。作者による「終わり」の宣告──ピリオドを打つ/演奏を止める──は、これ以上ない「破綻」と「無」への抵抗の言葉──〈我々は振り出しに戻ったにすぎない〉──であろう。アルトーは彼の詩を破綻させた「空虚」あるいは「狂気」に近づこうとしなかったか、近づくプロセスをその後の作品にしなかったろうか、と君の筆と音は僕に思わせてくれる。

だからこそ思う。こんなふうに対象化して言えてしまう現代とはいったいどういう時代なのだろう。一方において「破綻」しない言葉のやり取りを続けつつ、あるいはそれを続けることができるからこそ、他方において「破綻」の作品化を試みることのできる君──まっさきに思い浮かぶのは『うつせみ』だ──が生きた証人である、この現代とは。アルトーと同時代に生きていれば、少なくとも僕は今のようには彼や君の作品を読めなかったろう。彼があの時代に狂人であったとして、現代人である僕にはむしろ、一切の「破綻」を退けようとしてあらかじめ「書く」手法を作り、種々の手法に忠実であろうとしたがために作品を自死でしか締め括ることのできなかったルーセルのほうが端的に狂っているように見える。アルトーとは異なり、まともに読めない作品を機械のように書き続けた彼のほうが。自死以外の終わり方では「破綻」に屈したことになる、とでも言いたげだ。僕には、誰か一人を特に現代的な作家──小説家であれ詩人であれ音楽家であれ──として例に挙げることができない。作品を作ろうとする人たちの全体が、一人のレーモン・ルーセルのように思える。みんな、「ジャンル」の規則──これも手法には違いない──に汲々としているではないか。アルトーやルーセルがそれぞれの固有名を持って作家たりえた時代はむしろ幸福であったと思う。そして、そうだとすれば、本性的に「破綻」の繰り返しである「歴史」はほんとうに終わったのかもしれない、とも。

けっしてポストモダニズムに白旗を上げているのではない。アルトー的「破綻」とそのルーセル的欠如の間の隙間からいったいどんな作品が生まれてくるのか、とひたすら期待している。ひょっとすると人間はようやくホメロスの時代に戻りつつあるのかもしれない。まだ文字が一般人の間には存在しなかった時代の叙事詩は、「歌」でしかありえなかったろう。そうでなければ、いかに天才といえども作品を諳んじることはできなかったろう。文学にも音楽にも先立つそんな「作品」を目指してほしいと心の底から願う。ただ読めてしまう、聞けてしまう「作品」を。

市田良彦




2023年7月28日

親愛なる市田君、

アントナン・アルトー。ひとつの名前。単純にして同時に複雑な署名。僕が最初に書いた本は、『アントナン・アルトーの帰還』だった。小説仕立てだったが、監禁されていた精神病院を退院して、アルトーがパリへ戻ってくるところから始まる。精神病院で書かれた『ロデーズからの手紙』(その前にたらい回しにされていた精神病院では、自分が誰なのかもわからないくらい狂っていたらしく、何も書けなかった)を読めばわかるように、あれほど振幅の激しい「狂人」だったアルトーが、その直後、どのようにして晩年二年間で書いたような超明晰な作品を書くことができたのか。かつて彼は完全に彼岸の人ではなかったのか。十代の頃に読み始めて最初の衝撃を受けたが(思考の不能性、思考の中心にあいた空虚……)、それからずっとアルトーは僕にとっての「謎」だった。「生」が何であるかを考えるとき、アルトーの激しい「生」が苦しみとともに産み出した(あるいは流産した)文章を無視することはできなかった。しかしとりわけアルトーの晩年の「生」の思想は有機性としての生命を否定し、裏返すようなものだったことに留意しなければならない。彼は単に「呪われていた」だけではなかった。君が言うように、たしかにルーセルのほうが「狂って」いると僕も思う。アルトーは自殺についても否定的だ。アルトーにとって、ルーセルのように自殺はひとつの解決にはならなかった。

アルトーは僕に何をもたらしたのか? 「物を書く人間」として? 環境、教育、政治、経済、人格、性質、それらがその人をつくりあげてきたと人は言う。ルソーだってブルデューだってそれなりに正しいことを言っているのだろう。つまり「文化」? だがアルトーの生も、それを生きたアルトー自身も、はっきりと「文化」を拒否した。アルトーの母親は教育熱心だったのか? ランボーの父親は冷淡な人間だったのか? だが彼らの「作品」を前にするとき、君もそうだと思うが、作品を読み、読み解くにあたって僕はそういうことにほとんど興味がもてない。そのような「心理学」だけが結局生の問題である作家や評論家たちはいまでも大勢いるだろう。しかし心理学は最終的に「破綻」に行き着けない仕組みになっているのだから、生は非心理学的「破綻」によって別のものを別の仕方で思考する。それは形式の強要と必然、そして内容の空虚の間を揺れ動く。だから僕にとって「文学」は「実在」にほかならず、存在論、とりわけ奇妙な存在論であり、不確実性であり、(疑わしい)知覚の(未知の)ゾーンであって、この実在がどのように変化するのか、世界や世界の知覚やそれにさらされる自己に対して決定的な何かを与えるのか、そしてそれは感知できるのか、その真理と偽なるものの関係が何をもたらすのか、それだけがたぶん僕の逆説的な「数学」なんだ。だからそこには必然的にペシミズムもユーモアも発生する。そのような「真理」と格闘していたアルトーこそが、僕に大きな本質的「矛盾」をもたらした。

ところで、ご存知のとおり演劇家でもあったアルトーは、あるときエドガー・ヴァレーズとともにオペラを構想したことがあった。あの早い時期にアルトーはヴァレーズを評価していたことになる。何しろヴァレーズだぜ。オペラは実現することなく幻に終わったが、この幻がときおり僕にかなり鮮烈な合図を送ることがある。もちろん僕もアルトーが演出し出演した芝居を生で見ることはできなかったわけだし、映像もない。唯一、ラジオドラマ『神の裁きと訣別するため』の録音が残されているだけだ。だが、その録音に加えて、彼の演劇論などを読むと、生涯を通じてアルトーが音に敏感だったことが何となくわかる。それは彼の提唱する「残酷の演劇」の思想に属していたと考えることができる。時代状況を考えると、音楽の専門家でもない当時のフランス人がこのようなセンスをもつことはかなり考えにくいことだ。音楽音痴だったブルトンが目に浮かぶ。たぶんアルトーには音に対するイメージがかなりはっきりあったのだろう。僕もまたその幻のオペラやその音のイメージを想像する。いや、想像じゃない。むしろそれを勝手に、根拠もなく、自分流に「予感」すると言ったほうがいいかもしれない。とりわけ森田潤とのデュオは明らかにそのあたりから出発している。僕にとって、「音楽」と「文学」の関係はいまだそのようなものでしかないのかもしれない。

鈴木創士




2023年8月25日

鈴木創士兄、

アルトーとヴァレーズの話は、以前、貴兄の文章で読んだ記憶がある。そのときにも思ったが、アルトーはヴァレーズの特にどの曲にどのように惹かれたのだろう。文献的には知りようないかもしれないが、話をわかりやすくするためと、この書簡で取り上げるにはいかにも相応しかろうとも思うので、「騒音主義」の代表曲と言われた「イオニザシオン」だと仮にしてみる。まず思うのは、あれは「騒音」か? あれをかつて「騒音」視させたのは今となってはひたすら、伝統的なオーケストラ編成が出す音色にすぎなかったであろう。さらに、音楽は旋律と和音から構成されるという観念であったろう。今となっては、「イオニザシオン」は打楽器群のみごとに構成されたアンサンブルとして聴かれ、どこにも「騒音」性など聞き取られないだろう。アルトーはそんな歴史的に相対的な──文化的と言い換えてもいい──「騒音」性に惹かれたのだろうか。アルトーをめぐる貴兄の文章を読んでいると、そうではなかったと貴兄が考えているように思えてくる。何か絶対的に「騒音」であるもの/ことがあり、その「もの/こと」は物理的/生理的な「音」に還元できないかもしれないが、その「もの/こと」に媒介されてこそアルトーとヴァレーズの共演は構想可能であった、と。絶対的騒音は存在するのだ、と。

そうかもしれないし、そうであってほしい、と僕も思う。ただ僕はそれを「生」に関わる何かに引き寄せる──その「生」が有機であれ非有機的であれ──ことに対しては、現在ではとても警戒している。演劇と音楽の両方から見ての警戒だ。デリダの有名な託宣がある──「残酷演劇はreprésentation〔何かの再現〕ではない。それは再現不可能な部分によってまさに生それ自体なのだ」。たぶんこの託宣にも影響されてであろう、アルトー全集の編者ポール・テヴナンは、残酷演劇を実際に舞台化する試みを拒み続けた。アルトーの「生」だけが残酷演劇である、という論法で。音楽はとりあえず再現芸術ではないから、残酷演劇の音楽化の試みには彼女も同意したかもしれないが、デリダの託宣をまともに受け取れば、それも許されないのではないか。絶対的騒音が「音」そのものではなく「生」のあり様であるのなら。残酷演劇と絶対的騒音の理念的カップルは、アルトーの舞台化と音楽化に「否」、「不可能」と言い続ける。とにかく、やめておけ、と。

いや、そんな「否」と「不可能」をまともに受け取りつつ〈アート〉しようとした実例は、あるではないか、と僕はデリダとテヴナンに言いたくなる。念頭にまず浮かぶのは、Throbbing Gristle / Psychic TVのジェネシス・P-オリッジだ。彼/彼女のDisciplineという曲が想起される。彼/彼女はアルトーのラジオ放送をアルバムに使ったこともあったはず。面白いとは思うんだ、そのDisciplineという曲は「聞いても/(ライブ映像を)見ても」。ひたすら「我々にはある種の規律some disciplineが必要だ」と呪術師ばりに唸り、観客を挑発する。「規律」に対するアイロニーとも、 今とは異なる別次元の「規律」を本気で求めているようにも受け取れる。音も舞台パフォーマンスもそれに見合っている。しかし、Throbbing Gristleというバンド名〔今まさにビクビクと射精している男根〕、つまり『戴冠せるアナーキスト』のアルトーを想起させなくもない「コンセプト」が、僕をすぐさまこの作品にうんざりさせる。これでは「痙攣」と「賢者タイム」の繰り返しではないか。そんなセックスは退屈だ、とP-オリッジに向かって言いたくなる。彼/彼女はたしかにアルトーのように「生きた」ところがある。性を変え(どこまでかは知らないが胸はいつの間にか膨らんでいた)、おかしな宗教教団を作り、故郷を追放され…。この生きた縁まで「作品」に含めれば、テヴナンもP-オリッジにアルトーの後継を認めることにやぶさかではなかったかもしれない。しかし、僕は彼/彼女の「思想」にはまったくそそられないし、「痙攣」と「賢者タイム」の繰り返しには正直、つまらんと思う。残酷演劇の「作品」化とはこんななのか??

そんなはずはなかろう、と、ほかならぬ『演劇とその分身』をちらほら読んで思う。たとえばこんなフレーズを序文に見つけた。「そしてそこにあるフォルムの強度は、ひたすらある力を誘い込み、捉まえるためにある。その力が音楽において、悲痛な鍵盤を目覚めさせる」。「そこにある」のはメキシコの半蛇神の絵のようなのだが、これは立派な演出プランではないか。舞台装置と音響を繋ぐやり方。少なくとも、「シコって発射せよ」みたいな指示とはまったく違う。ドラマトゥルギーを作ろうとしている。ただその素材と原理が当時の「文化」的基準から外れていただけだろう。音楽としての「イオニザシオン」がそうだったように。ドラマトゥルギーは「痙攣」を「作品」に回収してしまうかもしれないし、やがて相対的騒音を完全なる非騒音に変えてしまうかもしれない。けれども、残酷演劇は「作品」化を排するものではない、と教えてくれる。「生」に向かって逃走せよ、というメッセージではなおのことなく。絶対的騒音はそれを否定する音群構成の中にしか聞かれず、残酷演劇はその不可能を否定する演出の中にしか見て取れない。いずれにしてもドラマトゥルギーの効果。「これも」あり、と示さなければ、「あれ」はない。P-オリッジには「痙攣」と「賢者タイム」だけではない快楽を演出してほしかった。

市田良彦




2023年9月25日

親愛なる市田君、

アルトーがヴァレーズとオペラを作ろうとしたのは、1932、3年頃だった。ヴァレーズの「Ionisation」も「Octandre」も作曲されていたが、レコードもないし、演奏会も稀だったのだから、アルトーはヴァレーズの音楽を聞いていない。アルトーの独自性を理解し、オペラ台本を依頼したのは、ヴァレーズのほうだった。だがすでにこの時点でアルトーには「音」に対する感覚と考えがあった。アメリカ的な(南米を含む)ヴァレーズとヨーロッパ的極点であるヴェーベルンを聴き比べてみるなら、ヴァーレーズには明らかに「ノイズ」があるし(クセナキスやシュトックハウゼンは後の世代だ)、むしろアルトーの音に対する考えとヴァレーズの新しい音造りの局面が、はからずも一致したのだと思う。あるいはアルトーはむしろ50年代のヴァレーズを先取りしていたとも言える。以下は、「残酷の演劇」(『演劇とその分身』所収)に関するアルトー自身の言葉の引用です。「音」に関するところをピックアップした。長くなるので今回は引用だけになりそう。


しかし表現のまったく東洋的な意味をもってすれば、この客観的で具体的な演劇の言語は諸器官を追いつめ、締めつけるのに役立つ。それは感受性のなかを駆けめぐる。言葉の西洋的利用を捨てるなら、それは呪文の語をつくりだす。それは声を発する。それは声の振動と特性を利用する。それは狂ったようにリズムを足踏みさせる。それは音を砕く。

「残酷の演劇(第一宣言)」


加えて音楽についての具体的観念があり、音は登場人物のように介入し、ハーモニーは二つに断ち切られ、語の正確な介入のなかに消える。 さらに器官によって感受性に直接深く働きかける必要から、音響的観点からすれば、絶対につねならぬ音の特性と振動を、現在の楽器がもっていない特性、しかも古いか忘れられた楽器の使用を復活させるように駆り立てる特性を探し求めるか、それとも新しい楽器を創りだすべきである。それらの特性はまた、音楽とは別に、金属の特殊な溶解や新しくなった合金に基づいて、オクターヴの新しい音叉に達することができ、耐え難い、神経にさわる音や騒音を生み出すことができる道具と装置を探し求めるように駆り立てる。

もし、消化のためにある今日の演劇において、神経、要するにある種の生理学的感受性がわざと脇に置かれ、観客の個人的アナーキーに委ねられているとしても、残酷の演劇は感受性を獲得する確かで魔術的な古い手段に立ち戻るつもりである。これらの手段は、色彩、光、あるいは音の強度のうちに存していて、振動、小刻みな揺れ、音楽的リズムにせよ、語られた文章にせよ、反復を利用しており、照明の色調や伝達の包み込みを介入させるのだが、不協和音の使用によってしかそれらの十全な効果を得ることはできない。

(第二宣言)

アルトーの未完の台本「もう大空はない」には例えばこうある。

闇。この闇のなかの爆発音。ハーモニーがぷっつりと断ち切られる。なま生の音。音の響きの消去。音楽は、遠くの大異変の印象を与え、目もくらむ高さから落ちてきてホールを包み込むだろう。和音が空で始まり、そして崩れ、極端から極端へと移行する。音がまるで高い所からのように落ちて来て、急に止まり、ほとばしるようにひろがり、ドームやパラソルを幾つも形づくる。音の階層。…中略…音と照明は、壮麗化したモールス信号のぎくしゃくした動きをともなって不規則に砕け散るが、それは、モールス信号とはいえ、マスネの『月の光』とバッハが聞いた天界の音楽の違いと同じようなものになるだろう。

これらの台詞は叫び、騒音、すべてを覆う音の竜巻の通過によって断ち切られる。そして、耳につくばかでかい声が、意味のわからないことを告げる。

しかし、ほどなく、舞台で見出されるべきあるリズムに従って、声、騒音、叫びは、奇妙に響きがなくなり、照明も変質する、まるで竜巻に巻き上げられて、いっさいが空に吸い込まれ、騒音も、明かりも、声も、天井の目もくらむ高みにあるみたいに。

それから、奇妙な太鼓の音がすべてを覆う、ほとんど人間がたてる物音のようで、始めは鋭く最後は鈍いが、しかもつねに同じ音だ。すると巨大な腹をした女が一人入ってくるのが見え、その腹を、二人の男がかわるがわる太鼓のバチで叩いている。

歌声が溶け、言葉を運び去り、叫び声がいっせいに起こるが、そこには飢え、寒さ、激しい怒りが感じられ、情熱、満たされない感情、そして悔恨の観念が伝わり、すすり泣き、家畜の喘ぎ、動物の呼び声が起こると、この合唱のなかで群衆が動き出し、舞台を去り、そして舞台は少しずつ声と照明と楽器の夜へ戻る。


鈴木創士





2023年10月28日

レディース・アンド・ジェントルメン、

みなさんに向けて今回は書きます。前回の鈴木創士からの手紙は「まだ」私に宛てたものとは受け取れません。アルトーの言葉を自分のものとして私に届けているわけではなさそうだし、自分の言いたいこともまだ書いていない。これをどう読む?と問われてもいない。まだ続きがある状態で私は言わば放り出されています。しばし待てと言われています。返信を禁じられているわけです。ここはアルトー論を展開する場としてふさわしくない、というより、それを切れ切れに私相手に行うのはほんとうにもったいないと思いますが、さような振る舞いを彼がしていることについては、私にもこの場でこそ言えることがあります。彼にではなく、レディース・アンド・ジェントルメンに向かって。

これが、あるいはこれもまた、私たちの主題であるノイズだ、と彼は身をもって示しているのです。ノイズについて書くのではなく、ノイズを実践してみせることで、論に代えています。私はやり取りのタイミングを外されました。そのことで読者-聴者にとってはリズムが狂った。このよう──私が今書いていることを皆さんが読み/聞いているよう──に。私がここでちゃぶ台返しをして、やり取りそのものを止めてしまえば、彼の振る舞いはノイズになることができず、下手くそな「ピリオド」になったでしょう(佐藤薫の困った顔が眼に浮かぶ)。その意味では私が、あるいは私もまた、音─言葉をノイズにする鍵を握っています。ノイズは一人でも二人でも作ることはできない。三人目以降の介在が必要なわけです。二人目である私がこの20通目の手紙を不在の誰かに向かって書かなければ、彼の第19信はノイズになることができなかった。もちろん、彼がこのあと一種のモノローグをどこまでか続けても、それはどんどん彼の「論」に近づいていきますから、その分ノイズ性は失われていくでしょう。私は私のソロを奏ではじめるほかないので。「騒音書簡は」二重奏であることをやめ、二つの別々の読み物になっていくでしょう。

私は今、ヴィレッジ・ヴァンガードでコルトレーンと一緒に舞台に立った1966年のドルフィーのような位置にいるのかもしれない。あの舞台で、ドルフィーの演奏は必ずしも不可欠の構成要素にはなっていませんでした。現に彼がほとんど吹いていない曲もけっこうある。演奏のイニシアチブはあくまでコルトレーンが握り、バックさえしっかりしていれば、彼はいくらでも勝手に吹いていられる。それはそれで心地よく聞くことができる。鈴木創士の文章のように。しかし多少フリーキーでも、それはノイジーではありません。あの共演を騒音書簡で取り上げるに相応しいものにしているのは、シーツオブサウンドというコルトレーンの考え方とは異質な、ときに素っ頓狂にも響く一音一音を際立たせたドルフィーの介入でしょう。ドルフィーもソロないし自分のバンドで演奏するときは、彼らしい音の散逸感をいくら出しても、まったくノイジーではない。ところが二人が絡むと、あるいは交代の間隔をあまり置かなければ、「美しいノイズ」が現れる。タイミングのずれそのものが面白く聞こえる。ひょっとすると舞台の二人、特にリーダーのコルトレーンのほうは、「こいつとはやっとれんわ」と思ったかもしれません。実際、ドルフィーはコルトレーン・バンドのメンバーにはならなかった。そんな事後的歴史性も、私には『ライブ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード』をノイズ音楽の範例にしています。だから鈴木創士には言っておきたい、ある意味オレ次第なんだからな、ここでは。

そして、レディース・アンド・ジェントルメンに向かって、今度は新譜が出たばかりのローリング・ストーンズを想起しつつ言いたい。いちばん好きなライブアルバム&映像(1972)なんです、『レディース&ジェントルメン』は。新譜も悪くないし、あの豪華で作り込んだ音の後に「なまずのブルース」を持ってきて全体を締めくくるセンスにはほろっと来たけど、それでも私にとってストーンズと言えば、破れかぶれがパフォーマンスに昇華されている『レディース&ジェントルメン』。そこは譲れない。いったい誰に譲る?という話なんですが。ただ、私にはもうそこにいかなるノイズ性もありません。その後のストーンズの歩みが、それを今の私の耳から消し去っています。むしろ、あれが今でもいいと思える自分はひょっとすると郷愁に浸っているのかと、そのノイズ性のなさが私に問いかける。ストーンズは言ってみれば講壇哲学者になったヌーヴォー・フィロゾーフ。そうはなるまい、なってはいかんと『ライブ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード』を聴きながら思う。

ただし、みなさん! 私が今回ここで、鈴木創士のアルトーに対しドルフィーを持ち出すにあたっては、1972年のローリング・ストーンズが確実に触媒になってくれました。彼の「手紙」──あくまでカッコ付き──を読んだ瞬間、「レディース・アンド・ジェントルメン」と叫んでいましたから。みなさん、これがノイズです! と。

市田良彦







2023年11月28日

親愛なる良彦さま

「完全にってわけじゃない」けど、君が言うように、リズムが狂っている、あるいはリズムを狂わせるのは、自慢することではないが、僕のオハコかもしれない。いや、いや、もちろん自慢しているわけじゃない。セロニアス・モンクのようにリズム自体がもつ独自の跛行性にまで達することができないのだから、僕はミュージシャンとしてはヘタクソな部類だ。まあ、それは仕方がない。完全にヘタクソってわけじゃなければいいけど、それはそれで使いようがある……。ともあれ我々の『騒音書簡』、言うところのノイズ自体は、リズム的に完全には狂っていない。というか完全にはスベらないこともあり得るわけだ。「完全にってわけじゃない」、とにかく言いたかったのはこれだ。例のごとく、何かの余地が、余白が残されるだろう。想像的空白だよ。「完全にってわけじゃない」。この言葉はセリーヌからのパクリで、世界中で耳目を集めた(日本ではそうでもなかった)新刊書、発見されたセリーヌの手稿『戦争』の冒頭の言葉だ。この言葉は本にするにあたって校訂者によって削除された。ノイズのように。

それはそうとして、君がついにちゃぶ台をひっくり返し、別の意味で騒音を立てながらこの書簡にピリオドを打たないでくれて幸いでした。前回の手紙で僕は君を怒らせようとしたわけではないからね。つまり騒音書簡をまだ続行することができる。エリック・ドルフィーのように(お互い)すっ頓狂な音を出すことができる。君はノイズには三人必要だと言ったが、僕たちの場合は佐藤薫がいるから、まだ誤魔化しがきくんじゃないだろうか。佐藤は聞き流すだけで、たぶん動じないんじゃないか。少なくとも僕はそうであることを願っている。ところで、君は自分がドルフィーの立場にいるんじゃないかと疑心暗鬼になっているが、そんなことはないのではないか。僕はどちらかといえば君にはコルトレーン役をやってもらいたいと思っているし、実際、前からそのようなつもりでいた。実際、コルトレーンは練習熱心で真面目な「哲学的」ミュージシャンだった。昔、知り合いから聞いたけど、日本公演に来たとき、新幹線のなかでも練習していたくらいだからね。しかも「ここでは、おれ次第なんだから」と言ったのは君なんだから。だから言うところの君の役柄は、どちらかと言えば、ドルフィーではないんじゃないかと思っている。たしかにコルトレーン役は大変だよな。コルトレーンと一緒にステージに立てるならドルフィー君は気楽なもんだよ。

最近はグールドのベートーヴェンが気に入っていて、ベートヴェンのピアノソナタかパブロ・カザルスのチェロばかり聞いている。僕の「アルトー」を含めて、ここ、あるいはそこかしこで何が起きているのかという問いはこの際どうでもいい。「アルトー」に関しては森田潤との第二弾で音楽の一様相とてして続行するつもりでいる。日々、クラッシック音楽を好んで聴けば聴くほど、僕はミュージシャンとしてノイズをやるしかなくなる。音楽とか文章とか、手段はどうでもいい。これがノイズです! まさにそういうこと。もうそれを提示するしかなくなっているのかもしれない。君にはわかっていることだろうが、僕がクラッシック音楽を好んで聴くことは、直の反応とか、生理的欲求が問題になっているのではない。前回の手紙で引用したアルトーの言うように、理論と実践においてそうなんだ。

市田良彦に教えてもらったアルチュセールの言葉を思い出すよ。曰く、「ぼくは自分と直接かかわりのないことを、理論においてなにも理解できない」! まさにそのとおり。つけ加える言葉はない。じゃあ、自分と直接かかわりのあることとは何なのか。それをここで読者諸氏「レディース・エンド・ジェントルマン」にばらしてしまうのは野暮だからやめておくが、僕に関わり合いのありそうなことで言えば、たとえ君が言うように、ローリング・ストーンズが講談哲学の新哲学派だとしても、それはそれで構わないのではないか。ストーンズの今回のアルバムを聞いたが、予想以上に良いなあと思った。ビートルズの新譜らしきものが最悪のゴミだったことを思えば、たいしたもんだよ。

鈴木創士







2023年12月28日

Sô-siへ、

僕がコルトレーン? 彼のことは、宗教的と思ったことはあれ哲学的と思ったことはないぞ。まあお前は隠れキリシタンだと言われたこともあるので、違いは微妙かもしれないが。それでも哲学的ジャズマンの代表格は僕にとってやはりドルフィーのほうであり、彼以外ではセロニアス・モンクなのだが、ドルフィーの場合にはコルトレーンと一緒にステージに上がった彼ではなく、『アイアン・マン』と 『アウト・トゥ・ランチ』の彼こそ哲学者であり、『ラスト・デイト』の彼は文学者ないし詩人。今回はその違いをここでの主題である「ノイズ」に引っ掛けて書いてみたい。

出発点はそれでもやはり『ヴィレッジ・ヴァンガード』(1966年と前々回書いてしまったが間違いだった。録音は61年末。ドルフィーは64年に死んでいる!)。コルトレーンはこのときすでに自分の「世界」を持っていた。というか、彼は「世界理解」の人であり、ひたすら彼の目に映る「世界」に近づこうと努力を重ねていた──「理解」を「深め」ようとした──ように思う。自分の〈音-世界〉をそれに合わせようとしていたように。音によってそこに近づこうとしていたように。この連続性があるために、たとえハードバップからフリージャズに移行したと言われようと、移行はいつの間にかそうなっていたという状態変化にすぎないように思える。彼はいつだって「ジョン・コルトレーン」だった。実際、モーダルである点で彼のサックスは変わらなかったろ?彼はつねに「世界」を〈精神の眼〉で凝視していた。対するドルフィーはこの「世界」への「闖入者」だ。モーダルに設えられた舞台に、いきなり「外」を持ち込む。「世界」内では感知されない、声ならぬ声を出しぬけに発しはじめる。前々回の君の「アルトー」みたいにね。あれは僕の耳には君の声として届かなかったわけだ。だから僕は「ノイズ」と言った。

しかし、舞台の上で二つの声が衝突し、絡み合うようになると、様相は変わる。最初は「ノイズ」的第三者性を持っていた音も、観客である僕の耳には別の「世界」の中にあるように聞こえはじめる。僕が「世界理解」の人になる。「闖入者」の登場もそれ自体一つの演出であったか、と思えるように。舞台の外を舞台に上げる「演出」のように。僕の観客的第三者性が、舞台から「ノイズ」性を奪ってしまうわけだ。レディース・アンド・ジェントルメン──僕たちにとっての第三者──には実際、君の「アルトー」と僕の非応答はちょっとしたハラハラドキドキの演出のようであったろう。演出家はいないとはいえ。

問題はその後。コルトレーンは「闖入者」の登場による舞台の変容を、自分のいっそうの「理解」のために使い続けたはず。そうか、こういう要素/様相も「世界」にはあるのか、ならば…と、『至上の愛』(1965)のほうへと一歩を踏み出したかもしれない。ファラオ・サンダースを加入させる方向(同年)にも。そういう求道者的(宗教的?)連続性を、僕はコルトレーンには感じる。彼にはいかなる断絶も感じない。彼には驚かされることがないと言ってもいい。悪い意味ではないぞ。さもありなん、という納得だけが第三者たる僕にはある。

ところがドルフィーのほうは、「闖入者」としてコルトレーンに奉仕した後、自分が「主役」である舞台の「構成」にすぐ向かったように思う。録音順序は『ヴィレッジ・ヴァンガード』1961年、『アイアン・マン』63年、『アウト・トゥ・ランチ』64年。後2作ではもう『ヴァンガード』以前のドルフィーのハードパップ性は姿を消している(僕には)。もちろん以前の吹き方、いかにもドルフィー的な音の離散性は残っているというか、取り入れられているのだけれど、それが乗せられる舞台のほうは、もはや「世界」ではない。「我々」のものではない。コルトレーンの「世界」はいかに彼に独自の見え方をしているとはいえ、彼と観客に共有されているはずの「ザ・世界」であったろう。神が作ったこの「世界」。彼の歩みの連続性は極点にそれを展望させるという意味で、僕は彼を宗教的だと定義づける。ところがドルフィーの2作には、そこに「我々人間」がいない、いなくても成立する、という意味で、「世界」というより「宇宙」。もう少し卑近な言い方をすれば、いきなり登場した新「ジャンル」。「闖入者」を彼のセリフはそのまま残して「主役」に変えた舞台脚本を、ドルフィーは書いた。そこではもう即興的フレーズもまったく即興的に聞こえず、しかるべき音として最初から書かれていたように響く。僕にとっては「哲学」の理想だね。「ノイズ」として登場したものを「ノイズ」でない音に組み換える音楽こそ、その範例。

言い換えるなら、「ノイズ」性そのものみたいなものは、「哲学者」としての僕(!?)にはもう「ない」のよ。君が最近浸っているというクラシック音楽の数々は、僕にとってのコルトレーンのようなものなのかな、と想像してみたりする。君はヴィレッジ・ヴァンガードの舞台の上のドルフィーのようにそこに絡みたいと思っているのか、と。言い換えるなら「ノイズをやるしかなくなる」というのは、ちょっと違うんじゃないか、と。君たち(君と森田だ)は君たちの『アイアン・マン』を作りたまえ。「ノイズ」の極点は、僕には鼓膜が破れて音が聞こえなくなることだ。すなわち沈黙。「詩人」の話はまたいつか。

市田良彦





 
2024年1月28日

市田さま

君にコルトレーン役を引き受けてほしかったのは、なにも君をコルトレーンのような精神的求道者にしたいわけではないし、君のことをまったくそう思ってもいないが、たまたまコルトレーンとドルフィーの話になったので、この往復書簡をある種の市田・鈴木デュオの成果にしたいと思ったからなんだ。コルトレーンがミュージシャンとして真面目なだけでなく、宗教的であることは、君の言うとおりだと思う。僕はコルトレーンが全面的に好きではない。君にその役柄を押しつけたのではなく、この往復書簡において、僕もコルトレーン役はできそうにないからだ。ちょっとした「実験」をやってみたかったが、要するにドルフィーとコルトレーンの関係は僕たちの間では成立しそうにない。それはそれでいいし、別の道があるだろう。二人してドルフィーをやるしかない。

こんなことをあえて言うのは、君と僕は言うまでもなく書き手としても別個であるが、しかしこの「騒音書簡」を一つの全体的な「音楽」(君にとっては「哲学」かもしれないが)として考えていたからなんだ。僕が君の言うような「歌」にあやかりたい、あるいは一つの到達点にできればと思っているのは、ミュージシャンとしてだけではない。むしろ書き手としてよりそうかもしれない。この書簡を始めてますますそう思うようになった。それにこれはとりわけ「往復」書簡であって、「騒音」あるいは「音楽」によるやり取りであるし、もうすでに23回目に突入している! そして「歌」、あるいは「合唱」が、たとえ独奏をやったとしても、複数他者どうしによる思いがけない一致と懸隔、互いを知らない同一性とズレからなっていることは誰もがよく知るところだ。だから音楽を「作品」にするには、佐藤薫や森田潤のように特殊な「編集者」的能力を必要とする。それが僕にとって理想的だ。僕自身にはなかなか難しい問題ではあるけれど……。

でも、ここから少し離れよう。

最近に限らず、僕は昔からクラシック音楽を聴き続けているが、それは僕にとって、君にとっての「コルトレーン的」なものではまったくない。はっきり言うと、僕の頭のなかにある「ノイズ」的感触はむしろ「クラシック音楽」から来ている。それが言い過ぎなら、クラシック音楽を「聴いていた」ことから来ていると言っていい。モーダルなものの「外」を持ち込んだドルフィーでさえ作品としての「ノイズ」について考える完璧なよすがにはならなかった。わかりやすい例を示せと言われれば、森田潤がリリースした『GATHERING OF 100 REQUIEMS』(Wine and Dine)を聴くことを薦めるよ。これはモーツァルトの『レクイエム』の100の演奏を森田がミックス編集したものだ。すごい着想だと思うし、恐ろしい音楽だ。モーツァルトがなぜ他の作品とはまったく違う『レクイエム』を最後に書いたのか、それが本質的にどんな音の要素を含んでいたのか、何かしらのヒントを僕に与えてくれる。説明するのは非常に難しいが、僕にとって、「音」自体、音の連なり、あるいは音の「物質的」次元においてそうなんだ。それに何なら、すべての音楽に「ノイズ」を発見することができる。そもそもどんな音楽も、それが修道院から聞こえてくるものであれ、テレビやコンビニで鳴っているものであれ、「騒音」でしかない。クラシック、ジャズ、ロック、シャンソン、ポップス……。それぞれのジャンルは、それが哲学的にしろ、そうでないにしろ、「ノイズ」自体や自然の音と同じく、僕にとって一つの「世界」を形成しないし、そのようには考えられない。

エリック・ドルフィーの『アイアン・マン』かあ。『アウト・トゥ・ランチ』より好きだよ。あんな早い時期にたしかに完成された作品だと思う。リラックスして聴くことが「できる」し! でも彼のサックス演奏自体、例えば、どんな風に初期の(あるいはずっとかも)オーネット・コールマンとの決定的違いを見つけ出せばいいのか、正直よくわからない。エリックもオーネットも、別の「世界」、君の言い方では、別の「宇宙」であることはうなずけるが、僕にとって、巨大ではあるけれど、一つの音楽的「要素」みたいなものだ。それにやっぱり「ジャズ」だ。真似はしないし、できない。

鈴木創士







2024年2月29日

創士くん、ついでに森田くんにも、

ひょっとして、と思いつつひと月経ってしまった。ひょっとして森田版『レクイエム』が送られてくるのではないか、その感想がこちらからの書簡第24葉になるのではないか、そうしろと創士くんは誘導しているのではないか、と思いひと月待った。しかし送られてこなかったので、僕はいま本家『レクイエム』を流しながらこれを書いている。森田版をなお待ちつつ(頼むよ、森田くん!)、僕にとって長く鬼門であったモーツァルトについて書いてみようという気になっている。

要するに歌謡曲なのよ、僕にとってモーツァルトは。それも、聞きたくなくても街中で不意に聞こえてくる流行歌。否が応でもメロディーその他を覚えてしまう音楽。僕が歌謡曲を必ずしも嫌うものではないことは、創士くんのほうはよくご存知。森田くんに聞かせたことはないけど、愛唱歌もある。フツーに上手くてキショいぞ、カラオケで歌えば周りが引いてしまうぐらいに。ところが歌謡曲の中には、好き嫌い以前に耳に入り込み覚えてしまうものがある。好きになる暇のないもの。いい加減にしてくれ、と言いたくなる。最初に習ったピアノの先生がモーツァルト好きで、音楽を学びたいならとにかく部分的にでもモーツァルトを弾いてみなさいと宣う人で、それを真に受けた子どもの僕は写経でもするつもりで練習したわけだ。たしかに和音、調性、音階を勉強するには実によかった。その経験は、のちに楽典を座学で勉強するときにベートーベンとともに役に立った。なるほどね、と数々の曲を思い出して納得できた。けれども、ここでも書いたかもしれないが、その先生のあまりのスパルタぶりに嫌気がさして、僕はピアノを投げ出した。モーツァルトとともに。再びピアノに向き合うきっかけがモンクであったことも書いたかもしれない。あ、これでもいいんだ、こんなピアノもありなんだ、と思えて文字どおり「蒙が啓けた」。

そういう個人史を傍に置けば、モーツァルトは実に啓蒙時代(18世紀)の音楽家であったと思う。文法とレトリックがあればなんでも言える、と言いたげな点で。彼にとっては音楽の言語、言語としての音楽は、言語そのものと同じようにすべてを表象可能。すべてを舞台に上げることができる。たとえ音からできていても、その「絵(タブロー)」、そこで「語られたこと」がすなわち世界。そうした「言語」の内部を司る合理性を手にした私は、どんな注文にも応えてみせましょう。トルコ風? ──了解! 貴族たちのアホさ?── おまかせあれ。誰も聞いたことがないにもかかわらず、誰でも知っていると思える曲を書いてみせましょう。私は「見えるもの」すべてを「言う」ことができます。彼こそ今日まで続く流行音楽の礎を築いた人ではないか。18世紀の秋元康のようなものか。

そして生涯の終わりに、彼はもう飽きたのではないか。何しろ『レクイエム』の主題は「死」である。啓蒙の光はあまねく届くが、届くからこそ、「死」を光の外に置くというアイデアを彼にもたらしたのではないか(バロック時代の「死」は身近にあった)。なんでも言える文法とレトリックには、言えないことが一つだけある。その「言えない」ということだ!『レクイエム』は間違いなく、『悪徳の栄え』や『美徳の不幸』と同時代であったろう。まだロマン主義(「感情」を表出する)ではない、しかしもう古典主義(可視的「世界」を描写する)ではない、転換点をなす「言語」がそれらにはある。それ自体が「見えるもの」と「見えないもの」の折り目をなす「語り」。それまでいっさい裏のなかった明るい世界が、果てまで広がっていきなり反転して裏地になり、表地と一体になる歴史的瞬間を、『レクイエム』はただ一曲で感じさせる。純粋啓蒙主義的モーツァルトとの関係においてね。音の世界はそのとき二重化されたのか、それとも一重に「戻った」のか。とにかくもう何も表象しない。典礼の詩はアブラカダブラでもよかったのではないか?ラテン語を解さない人間にも鑑賞できるくらいなんだから。

しかし『レクイエム』がある種の洗練の極において生まれたことに間違いはなさそうだ。楽器編成を変える(ファゴット!)ことは、以前との関係においてのみ「意味」を持つ。一つの洗練の仕方であって初めて。その意味で『レクイエム』のモーツァルトは僕には『ビッチェズ・ブリュー』のマイルス(バスクラとエレピ!)を想起させる。そして洗練はまた間違いなく今の僕に、歌謡曲は退屈だと思わせる要因でもある。一度文法とレトリックが出そろえば、多少の揺らぎを取り入れつつ、洗練はいくらでも可能であるだろう。J-POPとて洋楽の洗練にすぎない。思い返せばモンクの音は、僕には洗練とは無縁のところからやってきた。

それでも本家『レクイエム』を聞きながら思う。それが流行の転換点をなそうと一種の事故であろうと、折り目は言葉が自転しはじめることで生まれる。言葉が何かについて語るのではなく、自分について語りだし、「言語の存在」がクローズアップされるときに。創士くんが前葉で言う「音」自体、音の「物質的次元」というのは、僕に言わせれば、言語がそれについて「語る」はずの「物」の「存在」から区別されて、それ自体で「存在する」かのように何かを言いはじめる、その瞬間のことにほかならない。つまり宙に浮いた、しかしあくまで何かの「語り」ではある言語。

さて森田くん、きみの『レクイエム』を自分で注文するのを止めたのは、買ってしまえば聞くことをあらかじめ洗練の罠に閉じ込めてしまうような気がしたからです。僕はそれをあくまできみからの言葉として、きみの自筆の手紙として受け取りたい。

市田良彦





2024年3月31日

市っちゃん、

前葉では、君はモーツァルト+森田潤の『レクイエム』をまだ聴いていないようだから、まずはその感想を待つことにしよう。

ともあれ、モーツァルトが18世紀の歌謡曲だという君の意見はおおむね認めることができる。18世紀の秋元康というのはちょい異論があるけどね。モーツァルトは秋元のような「知識人」ではなく、むしろ退屈なカクテル・ピアノをパーティで思うままに弾きまくるジャズ・ピアノ弾きと言ったほうが僕のイメージに合っている。見たわけではないし、勝手な想像だけど、モーツァルトは音楽家というよりミュージシャン的なところがあったように思う。ガキのくせに、宮廷か何かの晩餐会に時間ぎりぎりに出向いて、ワインをあおり、即興で優雅なやつその他を弾きまくり、屁をこいたりしながら、適当なところで時間を切り上げ、はい、ギャラをくれ! という感じ。晩年は仕事に恵まれず、素行品行も悪く、金に困っている。要するにモーツァルトはウィーンの音楽界からパージされてしまった。嫌われていたのだ。歌謡曲作曲家・演奏家としても下火で、晩年は客の入りも悪かった。

『魔笛』に続いて『レクイエム』を制作中にモーツァルトは突然この世を去るが、晩年といっても、35歳で死んでいるのだから、ベートーヴェンのように晩年様式としての「形式の破綻」を考えることはむつかしい。だけど『レクイエム』はそれまでのモーツァルトの作品とは明らかに異なっている。断絶すら感ぜられる。君の言うように、それまでの作品が表象可能性の才能豊かな展開だったとすれば、それまでのモーツァルトの作品群はたしかに古典主義時代の「芸術」の範疇にあったことになる。しかし『レクイエム』は、僕にとって芸術以上の何かを示している、と言いたくなる。『レクイエム』という作品は恐ろしい。僕は下手なミュージシャンとしてそのように思わざるを得ない。森田潤の『GATHERING OF 100 REQUIEMS』を聞けばそれがわかると思う。

だけど、どう言えばいいのだろう? 『レクイエム』は文字どおりの意味で「光の外」に置かれた。君の言うとおりだ。啓蒙時代ということで言えば、モーツァルトはその時代にいたのだが、サド侯爵もフランシスコ・デ・ゴヤも健在だった。サド侯爵を啓蒙時代の思想家として位置づける人もいるが、むしろ啓蒙時代の「光の外」、それが僕(森田潤も?)を誘惑する。だがその光の外でどのように作品が成立するのか。サドもゴヤも唯物論者だった。どのみち宗教は関係ない。例えば、バッハはプロテスタントだったが、ニーチェが言うように、「カトリック音楽」だったといえるところが大だ。しかし『レクイエム』の場合、そのような意味でもまったくない。

『レクイエム』において、「死」を音楽のなかに招き入れた? そいつを持ち込んだ? それはバロックの「死」なのか? うーん、どうだろう。死は形を変えるのだろうか。音楽としては、どうしてもイタリアやイギリスのバロック音楽を考えてしまう。そこにはある種の明るい「単純さ」があったが、モーツァルトの『レクイエム』はそれとも違う。たしかに精神的な意味ではカルロ・ジェズアルドなどはそのような傾向をやばい方向に発展させたと言えるだろうが、音楽形式として見れば、そこにはまだ「音楽史」的なものを見てとることができるし、考えることができる。だからジェズアルドにおける無調性へと近づくものを「ノイズ」の可能性として受け取ることはできそうにない。つまりミュージシャンとしてジェジュアルドの音楽を「いじる」気にはなれない、と言っておけばいいのか。うまく言えないが、『レクイエム』には、そのような意味で、音楽の外、「言えないこと」の少なくとも萌芽がある。それが存在し始めるのだ。

『レクイエム』は、洗練の極致として、マイルスの『ビッチェズ・ブリュー』を想起させると君は前葉で言ったが、そこのところは僕にはよくわからない。『ビッチェズ・ブリュー』のような不意打ちと、それに反する(ともなう?)リラクゼーション(リズム的?)は、『レクイエム』には感じることができない。『レクイエム』にはもっと「暗い」何かがある。人をリラックスさせない何かがある。鎮魂させないんだ。言えないこと、それ自体が何かを言おうとして、存在し始め、極端に幅をきかす。言語的にも、余計な何かだ。つまるところモーツァルトは、僕にとって「野蛮な」音楽家なんだ。モーツァルトを嫌いになれないわけさ。

鈴木創士





2024年4月30日

鈴木創士様、

前回のお手紙は実に貴兄らしい、というかミュージシャンらしい反応と拝読しました。つまり聞き手としては、「そうですか」とさしあたり言うほかない創作家の内的経験を語っている。「~は恐ろしい」。「僕にとっては…」。ある種の熱狂的ファンも同じようなことをしばしば口にします。「あのライブを体験したことのない人間は…」。私はなにかを書くときには努めて、そのような「私」を根拠あるいは出発点に話を組み立てないようにしています。もちろん、「私」を主語に、我が身に起こったことの回想を織り交ぜた文章を書くことはありますし、なにを言おうと滲み出てしまう経験──他人には「そうでしたか」と言うほかないでしょう──は文章のみならず音楽にもあると思います。それでも、経験した「私」を根拠に私の守備範囲を踏み出るなにか、他人に伝えたいことがらを言おうとは思わない。この往復書簡の最初のほうでも書いたように、「好き/嫌い」(あるいは「快/不快」)に落ち着きかねない話はなるべく避けたいわけです。『鑑識レコード倶楽部』が面白いと思ったのも、私がそう思う理由の一端をうまく、説明ならぬ表現しているように感じたから。

前回の貴兄の手紙に引きつけて言えば、「洗練」がよい例を提供してくれます。『ビッチェズ・ブリュー』にしても『レクイエム』にしても、私がそこに「洗練」を認めるのはひたすら「前」および「後」との関係においてのみ。モーツァルトには『レクイエム』の「後」がないのでマイルスに即して言うと、『ビッチェズ・ブリュー』の前後、いや幅をもっと大きくとっていわゆる「電化マイルス」の前後で、彼はバンドの音の作り方──特にライブにおける──をそれほど変えていないとも言えます。セッションにおけるルール設定というかフレーム──各ミュージシャンに対する「縛り」を緩くして「遊び」の妙を聞かせる手法──は50年代末から変わっていないし最後まで変わらなかったかもしれない。『プラグド・ニッケル』(1965)とワイト島ライブ(1970)の間に挟んで『ビッチェズ・ブリュー』(1969)を聞けば、サウンドの特異性は後退するはずです。そうした連続性の中で「最強ロックバンド」(本人談)の演奏──あんなロックバンドは他にないのに──を聞かせる『ジャック・ジョンソン』(1971)も可能になった。要するに様々な特異点は連続性の中に、連続性を前提に存在しています。それは一つの「曲」にあってさえ同じことでしょう。貴兄の言う「不意打ち」は、それがそこに訪れる、途切れない「流れ」があって成立するでしょう。私つまり聞き手からすれば、両方は平等です。一つの過程を構成するこの平等があって特異点は「洗練」になりえる。しかし、つねに「次の一手」を模索していなければならない演者にとっては、連続性のほうはときに積極的に忘れてしかるべきものです。通り過ぎる「同じもの」、自分がそこでジャンプしても壊れないクッション(「私」の着地を受け止めてくれる──マイルスは「電気」の音についてそう言っていた)と受け取るべきもの。そしてさらに私からすれば、それを忘れてよいのはミュージシャンにとどまらない「創作家」の特権です。羨ましい。もちろん「騒音書簡」では私もまた「創作家」なのですが。つまりここでの私はいくら理屈を並べたてようと「フィクション作家」と変わるところのない特権を享受させてもらっています。貴兄の手紙を、私のクッションにしている。

しかし音楽の創作家ではない私からすれば、「音楽の外」、音楽に「言えないこと」の大半は連続性のほうにあります。どんな連続性の中に自分がいるのかのほうが、しばしば捉え難い。なにしろ流れの只中にあってひたすら「次の一手」を考えなければいけないのですから。今この瞬間の私のように。この特殊なほとんど強いられた忘却ゆえに、自分の「つもり」と自他関係における連続性はつねにズレの可能性に晒されます。しかしそんな反省をしていれば、それこそ連続性に先を越され、呑み込まれ、結局その連続性自体を見失ってしまう。
何回か前の手紙で、貴兄は「市田良彦から教えてもらったアルチュセールの言葉」を引いていました。「ぼくは自分と直接かかわりのないことを、理論においてなにも理解できない」。これは彼が自分の「身体」に受容した「経験」を根拠に「理論的」ななにごとかを語った、あるいはその「経験」そのものを語っていたという意味にはまさに「理解できない」と思います。というのも、スピノザ主義者としての彼には「人は身体がなにをなしうるか知らない」という命題もまた胸に刻まれていたので。自分が狂っているのではないかという不安、その点をめぐる「無知」こそ、彼に「理論」においても「自分と直接かかわりのあること」に向かわせた。「私」にとっては連続しているはずの身体経験こそ、彼の「私」には「外」を成していたのだと思います。中身の定かならぬ「外」。それが特異な表現として形をもつかどうかは、「ça dépendこととしだいによる」と言うにとどめたい。『レクイエム』が「恐ろしい」かどうかと同じことです。私には少年モーツァルトの天才エピソードは、マイルスのジャンキーぶり同様、特になにも語らないので。これも忘却のなせるわざ?

市田良彦





2024年5月28日

良彦さま

デスマス調は日本語のひとつのテクニックなのだから、それには気をつけなければならない。君の前葉を読んで、これは、ぜひとも「経験」等々について自分の考えを述べないといけないと思った。この反論は君には弁明じみて聞こえるかもしれないが、まあ、辛抱してくれ。

経験しようがしまいが、そのこと自体は人の勝手だ。「経験」は直接、創作に直結しない。もちろん「作品」においておやそうではないし、作品は経験から出発したとしても、経験との距離、乖離へしか辿り着かない。経験は、それ自体において感動、恐怖、その他の情動を退けたとしても、特権的瞬間を構成しない。それはまさに「無知」にもとづくものであるし、経験は無知と等価である。それはましてや記憶ではないし、たとえ記憶に属することができたとしても、記憶の陥没、窪み、裂け目、裏側、等々でしかない。しかし「経験」はいやおうなく残ってしまう。経験としてのみ残される。旧約聖書でイザヤが言うとおり、皆殺しの天使による大殺戮の後にも、どうしても「残余」がある、というように。かくしてそれは孤立している。そしてそれは「残ったもの」として知らずに過去から借用する。日々、「経験」はあるのか。それを積み重ねて「自己」の形(おおむねそれもひとつの連続性をまずは仮構したものだ)が出来上がるわけではまったくない。だから君の言う「ああ、そうですか、そうなんでしょうね」と言う言葉は、経験ではないし、非経験でもない。だからこそ逆に文学も音楽もひとつの「経験」になることがある。

《人は身体が何をなしうるか知らない》ということ、《「私」にとっては連続しているはずの身体経験こそ、「私」には「外」をなしていた》ということは、スピノザ主義者でない僕にも自明のことだ。「経験」としてさえ「私」はそれを知っている。だからこそ「身体」は「残余」に属している。20世紀の「哲学」にとって、いつも「存在」の後に「身体」が来たのはそれ故ではないだろうか。連続性の外にあるものが、そのようなものとして、特異な表現の形(作品)をもつことが稀有なことであって、それが「事と次第による」のは本当だとしても、レイモン・ルーセルのような人を考えるなら、それでは満足のいく回答ではないね。この満足のいかない回答は僕自身の原則的問題のひとつのままであるのだから、今はその点について君と議論するのはとても興味深いとだけ言っておこう。

君は自分が「創作家」であることを認めたのだから、その点についても少しだけ。「創作家」、要するに「作家」だ。たとえば、数学者たちや物理学者たち、僕の敬愛するゲオルグ・カントールやクルト・ゲーデル、ポール・ディラックは、残念ながらそのままでは「作家」ではないし、言うまでもなく他の講談哲学の人たちはまったくそうではないが(彼らは三文小説家だ)、マルクスだって(『共産党宣言』や『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』のあの素晴らしい文章!)、アルチュセールだって「作家」じゃないか。評価は別にして、ドゥルーズもデリダもそうだ。フロイトもまさにそうだった。そして君も作家じゃないか。君の書いた数々の本がそれを示している。そうでなければ、僕はいうところの哲学的感銘を受けたりしないし、第一、二ページ目を読む気になれない。「作家」は、écrivainではなく、écrivantと書くべきだ、とあるときロラン・バルトがおずおずと言っていたように、たんにそれは「書く人」、「書いている人」なのだからなおさらだ。日本語だと「家」がつくので、職業家か、それとも一家をなす人みたいだけれど、それは近代のニュアンスにすぎない。紫式部も、清少納言も、鴨長明も、西行も、幾人かの江戸の俳人たちだって、そうではなかった。

マイルスの「洗練」について一言。君とは少し見解が異なる。マイルスの「洗練」は『ビッチェズ・ブリュー』ではなく、その直前、60年代の黄金のクィンテット(マイルス、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズ)に極まると僕は思っている。『マイルス・スマイルズ』、『ソーサラー』、『ネフェルティティ』の頃だ。たしかに『ビッチェズ・ブリュー』は好んで聞いたアルバムだし、「最強のロック・バンド」の演奏であると思うし、打ち明けるならEP-4もずいぶんその恩恵にあずかっていたけれど、ビバップを基点とする、その前と後のジャズの「連続性」における「洗練」という点では、黄金のクィンテットに勝るものはないと今でも思っている。マイルス・バンドの電気化は当時衝撃だったけれど、今となっては、「エレクトロニック」であること自体はそれほど問題なのだろうか。しごく当たり前のことと言っていい。『ビッチェズ・ブリュー』は黄金のクィンテットがなければ生まれなかった。その点から言って、『ビッチェズ・ブリュー』は最高だが、ウェザー・リポートはイマイチだ。

鈴木創士





2024年6月29日

創士兄、

いやあ連載第27回、我々の27通目の手紙はようやく二重奏の真骨頂を見せましたな。喜ばしい。「経験」を主題に二つの旋律を同じ時間の中で絡み合わせている。オーネット・コールマンとドン・チェリーのよう(アルバム『フリージャズ』な)。二重螺旋たるこの連載では、それぞれの手紙に別々に返信が書かれるわけであるから、読者が月初めに目にするのは、ズレの生起と解消が同時に起きるドラマ──と言えば聞こえはいいが、ヘタクソな即興連弾だ──であり、ハーモニーはほぼ期待できない。その代わりに、読者には次回への期待が、我々には新たな書く動機が、毎回生産される。ところが第27書簡では、言わば和音による構造的制約なしに、上へ行く旋律と下へ向かう旋律が偶然の対位法を奏でている。

上へ行ったのは僕だ。僕は「経験」の中身についてはほとんど素通りしている。これまでも意図的にそうしてきた。もう少し説明しておくと、僕は「体験」と「経験」を微妙かつ決定的に区別している。例えば夢。それを見ている間、僕は夢を「体験」している。その中にいる。だからそれを一つの「夢」としては認知していない。ところが目覚めた瞬間、それは一つの「夢」になって、こんな夢を見たという「経験」になる。もちろん両方が混じり合う浅い眠りも存在するが、目覚めることのない眠りの中に夢の「経験」はない。そして他人にとって夢の内容はつねに「ああ、そうでしたか」の類のものでしかない。聞かされるほうとしては「つまらない」。面白さが生まれるのは夢に「経験」として意味を持たせていく 解釈 の過程からだろう。フロイトで面白いのはまさに夢解釈であって、報告されている夢内容ではない。解釈は必ずしも言葉として表現されるものではないだろう。立ち居振る舞いのすべてが、過去の「体験」を「経験」として(再)解釈した「表現」でありえる。ジャズマンのソロが典型的にそうだ。彼らの個性はつねに過去に聞いた──と現在思っている──音の再-現であるだろう。実際、英語のinterpretは解釈であり演奏であり演出である。

それに対し君は、「経験」の下、僕の言う「体験」の層に降りていく。もちろん、そこを「無知」や「残余」と間接的に呼ぶことで、君もまた解釈の次元に身を置いて「体験」と「経験」の差異を語っているように受け取れる。しかし君にはあくまで、解釈しきれない下層が解釈の表面にまさに「無知」や「残余」として浮上すること自体と、そのときの様相が問題のようだ。君にとって「経験」とは、けっして一つにはならない混濁した「体験」が表面に現れる際に受け取る形態としての「ゼロ」──無知の「無」にして解釈しきれない「残」──のように見受けられる。プレーヤーとしての君はそこに「ない」音を響かせようとする。「ない」を音にしようとする。違うだろうか。

とにかく僕には、第27書簡において、二人のコントラストが面白いものであった。僕はあくまで学者か分析家──解釈を解釈する者──で君は「体験」の表現者? これは僕の目にははっきり違うね。僕には君のほうが「経験」を掘り下げようとする態度においてよほど学者的であるように見えるし、僕のほうがこざかしくスタイル──あるスタイルはつねに別のスタイルの解釈だ──にこだわる表現者のように思える(実際、話をうまく組み立てることばかりに気を配っている)。なるほど『ネフェルティティ』に感じられる「掘り下げ」が『ビッチェズ・ブリュー』にはないかもしれない。ましてカーラ・ブレイはずっと「組み立て」の人だ。

しかし、レーモン・ルーセルに即して言わせてもらえば、作家である彼にとって「体験」はたった一つだ。長編処女作『代役』を書き上げた直後に味わった「栄光の感覚」のみ。ヘーゲルに言わせれば「思い上がりの錯乱」だろう(『精神現象学』「C:理性」章)。義賊となった『群盗』(シラー)の主人公にも認められる、ある意味ありふれた狂気。ただし、自分の味わった「栄光」を「経験」として解釈していくことがルーセルには作品制作そのものになった。「手法」を開発する礎になった。栄光「体験」以外の「経験」が彼には不要であったから、彼はどこに旅行してもカーテンを閉め切って外の景色を見ようとしなかった。彼は何の「掘り下げ」もしようとしなかった。あの「体験」はつねに彼とともにあり、彼の筆を照らす太陽であり続けたのだから。実際、『眺め』ではペン先に埋め込まれたガラス球が「世界」を文字通り在らしめる。そして『新アフリカの印象』。僕には今ではこの作品がフリージャズの遠い祖型のように思えてならない。音楽家になるべくバイオリンを修行したルーセルは和音の限界が9度であるという規範を叩き込まれていた。その9度がここでは九重の括弧──次々に「 」の中に「 」や注が開かれていく──に転移され、異なる旋律──それぞれ物語の推移だ──を共存させる構造になる。

そんな作品制作にあるのは「洗練」というより「労働」だろう。僕がこれまで「洗練」という語をやや皮肉に用いてきたことに注意されたし。「洗練」は極論すれば誰にでもできる。何のプロでもプロはみな「洗練」を目指して腕を磨く。それをできる人がプロであるだろう。しかし、ありふれた狂気に忠実に、そこへ立ち戻ることそのものを「作品」にしようという人は、少なくとも他人からの賞賛をもって「栄光」とすることは諦めねばならないだろう。その「労働」生産物は「理解」されないことを前提にしているのだから。それは「理解」されなくても──何しろただ狂っているだけであるから──誰かから読まれ、聴かれ、参照され続ける。そのことにプロが耐えきれるはずはなかろう。フリージャズなど今や廃れた「ジャンル」だ。それでもルーセルにおいてもオーネット・コールマンにおいても、問題は「労働」であった。自動書記よろしく出鱈目に書きまくる/吹きまくることとは何の関係もない。

市田良彦



 
2024年7月29日

市田大兄

記憶というものは不確かである。そこに自分がいたかどうかも定かではない。私は思い出す。丘の上に月が昇っていた。私は月を見たのか、そして同時に見なかったのか。丘なんかなかったのだ。エニシダの小道だけが続いて、大気には嫌な臭いが漂っていた。おお、忘却のなかでこそ大気は動かない、と詩人は言っていたではないか。歩くたびに、向こうへ世界の果てが遠のいた。私は思い出す、そして思い出せない。

前葉で君の言う「体験」と「経験」の違い。混濁した「体験」、逃れ去ることを特徴としているばかりか、主体の位置そのものが消えてしまう。その表面に浮かび上がるもの、むしろ忘却の形をとることもある「無知」。君の言うとおりだ。それなら「無知」から始めるしかない。無知を知るしかない。無知を解釈するしかない。君の言う「経験」が現れる。記憶の古層を探したわけではないのに、探しているものはすでに見つかっている。パスカルの言うとおりだ。君の書いていたルーセルの「栄光」は、パスカルの「喜び」、ヌイイの橋の上での、「喜び、喜び、喜び」に似たところがあるように思える。それがいつ起ったか、時間的な順序が逆なだけかもしれない。ピカソの言い方はちょっと違う。「私は探さない。私は見つけるのだ」。ピカソらしいマッチョな言葉とも受け取れるが、とにかく探しても始まらないということだろう。僕も探さない。聞こえない音を必ずしも探しているのではない。だが聞こえない音がそのまま「在る」ようにできるなら……

それでも意に反して僕も探してみることがある。ランプを掲げて、無いものを。それは、存在したかもしれないが、存在しなかったものだろうか。存在したかもしれないものとは何だろう。それは存在することができたものであるに違いないが、知らぬまに過去が現在にすり替わる。ほとんど存在しかけていたもの。ほとんど無。可能性でも潜在性でもない存在の鏡の箔裡、裏面のようなもの。別の裏面? 別の表面? 深さの破れ? 表層を突き破る別の底? それが雪崩のように、あるいは一瞬の映像の現前のようにこだまするが、結局それは「存在」していたとも言える。ああ、そうだとも、まさに無知のまっただなかに。「経験」としてなのか? この「経験」において、空間が残るのであれば、時間も残存する。時間が残ったのであれば、空間も残存したのだ。

記憶をめぐるエピソードをひとつ。それは「経験」となったのか。君の意見を踏まえると、やはり「体験」と「経験」の間で人は揺れ動いている。そこを漂っている。最近、岐阜のポスト・パンク女子高生バンド『伸展のずる』のCDが40年ぶりにリリースされた(WINE AND DINE 26)。そのCDのために「オフェリアみゃっぴー」というエッセイを書いた。彼女たちは跡形もなく消えたと思われていたが、経過しなかった40年は「経験」として何かをもたらしたのだろうか。たぶん。走る、キャッ、キャッ、キャッーを。走る、ギョッ、ギョッ、ギョッ。エリマキトカゲ。エリマキトカゲとは、走るキャッ、キャッ、キャッーだ。走っている奴は過去も現在も未来ももたない。エリマキトカゲは探されないままに、すでに見つかっていた。朝起きて、グニョー。それからガチャガチャしたもの。見逃したと思っていたが、誰もが見つけていたものだった。そのために音楽が必要だった。いまも必要である。生意気な女子高生であることはほとんど必要最低限のことだった。

エッセイの最後の節を再録する。

洗練ではなく、むしろ野蛮が。野蛮ではなく、むしろ放逸が。放逸ではなく、むしろ苛立ちが。だが季節はめぐらない。循環するものはない。とってつけた反復もない。最低限の言葉は素朴に下降線をたどっていたが、空虚は何とかもちこたえられる。いい感じじゃないか!

 (……)その後、彼女は忽然と消えた。消息はわからない。若いオフェリアは下流の向こうに見えなくなった。水辺に青い夏草が咲いているのが見えた。


言葉はいつか発せられたのだ。かつてであるとは言えない、これからとも言えない。いまとも言えない。泣きたくなった女の子がいた。そんな感じだった。こんなことはほとんど無意味だろうか。


鈴木創士





 
2024年8月30日

Sô-siどの、

ライブ空間を思い浮かべてもらいたい。「体験」は言わば流れだ。体験する「私」にとって、それは「すでにそこにある」。いつはじまったのかいつ終わるのか分からず、というかどうでもよく、「私」はただそれに身を委ねるだけ。展開の予想はできず(そんな余裕はなく)、どんな一貫性も示さず、連続性さえあやふや。それは無限にただ「持続」している。いや、それも正確ではないだろう。何が持続しているのか、その「何」を「私」には言うことができないのだから。「体験」の流れはつまり持続する「無」だ。流れは「私」に向かって勝手に、流れ自体を独り言として語りかけることをやめない。言うなれば客観的に。ところがこの受動状態の主語はずっと「私」である。これは私の「体験」であり、私はこれを見ている/聞いている、と「私」は知っている/感じている/体験している。「体験」の内容を動詞で表せば、動詞群は一人称でしか活用しない。「体験」の主体は「私」でしかなく、「体験」はあくまで主観的である。「私」に限定される有限のものである。

そんな転倒ないし交代が「体験」では生じている。そしてライブはいつしか終わる。「私」は夢から覚める。すると反省的意識が頭をもたげ、「体験」は「経験」になる。過去に遡って「体験された経験」になる。「私」はこのライブに立ち会った! 彼らの音を体験した!「それ」──彼らの音にして私の体験──は「ほんとうにある」! 主観的なものと客観的なものとの一致は古来より「真理」の定義であるから、真理なるものはこのようにして発生すると言ってもいい。真理とは「体験」の「意味」にほかならない。「それ」はあった!「それ」は私の手元に今もある! つまり「存在」もまた「存在する」という「意味」でしかない。

ことが厄介であるのは、「意味」である以上、そして「意味」には誤解も伴う以上、「体験」はでたらめ、まったくの間違い、嘘、幻想、妄想であったかもしれないという点だ。「体験」の真理性は虚偽性を排さないどころか、生みさえするのである。妄想を「ほんとうだ」と言う/思うから、統合失調症者は病人であるわけだ。彼らが自分の妄想に閉じこもり、何も言わなくなれば、彼らはただ、私たちのものとは違う彼らの「世界」を生きているだけ。彼らの「真理」を生きているだけ。俺は『裸のラリーズ』のライブを体験した、『伸展のずる』に会った、君たちはそれを見ていないだろう、知らないだろう…。「体験」の流動性は、「体験」を「経験」として語る言葉の中にそのまま真偽の反転可能性として持ち込まれ、嘘を言ってはならない、間違いに固執する者は異常だという、「体験」の本性とは何の関係もない規範の介入を待つ状態を作り出す。ずっと夢を見ている人に向かって、それは夢ですよ、幻想ですよ、と告げても彼らの「体験」の真理性を壊すことはできないからこそ、デカルトは「ひょっとして私は夢の中にいるのかもしれない」と懐疑する前の段階で、私は少なくともあんな狂人ではない、狂人は懐疑すらしないのだから、という排除を実行しなくてはならなかった。懐疑する私は狂っていない──デカルトのこの言明は、「体験」が真である/真理の根拠は「体験」にある/真理は「体験」が「経験」になったときに生まれる、という事態を承認すればこその規範的宣言であったろう。

問題は、「体験」を根拠に何かを語る人、自らの「体験」を記述しようとする人は、「体験」とは異質のこの規範に乗っかって、「私」語りをしているだけ、という点だ。語られた「体験」について、そんなものは幻想だ、騙されているだけだ、と論駁しようとする人もまた、私はそうは思わないというその「私」、別の規範に従う「私」を語っているだけ。音楽についてなら、要は最終的に「好き嫌い」で語ってもよい、仕方がない、という状態を「体験」は準備してしまう。「好き嫌い」が、他人に規範を押し付けることへの防波堤になってしまう。「私」は~を愛好する者として「あなた」の趣味を尊重しましょう。それが規範を押し付けないという規範になって、音楽語りはおしまいになる。「それってあなたの感想ですよね」という誰かの決め台詞が聞こえてくる。

そんなことしかできないのかという苛立ちが、語る人としての僕にはつねにある。そんなことならいっそ、誰の固有の「体験」にも立ち入らない文章を書こうと僕はしてきた。水谷孝の音楽と詩について長々と導入的文章を認めたとき(『The Last One:裸のラリーズ詩集』を参照ください──高価ですが版元にとってはすべて売れても赤字で、再版はありません)には、特にその自覚が強かった。受容における「体験」主義が典型的に蔓延っているバンドのように思えたので。 君たちのアルバムのために書いたライナーノーツでも、ここ「騒音書簡」でも同じこと。僕が務めてきたのは、自分を含む誰かの音楽「体験」については極力語らず、書くものを聞いたことへの応答とすること、もう一人の事後的バンドマンとして「演奏」に参加すること。つまりは狂人かもしれない音楽家たちの「世界」を言葉という別次元に再-現すること(「再-現」とは別次元での再現前化つまり一種の移動であって、モデルの模倣としての「再現」ではありません──僕が音楽家ではない以上、「再現」は不可能)。彼ら/君たちのように「世界」が作れれば、と願っている。「のように」はこのときモデルとの「同じ」と「違う」の両方を含んでおり、その意味では僕は君の「ように」、あるいは君以上に、偽の古典主義者たる自覚と自信はあるね。ただしその「古典」は僕が「体験」するすべての音楽のことだが。

市田良彦





 
2024年9月30日

良彦さま

先日、京都ミングルという小さなスペースでユンツボタジと僕と二人だけの爆音デュオ・ライブをやった。京都デュオは、パーカッションとキーボードの二つのみだったので、我々としてもレアな感じになった。安易なやり方だとまた君に叱られるかもしれないが、はじめはバッハ、途中はブリジット・フォンテーヌ、アンコールはプレスリーをノイズっぽく挟んだりした。でもボンゴの伴奏で(!)バッハの平均律をキーボード電子音でやるというのは、それでもかなりレアだよ。EP-4 unitPをやって十年になるらしいが、三人というのはあったのだが(unitP第一回ライブのメンバーにはオプトロンの伊東篤宏君が加わってくれた)、じつはユンと二人だけというのははじめてだった。なかなか新鮮だったし、ユンがバンドじゃなくてどうしても二人でやると言い出したときには、若干「えーっ」と思ったが、それはそれでやってみてよかったと言える。僕はミュージシャンとしては〇歳だから。

京都ライブの一週間後、神戸カタカムナで、unitPのライブがあった。こちらはバンドだ。ユンと僕の他には、ベースその他のホソイヒサト、エレクトロニックその他の安井麻人、数曲、ヴォーカルに大川透が加わった。最近の固定メンバーだ。京都ライブの続きということで、僕とユン二人でプレリュード(「三歳の」ブリジット・フォンテーヌへのオマージュだったが、詳細はまあいいだろう)から始め、その後他のメンバーが順々に音を重ねていった。最後は8ビートのロックン・ロール風? 録音状態が良かったので、そのうちこの日のライブ音源を世に出そうと思っているので、曲その他の詳細はここでは語らない。ただこの日の演奏は、我々としては混沌としすぎていなかったし、ある事情通によればわかりやすかったそうだし、バンドとして考えれば、演奏者としての感触ではうまくいった感じがした。つまりメンバーそれぞれの演奏が良かったし、バランスもそれなりによかったのだが、手前味噌になるので、この辺でよしておく。事情を知っている人たちは別として、若い観客、たぶん神戸でこのような音を聞いたことのない若者たちが喜んでくれたのがよかった。そうでなくても僕は年寄りより若者が好きなんだ。

前葉で君が述べた「体験」と「経験」についての考察に反論の余地はない。君の言うとおりだと思うよ。しかし演奏する人間として言わせてもらえば、つまり僕としては演者として語るしかないからだが、ライブというものは、「体験」でもなく、「経験」でもなく、この場合は、「体験」-「経験」と並行した「音楽」なんだ。僕にはそのようにしか言うことができない。なぜなら我々の音は、音を出し、演奏の形をとると同時に、音を出す直前、まさにそのときに、批評性が含まれる、というか批評性そのものだからだ。しかしこの批評性は、演奏者の「体験」としても、「経験」としても、ほぼ確認されることはないだろう。その意味では無であるし、「作品」の不在に連なる。演奏している我々は同時にリスナーであり続けるが、自分が演奏している音だけのリスナーではない。即興の部分でさえ構築-解体はつねになされるし、バランスも、それどころかカオスさえもうまくいけば保たれる。カオスモスなんてことは言わないし、カオスモーズでもない。演奏主体についていえば、デカルトの夢の懐疑性は瞬時に解消される。解消されたとたんに、主体の位置は吹き飛ぶか、分裂して粉々になり、その後きわめて茫洋として曖昧なものとなる。「音楽」とはそういうものだとしか言えない。見当をつけることはできない。ライブの後、君の言葉を借りれば、主観と客観が一致するというのはいまひとつ僕にはわからない。だからライブの「意味」としては、誰が演っていても、誰が聞いていても、誰の音でも結局は僕にとってはどうでもいいということになる。演奏について懐疑を抱く自分がいたとしても、妄想を抱く「狂人」を極力排除しないし、排除できない。だけど全体として見れば、すべての音響的動機、音の発生は批評的であることができる。これがunitPの即興的特徴だと言っていい。我々はフリー・ジャズをやっているのではないし、現代音楽(クラシック)でもない。ジャンルとしてはポップスだが、あれがポップスだとは誰も認めてくれないだろう。それは無意志的に意図的であり、ぎりぎりのところで「音楽」というものそのものの動機を含んでいると僕は考えている。ノイズという呼称はそのためにあると言っていいくらいだ。

案外、ジャズの連中が参加している類いの最近のヒップ・ホップを手本にすべきかもしれない……ヒップ・ホップやろうかな……。タイミングが難しそうだけど、詩の部分はAIとかを使って……。

鈴木創士





 
2024年10月29日

0歳の音楽家へ、

ある故人を偲んで催された会合がそろそろお開きになろうかというころ、友人から一人の老人を紹介された。「ヨネさんだよ」。知っている人、知っているはずの人だが、半世紀近く見ていないその顔は、仮面のように見えた。〈これが彼?〉。僕ほど髪は薄くなっていないものの、かなりの白髪で、浅黒い頬には皺が刻まれている。〈これが彼?〉。僕は仮面に昔の面影を探している。すると次第に、色白の若い顔が二重写しになって現れる。目の前の顔が仮面と素顔の、今と昔の落差そのものになる。その間数秒か。型通りに再会の挨拶を交わすと、彼はやや唐突に一冊の冊子と分厚いコピーを差し出した。「読んどいてくれないか」。どちらも奥村ヒデマロの回想記であった。通称「ヒデマロ」、憂歌団のマネージャーとして昔日の僕たちには知られた人である。直接の知己を得る機会はなかったし、ヨネさんとヒデマロの関係も知らなかった。それを問うこともしなかった。僕の意識はただ、新たに訪れた別の落差のなかを漂う。あの土地でうろうろしていたころの僕と、今同じ土地で物故者を偲ぶ会に出席している僕との落差。すぐに会合も終わり、僕たちは「じゃあ」と言って別れた。

帰宅してすぐ憂歌団の『ブルース:1973ー1975』を聴く。帰りの電車でヒデマロの回想記を読んでいるうちに、どうしてもまた聴きたい気分になっていた。憂歌団が英語でブルースの古典を歌ったアルバムである。収録されているライブのどこかの会場に僕もいたのではなかったか。散々聴いたこのアルバムを、僕は今どう聴くのだろうか。それは今、どう聞こえるのだろうか。ヨネさんの仮面の下に彼の「素顔」を探していたように、僕は自分のなかの落差を測って埋めようとしていたのだろうか。

訪れたのは〈痛み〉であった。それも複合的な。まず、演奏の上手さが今となってはやや痛い。木村の歌声、勘太郎のギターは、若い日本人のものとは到底思えない質をすでにもっている。信じがたい、と素直に思える。しかし、幸か不幸かあれ以来肥えたか捻くれたか判然としない耳には、本場モノとの違いも聞こえてしまう。ロバート・ジョンソンたちが体感させてくれる、体を後ろに引っ張るタイム感が、ときに前のめりになる「ノリ」に変調してしまう。観客の手拍子がそうさせてしまうところもあるようだ。〈演者も観客もみんな若いな、余分な力が入っている〉。そう思った自分がなによりも痛いのだ。批評家めいた感想を抱く自分は、ライブの只中で味わった感覚をもう忘れてしまっている。それでも、その忘れたはずの感覚が今の〈痛み〉としてはっきり蘇ってくる。そして憂歌団という一つの固有名詞が、僕の1970年代の一切合切を一つの塊にして、50年後の僕の体に突き刺す。痛くないわけがないだろう。回想記とアルバムはつまり、僕自身の蘇った過去だ。この回帰が、音楽をめぐる主観と客観/対象の一致を証しする典型例のように思える。対象としての音が、それを対象化する主観の全体を瞬時に屹立させる。「省察」──デカルトの?フッサールの?──を経由せずに。

これが老いるというか、とも苦々しく思う。友人たちは死にはじめ、自分は己の過去を痛んでいる(悼んでいる?)。それでもこの感覚は嫌いではない。なにより、過去を過去にできている証拠でもあるのだから。思い出を綴るヒデマロ──亡くなっているそうだ──もひたすら楽しそうである。痛みであれ喜びであれ、老人にしかこの感覚は味わえまい。というか、僕にはどうやら若者を好きという感覚が失われてしまっているようである。長年「スマイル0円!」と念じて学生たちに接してきたせいかもしれない。若者とは、まだ過去にできるほどの過去をもたない、それゆえ現在を現在として享受ー享楽できない者のことではないのか。過去をもっている老人にしか、若者が好きとは言えないのではないか。

音楽における0歳児──これも、意味は異なるが若者にはけっして言えないセリフであろう。それを〈言う〉きみは、どんな音楽的過去ももっていない。いや、そのすべてを自覚的に捨てている。これは僕に言わせればむしろ「前衛」の態度だ。どんなジャンル音楽であっても、進化の過程のどこかで道を逸れてしまい、乗っているはずのプラットフォームを崩してしまう瞬間が訪れる。たとえばマイルスにはいったい何度それが訪れ、彼はいったい何度プラットフォームのリセットを強いられたことか。彼を「前衛」にした、ときおり聞き取れる──多くは海賊版でしかないライブ盤で──そんな瞬間が僕は大好きだ。しかし彼は自分が前衛だなどと思ってもいなかったろう。〈言う〉か〈言わない〉か、思うか思わないか、この違いは対象が同じ〈音〉であっても小さくない。また、モンクにはどんな進化もなく、その点で彼は永遠の0歳児であったけれども、熟練のサイドメンに囲まれた彼の演奏は、聴く者に否応なく「前衛」の音を届ける。ドルフィーによる「エピストロフィー」のカバー(『ラスト・デイト』)は、そう聴いた人間による反応でなくてなんだろう。

要するに、音楽における0歳児を自覚する人間もまた、過去を捨てた/捨てることのできる過去を数多もっている「老人」には違いなかろう。しかし、ヨネさんはいったいなぜ僕にあれをくれたのだろうか。思い出せ、思い出して僕たちの0歳に戻れ、と言われた気がする。そこが「前衛」の立ち位置であろう、と。僕たちが偲んだ故人はたしかに、「前衛」たることと引き換えに7年を獄で過ごした人であったな。« Done got old »というバディ・ガイの言葉を彼には捧げたい。『ブルース:1973ー1975』をもう一度聴きながら。

市田良彦