2023年9月25日
親愛なる市田君、
アルトーがヴァレーズとオペラを作ろうとしたのは、1932、3年頃だった。ヴァレーズの「Ionisation」も「Octandre」も作曲されていたが、レコードもないし、演奏会も稀だったのだから、アルトーはヴァレーズの音楽を聞いていない。アルトーの独自性を理解し、オペラ台本を依頼したのは、ヴァレーズのほうだった。だがすでにこの時点でアルトーには「音」に対する感覚と考えがあった。アメリカ的な(南米を含む)ヴァレーズとヨーロッパ的極点であるヴェーベルンを聴き比べてみるなら、ヴァーレーズには明らかに「ノイズ」があるし(クセナキスやシュトックハウゼンは後の世代だ)、むしろアルトーの音に対する考えとヴァレーズの新しい音造りの局面が、はからずも一致したのだと思う。あるいはアルトーはむしろ50年代のヴァレーズを先取りしていたとも言える。以下は、「残酷の演劇」(『演劇とその分身』所収)に関するアルトー自身の言葉の引用です。「音」に関するところをピックアップした。長くなるので今回は引用だけになりそう。
しかし表現のまったく東洋的な意味をもってすれば、この客観的で具体的な演劇の言語は諸器官を追いつめ、締めつけるのに役立つ。それは感受性のなかを駆けめぐる。言葉の西洋的利用を捨てるなら、それは呪文の語をつくりだす。それは声を発する。それは声の振動と特性を利用する。それは狂ったようにリズムを足踏みさせる。それは音を砕く。
加えて音楽についての具体的観念があり、音は登場人物のように介入し、ハーモニーは二つに断ち切られ、語の正確な介入のなかに消える。 さらに器官によって感受性に直接深く働きかける必要から、音響的観点からすれば、絶対につねならぬ音の特性と振動を、現在の楽器がもっていない特性、しかも古いか忘れられた楽器の使用を復活させるように駆り立てる特性を探し求めるか、それとも新しい楽器を創りだすべきである。それらの特性はまた、音楽とは別に、金属の特殊な溶解や新しくなった合金に基づいて、オクターヴの新しい音叉に達することができ、耐え難い、神経にさわる音や騒音を生み出すことができる道具と装置を探し求めるように駆り立てる。
もし、消化のためにある今日の演劇において、神経、要するにある種の生理学的感受性がわざと脇に置かれ、観客の個人的アナーキーに委ねられているとしても、残酷の演劇は感受性を獲得する確かで魔術的な古い手段に立ち戻るつもりである。これらの手段は、色彩、光、あるいは音の強度のうちに存していて、振動、小刻みな揺れ、音楽的リズムにせよ、語られた文章にせよ、反復を利用しており、照明の色調や伝達の包み込みを介入させるのだが、不協和音の使用によってしかそれらの十全な効果を得ることはできない。
「残酷の演劇(第一宣言)」
加えて音楽についての具体的観念があり、音は登場人物のように介入し、ハーモニーは二つに断ち切られ、語の正確な介入のなかに消える。 さらに器官によって感受性に直接深く働きかける必要から、音響的観点からすれば、絶対につねならぬ音の特性と振動を、現在の楽器がもっていない特性、しかも古いか忘れられた楽器の使用を復活させるように駆り立てる特性を探し求めるか、それとも新しい楽器を創りだすべきである。それらの特性はまた、音楽とは別に、金属の特殊な溶解や新しくなった合金に基づいて、オクターヴの新しい音叉に達することができ、耐え難い、神経にさわる音や騒音を生み出すことができる道具と装置を探し求めるように駆り立てる。
もし、消化のためにある今日の演劇において、神経、要するにある種の生理学的感受性がわざと脇に置かれ、観客の個人的アナーキーに委ねられているとしても、残酷の演劇は感受性を獲得する確かで魔術的な古い手段に立ち戻るつもりである。これらの手段は、色彩、光、あるいは音の強度のうちに存していて、振動、小刻みな揺れ、音楽的リズムにせよ、語られた文章にせよ、反復を利用しており、照明の色調や伝達の包み込みを介入させるのだが、不協和音の使用によってしかそれらの十全な効果を得ることはできない。
(第二宣言)
アルトーの未完の台本「もう大空はない」には例えばこうある。
闇。この闇のなかの爆発音。ハーモニーがぷっつりと断ち切られる。なま生の音。音の響きの消去。音楽は、遠くの大異変の印象を与え、目もくらむ高さから落ちてきてホールを包み込むだろう。和音が空で始まり、そして崩れ、極端から極端へと移行する。音がまるで高い所からのように落ちて来て、急に止まり、ほとばしるようにひろがり、ドームやパラソルを幾つも形づくる。音の階層。…中略…音と照明は、壮麗化したモールス信号のぎくしゃくした動きをともなって不規則に砕け散るが、それは、モールス信号とはいえ、マスネの『月の光』とバッハが聞いた天界の音楽の違いと同じようなものになるだろう。
これらの台詞は叫び、騒音、すべてを覆う音の竜巻の通過によって断ち切られる。そして、耳につくばかでかい声が、意味のわからないことを告げる。
しかし、ほどなく、舞台で見出されるべきあるリズムに従って、声、騒音、叫びは、奇妙に響きがなくなり、照明も変質する、まるで竜巻に巻き上げられて、いっさいが空に吸い込まれ、騒音も、明かりも、声も、天井の目もくらむ高みにあるみたいに。
それから、奇妙な太鼓の音がすべてを覆う、ほとんど人間がたてる物音のようで、始めは鋭く最後は鈍いが、しかもつねに同じ音だ。すると巨大な腹をした女が一人入ってくるのが見え、その腹を、二人の男がかわるがわる太鼓のバチで叩いている。
歌声が溶け、言葉を運び去り、叫び声がいっせいに起こるが、そこには飢え、寒さ、激しい怒りが感じられ、情熱、満たされない感情、そして悔恨の観念が伝わり、すすり泣き、家畜の喘ぎ、動物の呼び声が起こると、この合唱のなかで群衆が動き出し、舞台を去り、そして舞台は少しずつ声と照明と楽器の夜へ戻る。
これらの台詞は叫び、騒音、すべてを覆う音の竜巻の通過によって断ち切られる。そして、耳につくばかでかい声が、意味のわからないことを告げる。
しかし、ほどなく、舞台で見出されるべきあるリズムに従って、声、騒音、叫びは、奇妙に響きがなくなり、照明も変質する、まるで竜巻に巻き上げられて、いっさいが空に吸い込まれ、騒音も、明かりも、声も、天井の目もくらむ高みにあるみたいに。
それから、奇妙な太鼓の音がすべてを覆う、ほとんど人間がたてる物音のようで、始めは鋭く最後は鈍いが、しかもつねに同じ音だ。すると巨大な腹をした女が一人入ってくるのが見え、その腹を、二人の男がかわるがわる太鼓のバチで叩いている。
歌声が溶け、言葉を運び去り、叫び声がいっせいに起こるが、そこには飢え、寒さ、激しい怒りが感じられ、情熱、満たされない感情、そして悔恨の観念が伝わり、すすり泣き、家畜の喘ぎ、動物の呼び声が起こると、この合唱のなかで群衆が動き出し、舞台を去り、そして舞台は少しずつ声と照明と楽器の夜へ戻る。