まとめ220328

2022年3月28日

鈴木創士 殿

創士に公開で手紙を書け、と佐藤薫から。あいつはもう最初の手紙を書いているらしい。おれはまだそれを読んでおらず、まさに今、おれからの最初の手紙を書きはじめている。レーベルのサイトを介したやり取りが、しばらく続くらしい。おれは今、いまさら鈴木に対して公開の場でなにを言えばいいのか、と途方に暮れている。まあいい、佐藤くんの掌の上でしばらく踊ってみるか。いかにも彼らしいというか、ミュージシャンにふさわしい発想だと思うので。音楽はこんなふうにしかはじまらんではないか。彼もおまえもミュージシャンなんだし、おれにもそうなれ、と言われたような気がしてちょっと嬉しい。もう40年以上前だが、ちょっとだけ歌手だったしな、おれも。

しかしおれは今やミュージシャンではないし、踊ってみるかと書いたものの、むろんダンサーでもない。おれはたんなる口舌の徒である。人前で話したり、顔の見えない人たちに向かって書くことを生業としている。そして長い間、そのことの意味をどこかから問い詰められていた気がしている。そのなかで他人から言われてもっとも嬉しかった言葉は、言葉が踊ってますね、ブルースしてますね、といった類のものだった。そのようなものでありたい、といつもどこかで意識していたのだろう。アーチストへのコンプレックス? いや違うな。音や身体による「表現」を特別視して、言葉を軽んじるような物言いには憐れみすら感じる。そんな姿勢では、自分の「作品」を「いいね!」稼ぎに貶めてしまうぞ、と。おれたち──とあえて記す──は「インフルエンサー」なのか?

創士くんよ、きみは小説家でもあるからよく知っていると思う。最初の一文はむつかしい。白紙の頁にどんな言葉を置く? なにをどう言ってもいい、そんな条件でいったいなにをどう書けというのか、と途方に暮れた経験がきっとあると思う。ステージの上でも同じだろう。最初にどの音をどう出す? 文学作品を書いたことのないおれでも、書き出しはいつもむつかしい。テーマというか、流れというか、全体として「言いたい」ことのイメージがすでにあっても、最初の一行はつねにむつかしい。世界をゼロから作るようなことを強いられるのだから。そんなことはできない相談と分かっていながら、そのようであると思い知らされた経験を胸のどこかに刻んでいる者として、「おれたち」とおれは記す。

最初のフレーズは、白い紙の上に書かれようが、無音の空間に放たれようが、現実世界においてはノイズだ。うるさくなくても騒音。まだ「意味」が分からんので。そのことを、おれは子どものころ、テレビでセロニアス・モンクを見て/聴いて思い知らされたように思う。たしか初来日のときで、佐良直美が司会をしていた。そのころのおれは、従姉妹の家で聞いた彼女のピアノとショパンのレコードにうっとりして通いはじめたピアノ教室を、あまりのスパルタに嫌気がさしてやめてしばらく経っていた。モンクのピアノは、こんな音、こんな弾き方があるのか、という衝撃だった。彼がソロで弾く「煙が目にしみる」が、おれの音楽経験を白紙に戻してしまった。まさに、ありえない! という感覚。リズムはずれているし、和音は和音なのかすらよく分からんし、なにより、手のひらがぺったんこ。指を立てろと散々矯正されてきた身としては、初心者の手の構えと指の動き。意味が分からないということ自体が意味をもって迫ってきた。ジャズというものに興味をそそられて、その後オスカー・ピーターソンのコンサートに行ったりもしたのだが、これがジャズならショパンでいいや、と思った記憶あり。

おれにクラシック・ピアノの経験がなかったら、モンクのピアノはノイズには聞こえなかったろう。はじまりのフレーズは「私」の経験を、経験したことの「ある」と「ない」がすれ違う陥没地帯に落とし込む。この手紙もそうだ。佐藤薫を含み、おれたちがすでにおれたちでなかったら、こんな企画は成立しなかった。けれども、いわゆる「素地」がすでにあったから、おれはまたしても、「いまさら」という白い紙の前に座らされている。はじまりはむつかしい、とはじめに言っておきたかった。文法学者なら「時制(テンス)」と呼ぶシステムの一つとしての「現在」の手前で、その「現在」を構成するはずの色々な「アスペクト(局面)」が行き交っている。『騒音書簡』ははじまり「つつある」、「まもなく」はじまる、「すでに」はじまっている、「やがて」過去になる。とすればこの陥没地帯にこそグルーヴはある。ということでこれがはじまり、第1回の手紙だよ。

市田良彦

 
 
2022年4月29日

親愛なる市田君

君の言うように「最初の一文はむつかしい」。それどころか、それを書いた後、振り返ると最初の一文は透明になっている。消えている。「最初の一文」としてそれを書いたのか確信が持てない。セロニアス・モンクの天才的な「びっこリズム」、あのノイズのようにはかっこよくできない。俺の場合、最初に画した文章全体の構想はほとんどズタズタになってしまう。「最初の一文」は「よそ」からやってくるからだ。君が言うように、書く場合だけでなく、演奏もそれに似ている。 フォノンの小磯幸恵から市田良彦と往復書簡をやれと言われたとき、君と議論を戦わせる光景が頭をよぎった。君は哲学者だから、哲学者と戦うのも悪くないと思ったが、今更の感もある(でも今がピカピカのサラになるかもな)。さっきまでアルトーの「アンドレ・ブルトンへの手紙」の翻訳ゲラを見直していたけど、アルトーのようにはとてもじゃないがやれない。つまり我々の「騒音書簡」は往復書簡でありながら、「最初の一文」にとどまり続けるかもしれない。これは漠然とした不安だろうか。佐藤薫がそれを画策したのか。ともあれ、ノイズは音楽になるのかという問い自体が無駄になるわけだ。あえてそう言っておきたい。俺は偽の古典主義者なんだ。 ところで、「空耳を潰す」という妙な言葉があるが、それはわざと聞こえないふりをすることらしい。EP-4の復活ライブ、二度目の代官山 Unit だったと思うが、リハの途中で佐藤薫がある録音を聞かせて俺にこう言った、「何分何秒目のこの音出して!」。イヤホンで何回か聴いた。えっ、聞こえないけど! 空耳をつぶしているわけじゃなかった。人間の耳はある数値の周波帯しか聞き取ることができないが、その範囲はイルカや鯨よりも狭い。しかしそういう問題ではない。ある低音(高音?)の音だけがどうしても聞き取れないのだ。耳鳴りのせいで耳が壊れたのか。爆音で片耳が聞こえなくなる人がいるが、それならわかりやすい。鼓膜が破れたのだろう。しかし俺の場合は、他の音は聞き取ることができるので、周波帯に極小の穴があいたとしか考えられない。それは音の穴なのか。これだってさまよえる「最初の一文」ではないか。 地球上には完全に無音の空間はないし、それを経験することはできない。物音ひとつしない夜の砂漠にいても自分の血が流れる音や心臓の鼓動が聞こえるからだ。生きている身体は音に満ちていて、完璧な静寂は身体の向こうにしかない。生命はうっとうしいだけでなく、騒々しい。だが鳥の囀りを聞いて、どうして自分が静寂のなかにいると感じるのだろう。完璧なかたちは無理でも、日常生活でも断片的な無音を聞いているということがあるのかもしれない。 音楽のテクスチャーにも幾つも穴があいているが、俺たちはいつも耳の穴から漏れる無音を聞くともなく聞いているに違いない。つまり書かれていない「最初の一文」を。君が言うように、現在を構成しかけのアスペクトは「ある」と「ない」のノイズ=無音からなっている。そうはいっても、ジョン・ケージ論者たちが言うように、たぶん「沈黙を聴く」とかそういうことではない。澄ました顔であの類いのことを言われるとイライラする。音には穴があり、音はその穴と対になっている。間断なく続く耳鳴りも、ノイズも、この穴を通って外に漏れ出ているのかもしれない。穴があることによる音と無音。君の言う「陥没地帯」だ。あるいは欠落による音楽的持続と沈黙。シュトックハウゼンならそこに音楽の構造と時間の問題を持ち出すのだろうが、たぶん的はずれだと思う。 それにしてもパンク時代の君のプロフィール写真は笑えるね。若者やな。

鈴木創士

 
 
2022年5月28日

鈴木創士兄、

おかしなことになっている。佐藤薫の仕掛けがさっそく効果を発揮している。貴兄からの2通目の手紙を読みながら、そう思わずにいられなかった。我々はそれぞれのn通目の手紙をφononのサイト上ではじめて読み、それぞれのn +1通目の手紙を互いに向けて書くことになっている。往復書簡であるにもかかわらず、二人の間を行き交う「ピンポン玉」がないのである。通常の往復書簡であれば、読者は「ピンポン玉」に二人の関係の実質とその変化を読み取り、そこに第三者として割って入ることができる。感想を持つだけでも、それを口にすれば関係への立派な介入だろう。そんな変化する一つの「実質」が構成されないようにする仕掛けを、我々のプロデューサーは騒音書簡に仕込んだ。 貴兄からの1通目の手紙を読み、僕はそれへの返信を、「問い」を投げるかたちで書いた。1通目にあった「ように」ってなによ。「ように」ってどういうことよ。それを問うことが返信としての僕の2通目の手紙だった。たった今、貴兄はもうその問いに対する返答を書いているはずだ。今日は貴兄のライブ本番の日だから、書き終えた手紙を一足先にもうサイト管理者に送っているかもしれない(今日は5月28日で原稿の締切は月末)。とにかく僕はまだその返答を読んでいない。ところが僕のすでに読んでいる/読んだ上でこの3通目を書かなくてはいけない貴兄からの手紙には、またしても、僕の目には肝心と見える箇所に「ように」とある。「アルトーのようにはとてもじゃないがやれない」。普段なら分かった気になってそのまま先に読み進めたろうこの一文に、僕の目は釘付けになる。前の手紙で「ように」ってなによ、と質問していたから。この「アルトーのように」ってどういうことよ、と僕はあらためて問わざるをえない。貴兄からの3通目、そこに答えが書いてあるはずの手紙を読まずに、僕は僕の3通目を書かなくてはいけない。貴兄の2通目は貴兄自身の1通目に僕のなかで送り返され、僕は自分の2通目に対する自分の反応込みで貴兄への3通目を書かなくてはいけない。僕にとって「ように」はまたなのだ。 フィードバックとはこういうことか。裸のラリーズを思い出さずにはいられない。前に進むことと後ろに帰ることを執拗に交差させる水谷孝のギターを。やりすぎの残響と異なる拍子の共存で、前に進みながら後ろに帰ることをこちらに強制する彼のいくつか(?)の曲を。それらは、この音はずっと昔から響いていたと思わせるほど、こちらを前に連れ戻す。いつはじまったか、いつ終わるか、という問いを無効にする。最近のEP-4の演奏(unit-Pではない)もその点では同じだ。 「アルトーのようにはとてもじゃないがやれない」と書いたすぐ後に、貴兄は続けた。「つまり、我々の騒音書簡は(…)『最初の一文』にとどまり続けるかもしれない」。この「つまり」に対し、僕は今、騒音書簡の仕掛けにより違和感を持たされている。つまり、我々の「はじまり」がフィードバック効果によりもう消されてしまった、いや「最初の一文」なんか実はない、と感じている。「アルトーのように」がどういうことかはさておき、貴兄の書く「つまり」から判断される「アルトーのように」我々は現にやっているではないか、むしろ「アルトーのよう」であるよう強いられているではないか、と。僕の「つまり」と貴兄の「つまり」はこの瞬間、反対を向いている。我々の間に一つのピンポン玉がない(二つある?)ゆえの事態だろう。 「きみは哲学者だから」と貴兄は言ってくれたが、その規定を受け入れるには僕は「哲学」に対し皮肉すぎる感情を抱いている。そんなもの、もう終わっているではないか。哲学はもう実在していない。ひょっとすると実在したことがなかったかもしれない、とさえ思っている。これはもちろん、他人の受け売りなのだが、僕はその他人──ミシェル・フーコーという──の診断に深く同意する。同意して、彼のように「言われたこと」を「記述する」ことだけをしていたいと思っている。「言われたこと」は「出された音」であってもいい。つまり、と貴兄にならって言えば、「言われた」内容、なにが「言われた」かにはあまり興味がなく(それは言った本人に聞け)、「言われたこと」/「出された音」を「物」扱いして、「物」としての効果を再現してみたい、と。2通目の手紙ではその効果が、「ように」ってなに?と問うことであり、この3通目では、手紙という二つの「物」の「間」──これも「物」の一つだろう──を「記述」してみたいと思った。

市田良彦

 
 
2022年6月28日

親愛なる市田君、

君が言うように哲学は存在しなかったかもしれないから、君は哲学者になったんだろ? なるほど哲学も文学もどうでもいいと僕も思っている。フーコーの有名な言葉、「別の仕方で思考すること」ができるなら……。だが今更「思考」なんて言っている奴のなかには(我々のことだけど)、破綻した哲学者と破綻した作家がいるだけだ。我々はそれを恥じたりしない。別の仕方でやることができれば、別の仕方で生きて考えることができれば、ほんとうにそれができるなら、思考のなかに「音楽」や素数の不可能な分布やフォトンが生じることを君もよく知っているだろ。 それは素晴らしい経験であるし、裏返しになった「政治的」光景だ。そのために、それが何らかの幾何学的射影であっても、この眺望、この観念にはあらゆるノイズの介入が必要なんだ。ノイズがなければうまくいかない。我々はキチガイではないが、まあ、この環境でまともでいることはできない。ちなみにノイズは「ピンポン球」ではないし、対位法ではない。聾のベートーヴェンだって、聾だからこそそのことを知っていた。晩年のベートーヴェンはある意味で凄腕だよ。聞くことが問題であっても、耳に聞こえている必要はない。森田潤が音楽造作の切片をさらにノイズと別のリズムで徹底的にお釈迦にして鼓膜の向こうへ飛ばしてしまうあのやり方を僕はとてもよく理解できる。たいしたもんだよ。森田氏は「上手く破綻している」んだ。言っとくけど、あそこにも「ピンポン球」はあり得ない。諦めたほうがいい。佐藤薫を含めて動かない「アスリート」である俺たちは卓球が得意じゃない。俺は全ての「卓球」を否定してもいいと思っている。全く違うことが生じているんだ。 たしかにこの書簡はスパイラル状になっているので、そろそろ俺も混乱してきた。この手紙の君の前回分だけを読み返せばいいのだけれど、他の手紙もつい見てしまう。読み返してしまう。するともうだめだ。三回目、四回目ですでに混乱しているのだから、先が思いやられる。誰が書いているのか。イタリアの画家ボッティチェリに倣って「私はこの手紙を混乱の中で書いた」とでも言っておけばいいのか。私は混乱を愛している、愛さざるを得ない、と。幻の「はじめの一文」にとどまることも、「はじめの一文」が消えてしまったことも、もう大差はない。我々はDNAに舞い戻ったのさ。DNAの二重螺旋は永久に交わらないけど、しかし二つの染色体の遺伝的な形質的特質は負の性向においてなぜか奇跡的に交わることがある。愛が生まれる。ピンポン球はいらないわけ。 「ように」の話を蒸し返すのは面白くないだろうけど、「嗅ぎ分ける」と書く場合、僕は「死にかけの犬のように嗅ぎ分ける」と直喩で書きたくなる。犬を登場させることは文の全体にとって違う効果を与える。死にかけの犬という実在(名前?)が加わる、ただそれだけのことにすぎないけど……。中世フランチェスコ派の神学者オッカムが禁じたことだが、俺はむやみに実体を増やしていることになるわけだ。手紙も実体だし、ピンポン球がなくても、実体は増える一方だ。これも佐藤の陰謀の一環だから仕方がない。その絵画的音楽的拡がりや増殖の中にどのようにこの身体があるのか、あり得るのか、書き手の身体的リズムの違いが、段差が、小さな事象を生み出すこともある。どう説明すればいいんだろうね。難しいな。「ように」が介在しようとしまいと、ひとつの「経験」が生起すればいい。偶然であれ必然的であれ、音楽がどんな音色を、どんな「ノイズ」を選択するのかと同じことだよ。何でもいいわけではない。これでは答えになってないな。

鈴木創士

 
2022年7月30日

鈴木創士へ、

なるべく毎回、宛名の書き方を変えようと思っているのだが、ついに呼び捨てか? いや、そういうわけではない。今回の手紙は「鈴木創士」と名乗っている作家・音楽家に宛てているつもりである。同じように、今回の手紙は流れ弾を「佐藤薫」にも被弾させようと思う。君たちの7月2日のライブは、考えてみれば僕にとっては、二人が同じステージに立つのを見るはじめての機会であった。40数年前に見たEP-4の舞台に、「鈴木創士」はすでにいなかった。 「佐藤薫」は、ヴォイスとして出演するかぎり、マイク片手に座っていてほしくなかった。「佐藤薫」にはトルソとして、舞台中央に突っ立っていてもらいたかった。Velvet Undergroundにおける「ニコ」のように(「ように」をめぐる考察は続いている…)。楽器奏者は美神に仕える従者であってほしかった。君たちのステージは40年前よりはるかにExploding Plastic Inevitableの一環であったわけで、舞台にいない僕はまるでウォーホールになったかの気分であった(ヴェルヴェッツのこの連続ライブについて初耳の方はぜひYouTubeで検索して視聴ください)。音的にも絵的にも、ベースを含む電子音群の厚い層──マーラーやベルリオーズばり──が「真ん中」を形成し、その「下」でユンが気持ちよさそうにポコポコとアナログに太鼓を鳴らしている。トランペットとギターは「上」から介入して、全体を柔らかいベッドにして飛び跳ねたりベッドそのものを裂いたりする。「真ん中」が「上」と「下」を遊ばせる。「上」と「下」から「真ん中」にしてもらっている。ウォーホール(影のプロデューサーだ!)として言わせてもらえば、この構図にヴォイスの位置はない。だから「佐藤薫」は座っていたのだろうが、しかしそれは裏を返せば、突っ立って全体の「外」に出てしまえば構図を鮮明にする役を果たすことができた、ということでもある。現代のMelody Laughter(これも初耳の方はYouTubeで聴いてください)「として/のように」、僕は君たちのステージを聴いた。今この瞬間も聴いている。 そう、これは僕の妄想である。しかし聞き手に妄想を綴らせることもまた、音楽の効用ではないのか。これは前回の手紙で紹介した『鑑識レコード倶楽部』の著者に対する僕からの返答でもある。マグナス・ミルズも実は僕が今ここでしているようにしてあの小説を書いたはずだ。音楽と音楽について語ることの間の断層を、一つの妄想に仕立てて実在させたはずだ。鈴木創士の『離人小説集』を見よ。彼はそこで何人もの作家になりきっている。なりきることで、なることなどできない事実にようやく形を与えている。内田百閒の「よう」で「ある」鈴木創士とはこれいかに。文との関係における作家の固有名とは?? 妄想という分かりやすく強い言葉を使ったが、僕は実のところ、自分の「市田良彦=アンディ・ウォーホール」という恥知らずの等式を妄想とは思っていない。実際、演奏中の君たちもまたここでの僕のようにしていたはずだ。すなわち「言葉」を聞いて「言葉」を返す、ただそれだけのことを。返す「言葉」がただ「正しい」反応、期待される返事であるなら、バンド演奏など成立しない。出される音がつねに一定「間違っている」から、会話としての演奏は続き、演奏しながらイライラしたり、調子にノリすぎたりする──まさに妄想に閉じこもる──こともあっただろう? 観客をもう一人のバンドメンバーとして巻き込まずして、彼に妄想を抱かせずして、どこがライブよ。生物学の教えるところでは遺伝とは情報伝達であるそうだが、だとすれば「正しい」情報、ノイズを含まない情報しか伝達しないときには、子が親の完全コピーとして生まれるという気持ちの悪い事態にしかならないだろう。これもまたある科学史家の言葉を受け売りすれば、「正常」な人間は「正常にされた怪物」にすぎないそうな。その人いわく、生物はみな「間違える能力」を持っている。バンドのライブは、事後に持たれる感想も含め、それを実証している。 けれどもまた、そこが僕をいつも苛立たせるところなのだが、こういう「誤謬(エラー)の哲学」は結局のところ、「正常化」の包括的正当化にしかならず、妄想であれノイズであれ偶然であれ、それが「真」として炸裂する瞬間のことを捉え損なっている。言語と音楽はいずれもエラー含みの生命活動であるには違いないのだが、そのように見切ってしまえば、「EP-4=Velvet Underground」を幻視する「市田良彦=アンディ・ウォーホール」にはなんの面白みもない。「私は狂っている」と自白した人間は病院を退院させられる。それが分かっているならあなたはもう狂っていませんよ、と言われて。言語と音楽の間には越えられない壁があるから、越えること、妄想することに意味がある。バンド活動を続けること、言葉を綴ることに固有の「技術(パフォーマンス)」が生まれる。 君たちのEP-4に「真」なるノイズを炸裂させるためには、次はフィルターをかけない生声を登場させたまえ、と影のプロデューサーは言っている。そうだ、7月2日に生のアノニモ夫人(アルバムを聴いていない人はすぐに買ってください)にお会いできたことはこの上ない光栄でありました。

市田良彦

 
2022年8月29日

良彦さま

前回の手紙の君の意見に賛成だ。この前のEP-4 unitP+佐藤薫+山本精一の大阪ライブだが、佐藤薫には、シンセは横に置いて、ど真ん中のスタンドマイクの前に立っていてもらいたかった。昔のように。だけど何も昔のようにやりたいわけじゃない。我々は盆栽バンドではない。観賞用ではないし、黙って自分を愛でておけばいい対象にもなれるはずがない。盆栽にはないバンドの幾何学がある。君の言う通りだ(まあ、スタンドマイクについては、今度直接本人にそっと言うつもりでいる)。EP-4 unitPに佐藤が加わったのはこれで三回目くらいだったと思うが、特に今回、僕は初期のEP-4のライブを思い出していた。佐久間コウというオリジナル・メンバーが一緒に演奏したからだけじゃない(ユンはその頃いなかった)。音の面だけじゃない。別のことがある。演奏中に擦り切れた風景が現れた。分厚い雲、ヒステリックな隙間、暗い電球、一瞬の退屈、飛んだヒューズ、ノイズのなかの怒号(これは空耳だ)、ぱらぱらとしたダンス……。まあ、いいだろう。 で、EP-4にとっての「アンディ・ウォーホル」、つまり君のことだが、ウォーホルはそもそもヴェルベット・アンダーグラウンドにとっても、自分の分身イーディ・セジウィックにとっても、徹底的な「マゾヒスト」だった。自分で自分を一生懸命いじめ抜いていた。「毛皮のヴィーナス」という曲をルー・リードが書いたとき、念頭にあったのはウォーホルのことだったと僕は思っているが、それ以上の事態がウォーホル本人のなかでずっと起きていたんだ。君に即して言えば、君のサディズムは内側に向かうしかないことになる。イーディについては、彼女は歌もうたえないし楽器もできないから、ファクトリーで踊る以外に何もできなかったが、ほとんどヴェルベット・アンダーグラウンドのメンバーみたいなものだった。たしかにウォーホールはプロデューサーだった。だがプロデューサーといっても、彼はミイラを取りに行ったミイラだった。前に『分身入門』という本に書いたが、要するに「ヴェルベット・アンダーグラウンド共同体」というものがあったんだ。それが日本にまで及んでいたとしても、不思議じゃない。演奏面についていえば、誰もが微妙に演奏に加わらない。知らん顔で別のことを始める。別の音を聞いているようにして演奏に加わり、加わっている風でそれを否定して知らん顔をする。この点は「共同体」にとって重要だ。ある意味で高度な技術だよ。unitPのメンバーにはそれができる。僕は彼らを見て惚れぼれするとともに、彼らには感謝の念しかない。君がヴェルベット・アンダーグラウンドと言うとき、たぶんあの「共同体から離脱する共同体」を同時に考えているのだろうが、僕はそのことを君の本『ランシエール』から学んだ。余談だが、先日、神戸でunitPを演ったんだが、打ち込みデータの入ったホソイヒサトのコンピュータが本番一時間前に完全にお釈迦になった。データが全部飛んだ。というわけで、安井麻人のデータは残っていたものの、イヌイジュンのドラムが数曲加わったこともあって、ほとんど生演奏に近かったが、以上の点が変わることはなかった。 君がヴェルベット・アンダーグラウンドを引き合いにするとき、裸のラリーズが亡霊のように後ろに控えているように思う。ラリーズという存在はずっと好きだったが、初期結成メンバーである写真家のNさんやラリーズ関係者で僕の古い友人だったK君は知り合いなので、言いにくいところがある。その代わりといっては何だが、水谷孝のエピソードをひとつ。 大昔、銀座のイエナ書店に年上の友人と一緒に向かっていたときのことだ。イエナは洋書専門だったが、ろくに外国語もできないし金もない俺たちは外国雑誌や写真集や画集を立ち見するためだった。俺たちはぶらぶら歩いていた。前からやって来たサングラスの男とすれ違った(彼はたぶんイエナを出たばかりだった)。 僕が言った、 「いまの澁澤龍彦でしょ?」 「違うよ、ラリーズの水谷君だよ」 真夏の吸血鬼……。 そういえば、澁澤龍彦はあのくそ暑かった夏の盛りに革ジャンと革パンをはいたりしないはずだ。

鈴木創士

 
 
2022年9月29日

Cher Sô-si,

裸のラリーズなぁ。水谷さんが亡くなり色々と再発されているし、なにか書いておくべきタイミングなんだろうと思う。しかし、これは直接言ったかと思うが、水谷孝と裸のラリーズについて今なにかを、つまりタイミングを測って、書くことには強い抵抗がある。けれどもオフィシャル三作とOZ Daysが再発されて数ヶ月経ったし、少しはタイミングをずらしたかなと思い、きみの挑発(?)に乗ってみようかと思う。まず、抵抗ってなに? ということだが、それはことがまさに再発であることに関わる。アングラだったということだろ? 陽の当たらない「闇」に沈んでたってことだろ? 俺はなによりそれを認めたくない。お前もアングラでいろ、世の中に出てくるな、と言われているような気になる。不遜な同一視をまた──ウォーホールに続き──やっていると思われるだろうが、それくらい俺の中では「裸のラリーズ」は続いていた、ということ。たとえばまさにたった今、俺は数年間温め、さらに一年弱かけ、ある「本」を脱稿したところだ。その間、ラリーズの「音」はいつも耳の底にあった。あのフィードバック、構成、轟音と静けさに、俺はどこかでならおうとしていた。だから再発と聞いても今さらなのよ。タイミングでなにか書いたりしたら、まだ世に出ていない俺の新作まで、自分でアングラ扱いするような気がした。水谷さんはそんなことをしたか? 作品を出して演奏を続けて、おしまいだったろう? しかしまあ、追悼の意味で少しは思い出話をしてみようか。 OZ Daysを数年ぶりで聴いて思い出した。そういえば、これは俺が70年代末頃に、アレルギー反応を起こすぐらい嫌いになった類の音楽だった。「音」のせいではない。京大西部講堂のせいだ。水谷さんの京都時代の仲間に同志社出身の「小松ちゃん」という人がいた(故人)。同志社時代はたしか劇団を主宰していたのではなかったか。個人的な付き合いがあったわけではないのだが、彼は当時、西部講堂を代表する人格だったと言ってよく、その「小松ちゃん」が代表する西部講堂的なもの、ひいては京大と同志社の「全共闘」生き残り組の「カルチャー」ときっぱり縁を切りたい、と思ったわけ。そうなった事情はどこかで書いたことがあるし、「小松ちゃん」のせいでもなく、要するにローカルな「政治」絡みの話であるから、ここではどうでもいい。とにかく、とある事件のようなもののせいで、20代前半だった俺は、10代の頃から馴染んでいた京都ローカルのアングラ的なもの一切に嫌悪感を抱くようになった。「裸のラリーズ」はそれを「音」において、あるいは「音」により、代表していた。二回しか生で聴いたことがなかったのにな。でもOZ Daysのような音イメージとして、バンド周辺の逸話が醸すアウラとともに、はっきり記憶に刻まれている。 ところがよ、90年代前半をフランスで過ごして帰ってきてみると、アングラを旨としレコードなんか出さないはずのラリーズが、三枚もアルバムを出している。そしてその中の一枚、77年のライブは、もう昔となんの関係もない! 聴いてみようと思ったのは、三年半の外国暮らしでこちらも昔日の「垢」のようなものが取れ、純粋な好奇心からであったと思う。水谷孝は彼なりに模索を続け、変化し、昔の「音」を自ら突き抜けていたのだ、と、67年からの演奏がまとめて聴ける三枚は俺に知らしめた。彼はもう「西部講堂」の人間ではない! その後、いわゆるD音源なるものが出回りはじめると、その思いはますます強くなった。2006-7年頃だったか、俺が当時編集委員の一人だったフランスの雑誌でノイズ・ミュージックの特集をやろうということになった。その筋の好き者であった数人の間で色々情報交換をすると、彼らは「裸のラリーズ」──仏名Les Ralliez Dénudés──の名前は知っている。ノイズ・電子音楽のアンソロジー(An Anthology of Noise & Electronic Music)に77Liveから一曲が収録されていたかららしい。それで随分と音源をCDに焼いて送った。彼らは狂喜していたよ。あちこち配ったそうな。当時すでに数巻出ていたそのアンソロジーと彼らとの議論のおかげもあり、俺はデルタ・ブルースとシュトックハウゼンを繋ぐトンデモな「歴史」を特集に書くことができた。それが雛形になって、日本語でも久しぶりに本が書けた。以降、俺の中では裸のラリーズと水谷孝の名前は、「音」だけでなく「活動/仕事」の名前でもある。いつの間にか「圏」──文化圏であれ思想圏であれ世代であれなんであれ──を飛び出すこと! 轟音グルーヴは壁を壊す。 亡くなった大里俊晴(元「ガセネタ」)と話したことがある。どうして「音」はだんだん大きくなりたがるんだろうね。彼とは俺が件の日本語の音楽論っぽい本を書いた後、一緒に仕事をするはずだったが、本の完成を待たずに彼は病に斃れた。大きい音でもラリーズは「ノイズ」じゃないよ、と大里くんは強調していた。ライブハウスでバイトしてたとき、ラリーズの裏方をやったそうなんだが、ものすごく高価なシールドを使っていて驚いたとか。「ノイズ」を極限まで排除するためのシールド。なにをコントロールしたかったんだろうね。

市田良彦

 
 
2022年10月30日

Mon cher ami,

友人同士の手紙のやりとりというのは、そもそも変な感じがするし、恣意的にやればやるほど、やりにくいところがあるのもわかってきた。まあ、嫌いな奴との往復書簡というのも考えにくいが、僕と君があらためて逸脱気味に何を想い、書いているのかちょっと漠然としてくることもある。書いているのは別の奴ではないけれど、君と会っても、電話で話しても、示し合わせたわけではないのに、お互い事務的事項以外にこの往復書簡について何も話さないというのは、我ながらなかなか興味深いと感じる。何しろここで事は螺旋状に起きているのだから、いつも明後日にいるような所在ない感じがしないでもないが、「書く」ことの新しい形式を経験している感じがする、とまで言えば大げさかな。もしかしたらこの企画は実にいいものかもしれないと考えたりもできるが、これに佐藤がからんでいるのだから、余計に事態はややこしくなっている。 君も知ってのとおり、僕は裸のラリーズの水谷孝氏について書く予定があって、ここであれこれ意見を言っちゃうと原稿が書けなくなりそうなのでやめておくが、京大西部講堂をとりまく状況に対する君の反発はなんとなくわかっていたよ。リスナーとしての君とラリーズの抜きさしならぬ、しかし独特の関係と非関係は君の『ランシエール』を読んだときにかなりはっきりとわかった。あれを読んだとき、僕の知っている限りでの君のかつての印象までもが思い起こされ、ふむ、なるほどね、そういうことなのね、と思ったのだから、僕は良い読者だったということになる。「“全共闘” 生き残り組の “カルチャー” ときっぱり縁を切りたい」と君が思ったいきさつは詳しく知らなかったが、君は京大西部講堂に関わっていたのだから、たとえそれが具体的に「ローカルな政治」に発していたとしても、ローカルな問題とは必ずしも言い切れないところがあると僕は思う。そもそもかく言う「カルチャー」自体が曲者だからだ。それに60年代、70年代のカルチャー政治に反作用するように、「あのフィードバック、構成、轟音と静けさ」のなかでラリーズが変化したのだということ、これまた必ずしもローカル性を示すものではないよな。おっと、ラリーズのことはこの辺でやめておく。 いつだったか、あまり誰も西部講堂のことを気にしなくなった時節、西部講堂はどうなるのか、と問いかけた僕に君がこう答えたのを覚えているよね。「西部講堂か? 最後にラリーズのライブをやって、その後は燃やしてしまえばいい」! つまり60年代70年代アングラは燃やしてしまえばいい! 当時の政治とその他のものとの関わりは、非常に複雑な問題を孕んでいるようにみんな言っていたけれど、案外そうではなかったのかもしれない。例えば、今思い出したから言うが、ブリジット・フォンテーヌは「ウッドストック」的なものは全部ダメみたいに当時からきっぱり言っていたけれど、すでにその頃からそのような微妙なニュアンスを嗅ぎ分けて、同族に対する違和をはっきり感じていた人は少なからずいたことになる(新宿フーテン族のなかにはヒッピーだけじゃなく、日本型ビートニクもいた)。 何を隠そう、僕もそうだった。見るべきもの、感じるべきもの、体験すべきもの、行くべきところ、それに仕方なく行ってしまうところはたぶん連中と大差なく、同じようなものだったが、ガキだった僕は何度「つまらない、こんなのは違う」と思ったことか! そのことしか考えていなかった時期もあるくらいだ。それはほとんどかつての僕の行動規範だった。この書簡で自分のことを「偽の古典主義者」などと言ったのは、この感触と無関係ではなかったというか、まさにそれに端を発している! 人間がまるくなって、今じゃそのことを忘れてしまいがちだけれど、一見するとそれなりにアングラの知人ばかりなのに、自分はアングラではないということ……。 今更ながらだけれど、西部講堂がかつて面白い場所だったことは認めるよ。まだ若かった僕は一人の観客でしかなかったのだから、それなりに気楽なものだった。三高時代からのあの古い瓦屋根、とつぜん屋根に描かれたオリオンの三つ星、ステージで何が行われていたにしろ、前の土の広場に雨が降ると、汚い水溜りができていた……。ヘルメットの学生たちもいたが、僕は年上の彼らを無視した。あの治外法権の場所でヘルメットをかぶる必要はなかった。 何が起きていたのか細かいことはほとんど忘れてしまったが、今でも覚えているのは、土方巽の舞踏、村八分、ラリーズ、二人だけのストラングラーズ、トーキング・ヘッズ、ケネス・アンガー映画祭、フランク・ザッパ……。近いところでは日本赤軍関係のイベントもあったが、まあ、それはいいだろう。

鈴木創士

 
 
2022年11月29日

Sô-siくん、

「ラリーズのコンサートをやって西部講堂を燃やす」。あの放言は俺としてはものごとの「終わり」という問題に関わっていた。この「騒音書簡」の最初のほうで書き、ある意味ずっとそのフィードバックのなかで君とのやり取りを続けてきた「はじまり」という主題とは対極の位置にある問いである。はじまってしまったものをどう終わらせるか。現役で西部講堂の運営に関わっている人たちには申し訳ないし、間接的にしかあそこに関わったことのない俺が言うのも口幅ったいが、あのとき俺はたしかに「西部講堂」はもう積極的に幕引きを図るべきだと思っていた。自ら幕を下ろす、それだけが西部講堂を「西部講堂」足らしめるのではないか、と。つまり「西部講堂」は俺の幻想の中にある何かの別名にすぎない。 その何かはけっして「全共闘カルチャー」ではない。そんなカルチャーは俺の中でさえとうに終わっていた。「小松ちゃん」の盟友であったT氏主催の大駱駝艦舞踏公演を事前に恫喝をかけて潰したときに。公演は場所を移して行われ、T氏も白塗り姿で登場したらしいが、俺としては「ザマよ、これで西部講堂を守った」という気分であった。その「守った西部講堂」で行われる最終公演が「ラリーズのコンサート」であり、そこにはもう1人出演者がいるはずであった。田中泯である。彼は西部講堂で踊ったことはなかったのだが、かつて京大の正門前にほぼ全裸で登場して踊った田中泯を、炎と煙に包まれる講堂の屋根に上らせ、ギターの轟音に包んで踊らせ二つの「裸」を合体させることが、あの放言の正確な中身である。美しいではないか、「裸のラリーズ」と「裸の田中泯」が数十年の時を越えて一つになれば! そういうつもりであった。 この話は泯さん本人にもしたことがある。彼は乗ってくれた。江戸火消しの末裔たちに頼んで消火も万全という態勢を整えればできるんじゃないか、と。さすが! と思い、実現するなら全力で、つまり自分が主催者になって全責任を引き受けるつもりで、京都残留の知人たちに話したら一笑に付された。まあそうだよな、曲がりなりにも西部講堂は続いているんだから、と俺もほどなくその話を忘れた。ようやく世間というものに気づいた感じ。どうもこういうズレかたを俺はいつもしている。 しかし何の「終わり」だったのだろう。今もってよく分からない。「はじまり」の難しさと呼応していることだけはたしかだろう。音楽を、小説を、どうはじめ、どう終わらせるのか。物書きの端くれの実感としては、うまく終わったと思えるときにようやく、はじまりはあれでよかったのだと安心できる。「西部講堂」のうまい終わらせ方を夢想してしまった俺は、俺にとっての一つのはじまりとしての「西部講堂」に、「よし」と言いたかったのであろう。ある意味すでに終わっていなければ、はじまりは「ない」。終わりがはじまりをあらしめる。 また哲学者ぶって高踏な一般論に逃げやがって、と君にも読者にも眉を顰めさせるかもしれないが、今回この話をしておこうという気になったのには卑近なきっかけもある。まもなく出版されるからもう書いていいと思うが、俺は今、岡崎次郎の『マルクスに凭(もた)れて』という古い本(1983年刊)の再版計画に足を突っ込んでいる。君は知っていたようだが、ここの読者はほぼ知らんと思うので少しだけ紹介しておくと、夫人と一緒にこの世から姿を消した『資本論』翻訳者である。海に身を投げて自死したはずなのだが、遺体が発見されていないため高校の同窓会名簿に「旅行中」といまだに (?) 記されている人である。その再版本に「あとがき」を書かねばならず、人生の終わらせ方について何をどう言えばいいかと頭を悩まされている。それであの放言にまで連想が飛んでしまった。そして思った。そんな美しいものじゃないぞ、「終わり」は。ならば「はじまり」もまた。彼にはあの終わらせ方を上質の悲劇と思わせる世間的には気の毒と言うほかない事情もあったのだが(知らない方は彼の名前をググってください)、この遺書たる自伝を虚心坦懐な目で読むと、「気の毒」の裏から爆笑ものの「トンデモ」な実情が見えてくる。なに、彼は「マルクス主義」で1980年代初頭までに少なくとも2億円ぐらい稼いでいたのである。給料とは別にである。ほとんど残っていないと記されたその金はどこに消えた? 革命運動に注ぎ込むなんてことをしていなかったことだけはたしかである。健康診断を受けて梅毒に罹っていないことが判明してホッとした、なんて記述もあるところからも真相は推して知るべしだろう。自伝出版後の調査によると、夫人との死出の旅も、東京から本州西端を回って大阪まですべてタクシー移動。なんじゃい、この「自死」は。暢気なニヒリストに笑われている気分である。「はじまり」のためにうまい「終わり」を考える気など完全に失せてしまった。 幸い「騒音書簡」については終わらせ方を悩む必要がない。それは佐藤薫に丸投げしている。ひとつよろしく。

市田良彦

 
 
2022年12月31日

市田お兄さん

終わりはなかなか来ないようだ。サド侯爵の言い方を借りれば、共和主義者たらんとせば、終わりまであと一歩だ。今日は大晦日だし、世界の終わりが元旦の時報とともにやって来るならすっきりするだろうが、そうはならないことは誰もが知っている。終わりは来ない。客観性がもめている。誰が何を望もうと、それが主観の望むところであるとしても、そんなことは何の役にも立たない。でも世間並に年齢のこともあるし、僕は不老不死などごめんこうむりたい。不老不死を求める仙人や権力者、はたまたそれを夢見る科学も馬鹿だと前々から思っていた。永久に生き続けるなんて、永遠に終わらないなんて、苦痛であるに決まっている。これはごく一般的な考え方である。 君も知ってのとおり、今年、三回目のコロナ・ワクチンで持病の心臓病がひどく悪化した。それまではそれなりに悪いままではあったが、現状維持していたのだから、ワクチンのせいとしか考えられない。春から夏にかけてはひどい状態で、これはいつもと違うぞと直感した。死の気配だ。そいつが漂い始めた。来たな、と思ったし、事務的なことはある程度かたづけておこうと本気で考えた。急死後緊急連絡先とかね。死ぬのは怖くない。自分ではそう思っている。今回は、もうそろそろいいや、と思った。ほんとうだ。ある種のすがすがしささえ感じた。ところが終わりは来なかった。らしい。心臓はかろうじて持ち直したようだ。教訓としては、身体が思考や意識、等々、その他の余計なものとは無関係に生きていることは間違いないといえる。「ウィーンの危機」のさなかにカール・クラウスは、「物質によって生きているものは、物質より前に死ぬ。言語のなかで生きているものは、言語とともに生きる」と言っていたが、そういう高尚なことではない。 始めたものを終わらせることができないことがあるらしい。すでに終わったことを知らなかっただけなのか。勝手に始まったとしても、始まりはいたるところにあるじゃないか。始まりっぱなし、始まりだらけだ。やめてくれ! 始まりがあれば、とりあえず終わりがあるはずなのだが、それともこれは一種の度し難い観念論にとらわれているということなのか。だけどうまい「終わり方」というのは主体の問題をはらんでいるらしい。死ぬのはいつも他人ばかり、ということじゃない。死ぬのは自分ひとりだ。だけど誰にとっての上手な終わり方なのか。人生訓について喋りたいわけじゃない。『資本論』の翻訳者、君の前回書簡の岡崎次郎についての話は面白かったが、考えさせられるものを含んでいた。印税で二億円稼いだ「呑気なニヒリスト」は最後は心中でけりをつけたのだから、僕としては、彼はまだ「旅行中」なのではないかとも思った。 ずいぶん前、大里俊晴の『ガセネタの荒野』という本の書評したことがある。当時その本から引用した大里君の素敵な文章を再び引用したくなったので、ここに引用する。若い読者のために言っておくと、故・大里俊晴は『マイナー音楽のために』という該博でパラノイアックな本も書いた立派な音楽学者だったが、ガセネタというバンドのメンバーでもあった。山崎春美たちとやっていたバンドです。 「僕らの演奏にはエンディングしかなかった。エンディング。(……)終わること。終わり続けること。そして、僕らは、エンディングに突入してから、終わることが出来なかった。エンディングとは、終わりであり、始まりであり、中間であり、また終わりでもあった。僕は、もう終わりだ、いま終わりだ、と思いながら演奏した。だが、終わることが出来なかった。終わりはやってこなかった。どうやって終わるのだろう。どうやったら終わることが出来るのだろう。僕は、いつもそう思いながら演奏した。エンディング。僕らは、いつまでも終わり続けていた。」 終わり続けること……。しんどいことだ。美しくない、と身のほど知らずの文句を言う人がいるかもしれない。でも、それもありかもね。

鈴木創士

 
 
2023年1月30日

創士へ、

勝手に死ぬことは許されない、と心得よ。一旦共演をはじめてしまったからには、それが音楽であろうと手紙の応酬であろうと。自然死であろうが勝手な離脱は「はじめる」という黙契に反する。どう終えてよいか分からない? きみは文章にピリオドを打つであろう。同じことだ。と、俺は今、きみよりもむしろ佐藤薫と読者を困らせるためにこう書いている。さてきみたちは、これを読んでどうする? どう答える? ボードレールが終わったところからはじめる、と書いたのはマラルメであった(1867年 ヴィリエ・ド・リラダン宛書簡)。文学オンチを公言して「騒音書簡」をはじめた俺は、ひょんなことからこんなところに足を踏み入れてしまっている。文学も面白いかもと思いはじめている。ただし然々の作品が面白く読めるようになったというわけではない。ボードレールの韻文詩については、これを面白いというやつは当然ヒップホップに頭を下げるよな、とぐらいにしか今のところ思えていない。つまりルールに縛られつつときに逸脱を楽しむようなゲームが俺にはやはり性に合わない、と。そんなゲームはギャンブルと同じであろう。ルールを操る神様の手のひらの上でひたすら転がされているだけ。ジャズが面白くなくなったのは、マラルメが打ったピリオドに知らぬふりを決め込むようなものだからであろう。韻文としてのジャズに戻ったからであろう。ではマラルメは? これを面白いというやつはなにかしらコンプレックスを抱えている──つまり実は面白さを楽しんでいない──のではないか。日本人なら、難解なフランス語に挑戦する私ってすごい、現代のフランス人なら、昔日の栄光よ! ベルエポック万歳! というところか。いずれにしても、楽しいフリをしているという点では不健全極まりない。プルーストの言うスノッブな態度? 文学でも音楽でも、放置しておけば「流行」は必ず終わる。終わって、必ず新しい傾向が「スタイル」として生まれる。世代交代、新陳代謝と変わるところはない。「流行」はその都度ちょっとした共同性を生み出し、同時にそこからはみ出る者、そこに白ける者たちを堆積させ、彼らは彼らで別の共同性を形作ったりする。俺がマラルメで面白いと思ったのは、そんな命運をまさに「流行」と名指し、それを自分の「状態」──肌身に受け継いだ遺産と言ってもいい──として受け入れたところだ。文学はもはや活字の踊る新聞に勝てない。ならば詩は「流行」のバレエのようであるべし。彼が打ったピリオドも、とりあえず一つの「流行」──ロマン主義と呼ばれた──を終わらせるべしという意志の符牒にすぎない。それを彼はよく知っていたと思う。 とはいえ、俺が面白いと思ったのは、踊り「のよう」であることを希求した彼の詩のスタイルではない(「隠喩」をめぐる第2回書簡を想起されたい)。もちろん、「骰子一擲」にとりあえず見て取れるそんなスタイルを、これまた模倣しようとして音楽上のスタイル(印象派)が生まれたことでもない。面白いと思ったのは、「流行」をひとまず受け入れて、そこにピリオドを打つこと自体を「作品」にしようと悪戦苦闘している様子それ自体だ。それは新しい「流行」を作ることとは決定的に違う。どう考えても流行りようのない、つまり模倣しようのない作品を、遺産としての「流行」から作ること。そこにたしかにスタイルはある──ゆえに自分だけの私的言語ではない──ものの、同じスタイルの作品がその作品以外にない作品。いかにも無理筋だ。だから彼は詩人の化身イジチュールに自死させたのだろう。ピリオドの作品化である。 前々回の書簡で紹介した岡崎次郎再刊本のあとがきに、俺は「死が作品でありえたころ」というタイトルを付けた(本の刊行は遅れているらしい)。つまり、自分で選ぶ死に方そのものが作品でありえる時代はもう終わった、と俺は思っている。自死はもはや一つの「流行」でしかない。あるいは自然死の模倣。 文学史に引き寄せて言えば、俺は要するになんとかブランショを再評価できないだろうかと思っている。『文学空間』のブランショはここのところ評判が悪いようだ。作品をいっとき書けなくなったマラルメの経験を、同書の彼は「不可能性」と「死」の形而上学にしてしまった、あるいは作家ブランショは文学なるものをロマン主義とは違ったやり方であれ再び「彼方」に祭り上げてしまった、と見なされているようである。俺が自分でマラルメを少し読んで気付いたのは、彼の「経験」がありふれて現代的だということ。作品など「流行」の産物にすぎないと見切る点と、なぜそれに抵抗しない? と挑発する点において。ブランショを引き継いで「作品の不在」を作品化する営みを「狂気」と呼んだフーコーも、「狂気」をある意味ありふれた現象と見なす方向に進んだではないか。わたしたちは誰もが狂っているし、死につつある。それでよいではないか。どうしてそのことを実作の糧としない? 少なくとも実作に手を染めた人間には、勝手に死ぬことは許されない。

市田良彦

 
 
2023年2月28日

市田君

「勝手に死ぬことは許されない」かよ。勝手に死ぬのは難しい。勝手気ままな性癖は一生をふいにしたかもしれないな。 ところで、君があとがきを書いた岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年』(航思社)を読み始めた。こんな言い方は著者に対して失礼かもしれないが、とても好感のもてる書きっぷりだと感じる。マルクス学者はこうでなくっちゃ。旧制高校の気風とかだけでなく、演劇や寄席から西行まで、とても趣味嗜好もはっきりしていて、広いし、今では珍しい「まっとう」に面白い人だったのだろうと思う。最後の自殺、奥さんと一緒に海の藻屑と消えたということを考え合わせれば、それがあり得たかもしれない「作品」であり、君が言うように今ではそれがほとんど意味を欠いたものであるとしても、印税で大金を稼いだ一人の先輩として(何の先輩?!)、僕にとっては彼の生涯に興味以上のものを抱いてしまう。君のあとがきは原稿段階で読ませてもらったが、もう一度しっかり読もうと思っている。 僕はマルクスをそんなに読んだわけではないけれど(岡崎次郎訳は大月書店だったのでたぶん少ししか持っていなかったはずだし、どんな訳だったかよく覚えていないが、書庫にあるのか、この部屋をちょっと見ただけでは見当たらない、本が溢れていて探せない)、別の訳者で読んだ限りのマルクスの翻訳には疑問と物足りなさをずっと感じてきた。マルクス自身の文章はといえば、何というか、煽動家であることがわかるていのものだとずっと思っていた。文章は上手いし、何しろ小気味いい。鼓舞されるようなリズムがある。フランス語訳で読んでもそれがわかる。レヴィ=ストロースが自分の本を書く前に必ずマルクスの『ブリュメール』を読んだらしいが、その気持ちはよくわかる。でも日本のマルクス学者の文章ときたら……。こんなことは正直僕にとってはどうでもいいことだが、これは日本へのマルクス「受容」のあれこれにも関わる由々しき事態だったのではないか。 日本にもかつてボードレール好きがたくさんいたが、今は流行らなくなったとはいえ、ボードレール好きは「ボードレールの世界」が好きなんだ。ボードレールの世界があると思っているし、ヒステリックなボードレール自身がたぶんそれを性急に望んだ節がある。つまり君が言うように、読み手を含めて「逸脱」を楽しんでいる。ゲームのルールは誰にも関わりのない「芸術」なるものであって、この場合の逸脱も芸術的行為だと愛好者たちは思っている。そこに中身はない。愛好者たちにとってでさえ。ただボードレール本人の最後はかなり興味深いよ。借金で首が回らなくなってベルギーに逃げて、梅毒で頭がおかしくなるのだが、『赤裸の心』のなかに「痴呆の翼の風が私の上を通り過ぎる」というようなことを書いている。彼は痴呆の翼の影を見たんだ! ある意味で落としまえをつけているところがある。 ボードレールのことは脇に置くとして、さて、君の言うステファヌ・マラルメだが、「マラルメの世界」というものはないと僕は思っている。少なくともそのようなものとしての彼の仕事全体を捉えることは非常に困難だ。「ランボーの世界」がないのと同じ意味ではないが、「ボードレールの世界」があるようには「マラルメの世界」はない。 君の言うマラルメに関する「流行」だが、それにピリオドを打つとして、はたして連綿たる、もしくはたった一つの「作品」なるものは、マラルメの言う「危機」のなかで明確に成立したのだろうか。「アヴァンギャルド」の永遠の宿題だが、マラルメはピリオドを打つことで「新しい」ことをやったのだろうか。ブランショ的にはそうではないような感じがする。「あの暗いレースの襞」! 謎はそのまま残された。ブランショの評判が落ちているということだが、ブランショ的な「不可能性」の高みに関して、あれをひたすら希求すると癌になるなと僕はあるとき思った。しかしマラルメについてであれ、アルトーについてであれ、僕にとってブランショを読むことはまさにそれだった。実際に読者が癌になることも含めて、ブランショ的な「癌化の空間」があると思う。僕はあるとき意識的にそこから逃げた。だからブランショを読んでも、正直に言えば、僕はマラルメがよくわからなかった。というか、むしろマラルメには僕の理解を寄せつけないところがあって、それはどちらかといえば僕にとって今でもわだかまりになっている。 マラルメは手紙のなかだったか、ランボーについて興味深いことを言っている。あいつはただのとんでもない彗星のようなもので、何ももたらさなかったし、ただ自分たちの前を通り過ぎただけだ、と。ランボーはヴェルレーヌたちによって勝手に『ヴォーグ』誌などに紹介され、まさに「流行」となった頃だ。それまで詩集は一冊『ある地獄の季節』だけで、しかも自費出版の金を使い込んだので本は出ず、十冊くらいを友だちに配っただけで世間には出回っていない。つまりまったくの無名だった。「流行」した頃は、すでに詩を捨ててアフリカにいたランボー自身は、それにまったく興味を示さず、「君があのランボーなんだろ?」と同国人に問われても、完無視、眉ひとつ動かさなかったらしい。

鈴木創士

 
 
2023年3月28日

創士兄、

「ボードレールの世界」はあるが「マラルメの世界」はない、か。その通りだと思う。しかし自分の理解がちょっと常識的文化史にもたれすぎているかも、と危惧するから、擦り合わせのためにその理解を疑問の形で書いてみる。これは前回のこちらからの手紙の続きでもある。簡単に言えば、それは「ワーグナーの世界」はあるが「シェーンベルクの世界」はないと言い換えても同じなのか、違うのか。「ワーグナー」と「シェーンベルク」はそれぞれ別の名前でもいいのだが、対としてはとりあえず標題音楽(または実用音楽)と絶対音楽という程度の差異(この二つに厳密な定義があるのかどうか知らないが)と思ってもらっていい。常識的文化史と重なる所以である。しかし僕にとってこの差異は、百年ほど前にあるオーストリア人が書き残した次の寓話的な場面に送り返される(少しだけ脚色して引く)。
 
こんな場面を想像してみてほしい。音楽というものに触れたことがなく、音楽なるものがこの世にあるとも知らない人が我が家にやってくる。居間では私の兄が瞑想的なショパンの曲を弾いている。客人はどう思うだろうか。こう思うのではないか。これは言語だろう。ただその意味を私に隠しておきたいのだろう。兄弟だけの話をしているのだろう。
 
この客人はショパンを聞いて、「瞑想」の世界はおろかおよそいかなる「世界」も思念できず、それを、分からない何かを言っている言語として受け取る。二種類の音楽の違い(標題/絶対)が問題なのではない。客人は音楽なるものをまったく知らず、音列を音楽として受け取ることができないのだから。音楽として聴ける音列は多少なりとも「世界」を聴き手の頭の中に作り出すだろう。フランス語を読めなくとも多少の教養があれば、ボードーレールの詩は「世界」──「悪の華」!「パリの憂愁」!──を読者の頭に作りやすい。ワーグナーのオペラなど、歌詞の内容をほとんど理解できずとも粗筋だけ知っていれば、その舞台はこれ見よがしに「世界」──「これこそドイツ人の歴史である!」──を差し出すだろう。 それに対しマラルメの詩は、言語であることは分かるものの、何について何を語っているのかよく分からない。客人の言う「意味」があるのかないのか分からず、言語だから意味は「ある」のだろうが、ではその意味は?と問えば詩をほぼそのまま繰り返す──説明せずに記述する──ことぐらいしかできないし、「賽の一擲」に至ってはその記述さえおぼつかない。まさに、それを日本語にして何の「意味」があるのか。彼の詩の「世界」はあくまで自己充足的で、そのとき「世界」という語は「作品」の同義語でしかない。絶対音楽なる理念を体現していると言われたりするブラームス以降の音楽も、その「世界」がどのようであるかを言おうとすれば、曲を最後まで聞いて「このようである」とただ指差すか、曲を成り立たせる規則や技法を記述するしかない。これも「このようである」と言うことのバリエーションだろう。そこに作品外の「世界」などない。 それでも、そこが上の寓話の面白いところだと僕は思うのだが、客人は「世界」を伴わない音列を言語だとは認識する。これは絶対音楽を「音楽」として聴く──「聞く」ではない──こととどこか似ていないか。とりあえず無調の12音技法を使っていることは分かる類の絶対音楽は、ここでの例としてあまり適当でないかもしれない。音に規則がある──言語に文法があるように──と実感できるのだから。ここでの例としてはむしろ、φononの数々のアルバムを考えてみるべきだろう。僕たちはラジオのぶちぶち音や肺の呼吸音まで「音楽」として聴くことができる。上の寓話を知って、僕は何よりまずそれらのことを思い出した。僕はこの客人としてあれらの音を受け取っていた。 「世界」を欠いた音楽や詩にも「語っている」ことはある。それらは「私は語る」とは語っている。「私は語る」とそれらが「語っている」、と僕はそれらを読む/聴く。その「私」に「おまえ」と呼ばれている気がする。この「私」は作者でも演者でもない。僕がそれを聴いたり読んだりしている間だけ、語られている「私は語る」なるフレーズの発話主体として、その語られていることの中かつ外にいる〈人物〉だ。だからその「私」を三人称で「彼」と呼んでもいい。ブランショがそうしたように(『私についてこなかった男』)。 そんな「私は語る」の持続が、前回の手紙で僕の言った「歌」であるのかもしれない。だとすれば「歌」に「内容」があってはいけないのかもしれない。しかし僕としては言いたい。詩を欠いた器楽曲に逃げるのは極めて安易なやり方だと思う。音楽を詩のメタファーにして「世界」を捏造させてしまうから。「私は語る」は言わば、あらゆる小説の冒頭の一行だ。それを音楽家にも詩人にも持続させてほしいとひたすら願っている。その持続の締めくくりには、エリック・ドルフィーの「言葉」あるのみ。「音楽はいったん終われば空中に去ってしまう。二度とそれを捕まえることはできない」。

市田良彦

 
 
2023年4月30日

学兄どの、

前回の君の手紙を理解できているかどうか、はなはだ心もとないが、思いついたことを書いてみる。 君が最後に引用したドルフィーの発言、「音楽はいったん終われば空中に去ってしまう。二度とそれを捕まえることはできない」。これこそまさにドルフィーの演奏そのものだった。ドルフィーのフルートにもサックスにも消え入るような何かが歴然とあった。すべてが消えればいい。ドルフィーはほとんど逃亡寸前だった。モンクだってそうだ。みんな逃げてやろうと待ちかまえている。それが演奏。理想的だ! はじめからすべてが消えてなくなるように演奏できればどんなにいいだろう。僕にとってもドルフィーは理想の音楽家のひとりかもしれない。でもドルフィーのようにはできないし、そうはいかないときがある。 常識文化史的なよけいな「言葉」が残るんだ。つまらない言葉から不可解なものまでいろいろあるが、しかし「音楽を知らない客人」にとってそれは「隠された言語」なのだろうか。ショパンの楽曲を言語と受けとったとする、君の引用した寓話を僕はよく理解できない。これは何かの喩えになってはいまいか。この寓話の述べる「言語」というのがすでに隠喩に思える。だったらむしろ彼はそれを抽象的な意味での「歌」と思うのではないか。それが隠されているかどうかはわからないが、そのときにこそ彼の「歌」は発生するか、ショパンの曲をつまらない「歌」と思うのではないか。なぜならそれ以前に音楽を聴いたことがなかったとしても、音を言語と解すればそれは言語になるのだろうが、彼の耳にはいろんな音や雑音がすでに聞こえたていたはずだからだ。音楽を知らなくても、音を聞いているはずだからだ。ラジオのノイズを含めたこの「音」には歌の原型、萌芽があると思うが、言語とは言えないものではないか。それにそもそも僕には「音楽を聞いたことがない」状態を想像できない。原始社会にあってさえも人類にそんな事態はなかっただろう。それどころか「音楽」はとてつもなく古い。だから我々の聴覚の体系にはすでに「隠された歌」が入り込んでいるのではないかと僕は思う。それを旋律として捉えることができるかどうかはわからないにしても、しかしそれは「言語」なのだろうか。 それとは反対の意味で、〈「ワーグナーの世界」はあるが、「シェーンベルクの世界」はない〉とはいえないと思う。シェーンベルクにはあまりにもワーグナー的なところがあるからだ。常識的文化史に反論するようだが、僕にとってそこに断絶はまったく感じられない。それがかえって「シェーンベルクの世界」を醸し出してしまっている。絶対音楽には欠損というか、瑕瑾があって、その欠点をつくり出しているものがそのままその音楽の魅力になったりする。むしろ絶対音楽の動機にそれがないとは言えないように感じる。しかも僕にとってそもそも標題音楽と絶対音楽の区別に意味があるとは思えない。彼ら音楽家たちは絶対音楽を創造する前に、言葉の比喩ではない「音」を聞いていたことに変わりはないからだ。楽曲に言葉を使う使わないを別にすれば、作曲というものにそれほど違いがあるとは思えない。いずれにせよ、たとえ表現されなくても「ノイズ」の領域がどちらの音楽にも存在してしまう。どんな「音階」にもそれがあるし、そのような感覚の領域が否応なく存在してしまう。僕はそれを聴こうとしてしまう。だけどこんなことは理論化できない。「シェーンベルク」を「ヴェーベルン」に置き換えても同じだとは言えないからだ。だから常識的文化史、音楽史では音楽を捉えることはできないのではないかと思う。最近、森田潤がつくった『GATHERING OF 100 REQUIEMS』を聴くとそれがよくわかる。モーツァルトのレクイエムの演奏を100重ねたものだが、モーツァルトのレクイエムはそのままで恐ろしい音楽だよ。

鈴木創士

 
 
2023年5月26日

So-siくん、

ひょっとして君は、言語がなくても音楽はある、と考えているのだろうか。「音楽を聞いたことがない状態を想像できない」とはそういうこと?「我々の聴覚の体系」に入り込んだ「隠された歌」は言語ではない──〈まだ〉あるいは〈本性的に〉──と言いたい? 僕としてはそういう「歌」があるなら、それはすでに立派な言語ではないかと問いたい。歌なんだから。僕がここ数回の書簡で書いてきたことは、言語と音楽は同時的なもの、〈双子〉のようなものであろう、ということに尽きる。一方を欠いて他方は存在も存続もしえない互いの〈分身〉と言い換えてもいい。そして、にもかかわらず我々は両方の〈分裂〉を生きている。そのことをあの寓話は見事に言い当てているように思えた。すなわち、聞こえた音から音楽を寓話的に、つまり想像上の操作により、消去しても言語は残る。何かを語っている、ということが。その何かに了解可能、再言語化可能な意味があるかどうかは二次的な問題。 僕が言ってきたつもりのことは、それに付随してもう一つある。この双子にはもう一人の分身がいる。何かを語るという可能性は、「狂人である」可能性と同時的なもの、双子のようなものであろう、ということ。僕にそのことを教えてくれた──フーコーを通じて間接的にだが──のは、君が僕よりもはるかに親しんできたアルトーだ。リヴィエール宛書簡の頃から言いはじめた空虚(「完全な不在」、「真の減衰」、「完璧な虚無」…)の話。思考を崩壊させ、編集者リヴィエールが期待したようなまっとうな詩の言葉を彼の詩から奪った空虚。けれどもアルトーがすぐそこに立ち返り、そこに「言語が今後役立ちえる唯一の用法」を認めた空虚、「狂気の、思考の抹消の、断絶の手立てであり、非理性の迷宮である」空虚(『シュルレアリスム革命』誌第3号)。言語を不可能にすると同時に可能にするもの、と言ってもいい(そのかぎりでマラルメの「虚無」に同じ)。その点は僕にとってまだ生煮えなのだが、この「空虚」としての「狂気」こそ、音楽と言語が接触する場所なのではないかと思っている。それを示唆してくれたのも、「発話行為がかき立てる空気の移動、ただそれだけ」を演劇の言葉において実現しようとしたアルトー(『アルフレッド・ジャリ劇場』)。つまり僕にとって「残酷演劇」の一つの──あくまで「一つの」にすぎないけれども──定義は、言語がそれだけで「歌=音楽」になる場所だ。君に向かってアルトーの話をするのは、生煮えのままでは憚られたので、今まで言わずじまいだった。 それでもここでそれを言った以上、我々の書簡の主題である「騒音/ノイズ」に引っ掛けてもう少し言えば、発せられたどんな言葉の隣にもこの空虚から発せられる〈他の言葉〉が張り付いていて、この二重性が音楽では「楽音」と「ノイズ」のように聞こえてしまう、と考えたい。ここで言う〈他の言葉〉をフロイトは精神分析により聞き取ろうとしたのだろうけれど、精神分析が登場して以降は、我々はどんな音楽も──君の言うようにモーツァルトですら!──ノイズ・ミュージックのように聞くこともまたできるようになった──不幸にしてなってしまったと言うべきかもしれない──と思っている。精神分析のおかげではなく、あくまでそれが登場した頃から。生活音や爆発音でも音楽として聞くことができる(アンビエント、サウンドスケープ、シュトック・ハウゼン……)のは、それと裏腹の事態であろう。我々は皆「精神分析家」なり──それが現代性ということかもしれない。 君の言う「とてつもなく古い」音楽の例として、僕の頭にすぐ浮かぶのは、古代インドの『リグ・ヴェーダ』第10巻に含まれる「ヴァーチュ」讃歌だ。「声」そのものである神「ヴァーチュ」が自らを讃える歌。「声 voice」の語源となった神の唄う歌。古すぎてどんな歌であったかなどもう分かりようもないけれども、コーランの詠唱を聞いたり、ラ・モンテ・ヤングの通称「ブラック・レコード」なんかを聞いたりすると、あの讃歌はきっとこんな感じで歌われたのだろうと夢想してしまう。最近の佐藤薫を聞いても。「ヴァーチュ」は古代ギリシャになると、神の機能として分裂してしまう。神託(=言葉)を与える機能と、人間に音楽を教える機能に。それはさらに、もっぱら神託を授ける神と、その神への返礼として音を奏で、歌を唄う人間に分裂してしまう。坊さんたちによる経の合唱を聞くと、僕はデュメジルから教えられたこの話を思い出す。近代になって音楽と言語が「芸術」における音楽と文学として分裂し、現代ではさらにその音楽が音楽と騒音に、文学が文学と「狂った」言語に分裂したのだろう、と思いつつ。しかし分裂はいつでも「狂人」によって無効にされて、「ヴァーチュ」に帰ろうとする。 そういえば、今年の「5・21」に女性ヴォーカルは登場しなかったけれど、立花ハジメのサックスと森山未來のダンスは君たちの音楽に対し、立派に言語として相対していたと思うぞ。森山はまさに「両の瞼を肘、膝蓋骨、大腿骨や足指と代わる代わる組にして踊らせたい、そしてそれを見てもらいたい」(『残酷演劇』)という意志を君たちに返していたではないか。それが返礼としての歌でなくて何であろう。これは比喩でもなんでもない。

市田良彦

 
 
2023年6月28日

良彦さま、

我々の聴覚体系に入り込んだ「隠された歌」はまだ言語ではないかもしれない。この歌は僕にとって「言葉」を伴っているのか、あるいは「言葉」そのものであるのかどうかいまだ確信がもてないと僕は言った。演奏中のミュージシャンとしては、とりわけそう言わざるを得ない。「言葉」以前に「音」がある? 世界に満ちている音の無限の連鎖は、世界が過ぎ去り、消え失せることを連続的に構成するが、これは世界の歴史がその成り立ちにおいて示唆しているような「言葉」のうちにあるのだろうか。一方、それに対して、言葉と音楽は同時的なものであり、分身的関係にあり、そのような「歌」があるとするなら、すでにそれは立派な「言語」である、と君は言う。そしてこの双子にはもう一人分身がいて、それはアルトーが思考を開始した「思考の不可能性」であり、「思考の中心にあいた空虚」、「穴」である、と。そして何かを語るという可能性は「狂人である」ことと同時的である、と君は言う。 君の言いたいことは全部わかるよ。反論のしようがない。君の言いたいことを全部認めた上で、しかしその同時性においてフーコーは、「狂人である」こと、思考の不可能性から思考を開始し、そこからしか言葉を語ることができない、あるいはそこにしか言葉の実質とその営為を見つけられない状態を、「無為」あるいは「作品の不在」とも呼んでいた。そうであれば、「言葉」は「作品の不在」と同時的なのだろうか。だけど正直に言えば、このことは僕にとってずっと解決できていないし、いまだ答えを出せていない問題としてあるんだ。自分は断片的に狂っているだけで、自分は狂人ではないと思うことがある、というような証言は、デカルトの理性をめぐるフーコーとデリダの論争に決着がつかない限り、自分が狂人ではないという証明にはならないし、その逆もまたしかりである。僕が理解するニーチェも、そのような事柄と無関係ではなく、それについて、『ユリイカ』だったか『現代思想』だったか、以前「ニーチェの狂気?」と題した文章を書いたことがある。それを再録した本はずばり『分身入門』という本だ。狂った分身が、理解不能性・決定不能性において狂っていない分身に入門するわけだ。あるいはその逆のケースも。ニーチェは古代文明の瞠目すべき人物たちが辿った運命に想いを馳せて語っている、「気狂いではなく、気狂いの振りをする勇気もないとき、人はいかにして自ら気狂いになるのか?」。 「音楽」に戻ろう。君が引用する『リグ・ヴェーダ』の「ヴァーチュ」、つまりまさしく「声」だ。ああ、たぶん「声」が最初にあるのかもしれない……。それは、実際、神の声なのか。人間の声なのか。ジャングルにも浜辺にも砂漠にも「声」が響いていたし、洞窟の中でも聞こえていた。新約のヨハネが言うように、最初にあったそれって「言葉」だったのだろうか。自分が物書きであるという事実について、つまり言葉を書く人間であるということについて、同時にミュージシャンとして、この「声」は屹立する「壁」であり(ヘブライの「嘆きの壁」のようなものであり、ユダヤ人たちはその壁の前で「雅歌」の朗誦をいまでも無駄に延々と繰り返している、いったい何のためなのか?)、それでいてこの「原初の歌」、あるいは「言葉のていをなさない得体の知れない呪文あるいは単なる音」は、僕の中に知らぬ間に絶えず入り込む不可解な「音楽」の謎であり続けている。ヴァーチュ。僕にとってそれは神の声ではなく、この声はたしかに「身体」から発せられながら、この「声」から逆に「身体」が出てくるのだ。そう、いろんなところで何度も言ったことだが、そんな感じだ。この声の身体を僕は何度も見て体験している。音楽しかり、舞踏しかり……。声から出てくる体がある。物質が非物質的様態を有するとすれば(分身はまさにそれだろう)、その分身的身体とはこれらの様態だけが凝集したものであり、その化身だ。この声は「歌」なのだろうか。歌だったのだろうか。歌になるのだろうか。この「歌」が僕を引きずり回し、それがいまでも僕をさいなんでいる。もちろん僕にとってネガティヴな状態だけがあるわけではないが(人がうたう歌を聞いてうっとりすることもある)、益体もないが、それにミュージシャンとして鼻面を引きまわされていることは自分でもわかっている。だからこそノイズは必然的なものとなるが、白状すれば、ミュージシャンとしてまだ何の解決にも至っていないというところだろう。だが演奏するとき、告白など何の意味もなさないのだけれど。

鈴木創士

 
 
2023年7月29日

Cher Sô-si,

「言葉」は「作品の不在」と同時的なのだろうか、と君は書いた。少し腑分けが必要かと思う。まず「作品の不在」について。この表現を有名にしたのはフーコーの「狂気、作品の不在」という論文(1964年)だけれども、狂気とは「作品の不在」であるという挑発的な定式は実のところ、ブランショからの借用だ。そのままの定式が「語ることは見ることではない」という論文(1960年─『終わりなき対話』再録)の最後にある。誰かがこの事実を指摘しているのを見たことはないが、それは指摘したところでその先をどう続けてよいかよく分からないからだろう。まさに « So What? »だ。先駆を誇るつもりはまったくないけれども、僕としては問題は「狂気」と「不在」よりもまず「作品」の概念にあると思っている。いったいブランショは、また彼に倣ったフーコーは、「作品」なるものをどう捉えている?ブランショの諸々を参照すれば、出所ははっきりしている。ヘーゲルの『精神現象学』だ。その一節の「仕事」論を、そのまま文学「作品」をめぐる議論に転用している。この出自を踏まえて思いっきり単純化して言えば、「作品の不在」における「作品」とは、ゼロから出発して「すべて」を作ることであろう。キリスト教的匂いを拭いきれない言い換えをあえてすれば、神の業を反復すること。世界を創造し直すこと。もう少し宗教臭を抜いて言えば、あらゆる「はじまり」の「はじまり」。実際、小説の最初の一文、音楽作品の最初の一音はそんな「はじまり」であることを強いられていないか。これからはじまるのは一つの全体性をもった「作品」ですよ、その「前」には何もありませんよ、とそれは否応なしに告げてしまう。すると「作品の不在」としての「狂気」の意味もはっきりするように思える。すなわち、そんなことはできるわけがない、という明晰な〈不可能〉意識。ただし、意識だけしてあとは賢人よろしく沈黙を決め込む──不可能を理由に──のでは「狂気」とは言えまい。言葉を欠いた人は狂人ではない。「狂気」はあくまで言語的現象だ。狂人の狂人たる所以は、これは「作品」なんかじゃありません、事実です、世界そのものです、私がはじめたのではありません、これがものごとの「有る」ことそのものです、と言えることではあるまいか。ハイデッガー流に言えば、「有ること」と「有るもの」の差異が〈見えて〉いること。何か具体的に「有るもの」(ヘーゲル的には相対的なもの)のすぐ隣に「有ること」(同じく絶対的なもの)が「有る」かのように。二重焦点レンズを通して見ていると言えばよいか。まだ「ない」(見えない)はずの絶対的なものすらすでに「有る」(見えている)から、何も「はじまる」必要がない世界を狂人は生きている。世界の「はじまり」以前にして歴史の「終わり」の後の世界に彼は住んでいる。そこに「作品」を見るのは「理性的人間」の都合だ。こんな哲学的駄弁をここで弄するとは思わなかったが、「哲学者と論争したい」と言ったのは君であるから勘弁してほしい。大仰な言い方を重ねれば、狂人こそ真のへーゲリアン、真のハイデガリアンだ。ヘーゲルとハイデッガーの意に反するほどに真の。

次に「言葉」。上の話を踏まえて言えば、人間の「言葉」は音楽と分化する以前、「声」の段階ですでに「作品」を担っていたと思う。リグ・ヴェーダはその証かもしれない。その点で人間の「言葉」は動物のそれから区別されるはず。動物は情報を伝達しても、「作品」は作らない。人間にとっては言語と音楽のいずれにも先立って「作品」が、つまり「はじまり」の反復があった。語ることは死への抵抗だ、とこれもブランショが言っていたと記憶するが、語ることで「はじまり」に戻ろう、「すべて」を保存して死による忘却に抗おうという意味かもしれない。君の言う「声から出てくる体」というのも、僕には「生まれ直し」のように感じられる。とにかくそれは生理的現象には還元できず、「出てきた体」は〈言語=音楽〉的──ゆえに物質的──であると思う。以前の君の言葉にあった「我々の聴覚体系にすでに入り込んでいる」ものとは「作品」なのではないか。画家なら「我々の視覚体系にすでに入り込んでいる」イメージを私は再現しているのだと言うかもしれない。「はじまり」を反復するための媒体は何であってもよいわけだ。

だとすれば、ブランショとフーコーに抗って言いたいが、「作品」と「作品の不在」とは実際には大差ないのではないか。狂人が再現しているのはほかならぬ「はじまり」の「不在」なのだから。この「不在」を再現することで、彼は「はじまり」は無であると言い続けている、その意味で「はじまり」そのものを反復しているだけなのだから。先ほど哲学的駄弁と書いたが、あれは気取った韜晦ではなく、なかば本気の心情であった。いったい、こんな本質論議で個々の作品論、作家論なんてやれるのか。ブランショでは実際マラルメもヘルダーリンもカフカも似たような扱いになっているではないか。それでいいのか。だからフーコーは文学を見限ったのでは? とさえ思う。「狂気」を「ノイズ」に置き換えてみれば、この手の本質論議にどこまで今日性があるのかよく分かると思う。「ノイズは狂気の音楽」なんてのは安っぽいだろう? その点ではロマン主義的音楽美学にノイズの肯定を見ていたランシエールの歴史感覚のほうに、僕は与したい。

市田良彦




2023年8月31日

Mon cher ami,

君が言うように、「作品」とはゼロから出発してすべてをつくることであれば、「狂気=作品の不在」とはゼロから出発して「全て」をつくれないということになる。ところで、フーコーが「狂気=作品の不在」と考えたとき、念頭にあったのは間違いなくアルトーだった。だからといって、フーコーが「作品」をそのまま擁護したとは思えないし、僕にとってはフーコーのあの論文の結論がどうもわからないというか、大きな謎のまま残されたのだが(後のデリダとの論争を読んでもいまいちよくわからなかった)、アルトーの作品と生涯の出来事を勘案すれば、たしかに「作品の不在」と「作品」、二つの事態が起きていたのは事実だ。実際、「狂っている」とき、たとえ「言葉」を失っていなかったにしろ、アルトーは何も書くことができなかった。その後、アルトーは書くことができた。事実、言葉を取り戻すようにしてなのか? しかもそれは「手紙」だけではなかった(ロデーズの精神病院で書かれた手紙は、語られた内容あるいは内容の変遷は別としても、文章としてはすでに明晰なものだった。臨床的に言って、他の分裂症患者の手記などと比べれば、これはほぼあり得ないことだと思われる)。「ロデーズ手帖」、「イヴリー手帖」といった殴り書きのノートやデッサンだけではなかった。精神病院監禁から解放された後、晩年のアルトーは自分の「本」の構成まで考えていたし(それはオペラ的構想、ノイズ・オペラだ!)、晩年の作品のなかには傑作と呼ぶことのできるものがある。ブルトンは超明晰であるなどと賛辞を送っていたが、作品として傑作だと思えるものがたしかにある。僕はアルトーの翻訳者のひとりであるから、手前味噌になるので、それが何という作品であったかは言わないでおく。

ともあれ、それは「作品」の「はじまり」ではなく、「作品」の「完成」、「終わり」じゃないか。フーコーが、アルトーは我々の言語の土壌に属していると言ったのは、そう言う意味ではないのか。では、それならアルトーは精神医学的に治癒したのか。世間で言われる言葉を使えば、アルトーは病気から癒えたのか。彼はついに狂気を免れたのか。僕自身どうか考えていいのかわからなかったし、便宜上、そのように言ったこともあった。しかし本当にそうなのか。実際には何が起きていたのか。アルトーのように狂気から非狂気へ移行する(移行?)なんてことができるのか。そう言うことができるのか。すぐにニーチェやヘルダーリンの生涯と晩年の「作品の不在」が思い浮かぶ。彼らの場合、文字どおりの「無為」しかなかったことはよく知られている。アルトー自身が自分と同じケースとして引き合いにするのはヴァン・ゴッホだけだが、ニーチェもネルヴァルもエドガー・ポーもロートレアモンも、最後には、アルトー言うところの「社会」、「社会の呪い」にやられてしまったと名前を挙げて力説している。つまり「作品」は破壊され、不在となった。ニーチェたちにあっては、アルトー自身のように狂気から非狂気、作品の不在から作品への移行は生起しなかった。

したがって、君が言うようにそこに「大差」はないのかもしれないが、それでも、実際どう考えても「作品の不在」と「作品」は同時的ではないように僕には思われる。それとも「私は狂人ではない」からそのような観点をもたざるを得ず、そう言うことができると私は信じているだけなのか。あるいは、ほんとうは、「言葉」を使うのであれば、日常的にだけではなく、作家であると、物を書く人間であると意識してそれを用いていると信じ込み、それを私は書いているのだと能天気に思っているのであれば、しかもさらに何かが「見えている」、「私は見ている」と「我思う」がゆえに信じているのであれば、そこにあるのは「狂気」だけなのかもしれない……。ふと、そのように思うことがある。明晰であること? 狂人の明晰さ? 君はマラルメもヘルダーリンもカフカもブランショにとっては同じような扱いになっていると言ったが、カフカの小説には「はじまり」しかないように思えるときがある。多くの読者がカフカの「日記」が面白いと感じるのは、日記は一日が終われば、何もかもが終わるからだ。つまり「一日」は「狂気」ではないということになる。

鈴木創士




2023年9月30日

創士くん、

森田潤と君の競作、 《Vita Nova》を聴きながらこれを書きはじめている。率直に言うが、これは「作品」として、EP-4 unitPのライブよりよほど面白いではないか。二つを比べることはそもそも間違っている、ということを前提にそう言っている。後者にはいわゆるリズム隊が作る音の骨格が厳としてあり、君のキーボードを含む、その時々で入れ替わったりする音群は言わばその都度の介入的、闖入的要素をなしつつ、全体がいつもの、かつ一回かぎりのEP-4 unitPを聞かせ─見せる。楽しいよ、だからいつも。ところが今回のアルバムはまったく違う。どこにも骨格がない。様々な記憶が詰まった二人の引き出しから取り出された諸要素が平等に、ゼロから「作品」をなすように構成し直されている。君は偽古典主義者を自称するのだから、当然のことかもしれないが。極論すれば、バンドにはそのバンドそのものしか「作品」はないと思っている。一度だけのセッションは「実験」ではあっても、その結果が「次」に移入されなければ、たとえどんな素晴らしい経験を演奏者と観客にさせてくれたとしても、まだ「作品」ではない。バンドは続いてこそ、かろうじて「作品」。ところが 《Vita Nova》は否応なく「作品」だろ? はじまりがあって終わりがあり、もう世に出てしまっているのだから(ひょっとしてまだ?)。おまけにそこでは、数々の「~風」であることが、どれも骨格をなさないよう組み合わされ、「一つ」へと構成されている。断片的でもなく、構造的でもない。いや、森田のことだから構造を埋めているのだろうけれど、要素のほうはそれを帳消しにするくらい様々な過去をアルバムの今に響かせる。

しかし、それが「よほど面白い」と思える要因は、半分は僕の側にある。君たちの記憶の引き出しは、それが記憶に関わるかぎりは僕とも、いや誰とでも、多寡は異なれ重なる部分を持つ。あまり使いたくない語だけれども文化というものは拭いがたく存在し、それがあるおかげで「作品」もまた存在する。君たちのアルバムについて言えば、映画では『甘い生活 La dolce vita』と『愛の嵐』がなければ成立しえず、ランボー──RamboではなくRimbaud、どうにかしてほしい、この同音異義は──を「68年5月」に召喚したいわけだろ? それらの名前によって刺激される記憶が僕のなかにもあるから、それが一種のジャンプ台となって、僕は君たちの「作品」だけからなる「今」、つまり記憶のそとに飛び出すことができる。「~風」という支配的な色のない、静かな混沌に身を委ねることができる。記憶のなかにあるあれこれのことどもは全部〈終わった〉のだ、と思うことができる。一世代に属する初老の人間として。若い人たちはまた違った聴き方をするだろうけれど。

この〈そと〉は君たちがアルバムを作るにあたって設定した〈ゼロ〉地点、「作品」の〈はじまり〉と同じ場所のはずだ。まだかつすでになにもない場所。当然、「作品」もまた、そこにはない。

ここ何回かの書簡で話題になった「作品の不在」だが、この不在によって定義される「狂気」は、書けない不能状態やその結果としての白紙や無音とはまったく違うものだと僕は考えている。いわゆる「病む」こととはまったく関係がない。文章が乱れることとはなおさら。「作品」は、私がもっぱらそれを作ったと思う/語る個人と、この帰属ないし所有の関係を承認する他人がいるところにしか存在しない。つまり「作家」がいる地平でしか成立しない。だから、これは「私」とはいささかの関係もない〈世界のありよう/ことわり〉だと主張するような、たとえばヘーゲルの『大論理学』──聖書でもよいぞ──は「作品」ではないし、最初に設定したはじまりと終わり──偶然発見された同音異義──を厳格な「手法」にしたがって繋いでいくことで小説を書いたルーセルは「作家」ではない。二人とも、書くものにいささかも「私」の個人的主体性を移し入れようとはしていないので。「作家」のいる「作品」は実に近代主義的概念であるのだろう。いわゆるアウトサイダー・アートの諸作品を「作品」にしているのは、作った本人ではなく、それをアートとみなす他人だ。本人にどういう意図があり、本人の「なに」がそこに移入されているのか、当の本人にはどうでもよいから、というより誰にも分からないから、彼らはアウトサイダーつまり〈そとの人〉であり、それを「買う」者たちがそれを「作品」にしているだけのこと。

「作品」と「作品の不在」にさしたる違いはない、と僕が書いたことには、ある意味単純な理屈しかない。上に書いた〈そと〉からしか「作品」ははじまらず、「作品」は終わればそこに帰り、そこにとどまれば、人は「狂人」呼ばわりされかねない。ヘーゲルをそう呼んでどこが悪い? と僕はルーセルを読みつつ思う。はじまりと終わりが同じ〈ゼロ〉地点であるからあらゆる「作品」は〈ある〉のに、どうしてそれを〈ない〉ことと区別しないといけない? しかしこの同じはすでに十分、それ自体で「狂って」はいるだろう。君たちの「作品」は君たちの「作家」性──どんな「クリエイティブ」な「個性」を持っているか──とはまったく異なる次元で、〈あり〉かつ〈ない〉のだよ。映画の世界で言われる「作家主義」は、見る批評家の側にしか存在しない。もっとも、「作家」が同時に批評家であることもつねに可能だろうけれど。

しかし、極めて現代的な事態として、サンプリングと編集と音響生成装置で、どんな「~風」でも「ない」音の絵を「個人」的に構想することができ、「作品」化できることには今更ながら驚く。「新しい生活 vita nova」はどこにでも転がっている、とアルバムを聞くあらゆる個人が思ってくれることを願う。文化的に聞くことをやめればよいだけだ。

市田良彦







2023年10月29日

市田良彦さま

バンド(EP-4 unitP)の「作品」がバンドそのものでしかないというのは、確かにそのとおりで、それがバンドの強みであり、「ハーモニー」であり、その「破綻」であり、スリルであると僕も思ってきた。つまりバンドの「政治」があることは君もよく知ってのとおりだ。バンドは本来の意味でのライブのためにある。バンドにとってはすべてが一回きりの「ライブ」でしかない。あとは、踊って、全部忘れてくれ、というわけだ。しかし今度の森田潤との共作CD『Vita Nova』はそうはいかなかった。我々はバンドではなく、デュオであるし、これはいささか意味が違う。我々ひとりひとりには「音のイメージ」が細部にわたってあった。それには、君が言うように、たぶん我々のそれぞれの茫漠たる記憶が介在しなければならなかった。申し合わせはなしで、いつもそうしなければならなかったし、同時にそうであることしかできない。だからこそ音楽その他によって僕の不確かな記憶は君の記憶にも触れることができる。勿論それが、記憶を共有するのとはまったく別のことであるのは言うまでもない。

君がCDを誉めてくれたことは、率直に言ってとてもうれしいが、誉められているのか、見透かされているのか、全部バレバレなのか、こちらとしてはちょっと気恥ずかしいところがあるし、つくづくリスナーという存在は怖いなあと思う。ところが、リスナーに対する未知の触発というのはどんなフェーズにもあって、どんな具体的次元でも考えうることであるが、本当のことを言えば、音楽をやるとき僕はリスナーのことを全然考えていない。それどころか自分自身がリスナーであることしかできない。えらっそうなことが言いたいのではない。「作品」という観念があり、もう一方に「作品の不在」=「作品ではないこと」=「作品のそれ自体における解体」があり、作品からの分離、作品の除去、脱作品があり、それが君の言うように同時的であるとしても、到達すべきその地点において演奏者としての僕は曖昧なままの自分を感じて、慄然とせざるをえない。意識的に「ゼロ地点」を維持するのはたいそう骨が折れる。なぜなら僕は音を創造するのではなく、あくまで何かを「聴いている」にすぎないからだ。偽古典主義者なんか、おととい来やがれという感じ。この地点より先には、帰還は、帰るところはないというのに、とにかく行ってみるしかない。同時的である精神と身体について結論を語るスピノザのようには結論を出せないでいる。

今度のCDが君の言うようにそれなりに「作品」になったとすれば、それは森田の才能によるところが大きい。だから僕にとってもこのデュオは楽しいよ。森田自身がどう思っているかは知らないけれど、勝手な言い草ながら、それは僕にとってある種の絶対的な信頼関係に裏打ちされている。バンドとは違う信頼関係。だがこの信頼関係は自分自身を知らない。触発とも違う。俺は触発なんかされない。不思議なことだが、森田潤を昔から知っていたわけではないのに、なんかよく知っているという錯覚を突然覚えたりする。2023年上海生まれの俺の年の功なんかじゃない。秘密を漏らせば、このような錯覚は「作品の制作」にとって非常に貴重である。大音響とともに作動した森田の記憶は僕の記憶を陥没させる。彼の記憶の断片は僕の記憶に向かって流出し、音楽的な意味で僕の記憶にはあちこち穴が開く。そしてとても観念的な象嵌(ぞうがん)が行われる。別の新しい「記憶」が生まれようとしている。だがそれぞれの過去からは何ひとつ失われないし、何ひとつ付け加わらない。それでいて両者の記憶は溶解することなく、しかも「私」が「他者」であることを確認する必要もない。互いの記憶は互いのなかに混じることがないのだから、もはや形骸ともいえる記憶は「内容」の断片そのものとなり、その場で結晶化し、この象嵌が作品の「形式」となる。

Vita Nova(新しい生活)が誰のものでもあるというのは本当だ。「詩は万人によってつくられねばならない」、ロートレアモン(イジドール・デュカス)は『ポエジー』の一節にそう書いた。この詩は狂っているかもしれない。それはゼロ地点である。どこかの一丁目のゼロ番地。つまり始まりにあっては始めるしかない。やれやれ……。

鈴木創士



 
2023年11月29日

創士くん、

そう、リスナーは怖いよ。誉めるから。ライブ終わりに「最高!」なんて声をかけるのはまさに誉め殺しではあるまいか、とよく思う。そのときリスナーは自分がいかにお高くとまっているのか忘れている。演者を評する地点から言葉を発していることを。そしてその評言が残酷であるのは、実は最高点を付けるという行為以外の何も語っていないのに(まさに行為遂行的言語だ)、演者をリスナーとのSM的関係に巻き込み、知らぬふりを決め込むから。誉められた演者は喜ぶことでリスナーに従属するか、それとも次は彼(ら)の期待を裏切ってマウントを取ってやろうかという気分になるか、いずれにしても、「最高!」は不可避的に一種の支配-従属関係をバンドの音に持ち込む。スターは君主であるけれども、ファンを恐れざるをえない。自分がファンの奴隷であることをよく知っている。ファンは自らの崇拝に、いつかスターをその座から引きずり下ろしてやるぞという姿勢を込めている。主人と奴隷の古臭い弁証法の戯画だね。いずれが勝利を収めるにしろ、一つの結末は見えている。バンドはいつか潰れる。潰れなくとも消える。

だから、少しはそれに抗いたい俺は、EP-4の昔からのファンではないと断りを入れつつ「誉める」ようにしているつもりではある。そして思う。「作品」は、というか正確には「作品」という概念は、少なくともこのSM的関係には解消されない何かを演者とリスナーの関係に持ち込んでくれるのではないか。「作品」としての君たちのアルバムには、演奏している最中、アルバムを制作している渦中の君の経験なり思いなり状態は、もはや関係ないのだから。そこにあるのは、もう第三者的なモノ。演者からもリスナーからも自立した音。君自身が「作品」から弾き飛ばされているわけだ。弁証法の語彙で言えば「疎外」されている。だからもう演者には自分の「作品」に対してはファンでいるぐらいの権利しかない。もちろんアンチになる権利もあるが。

しかしどうして「作品」はそんな自立性を持ってしまうのだろう。話を音楽にかぎって言えば、ここでずっと(?)書いてきたことだと思うが、音楽が言語の「よう」であるからだと思っている。言語を「反復」しているからと言ってもいい。何かを「語って」しまうから。リスナーの「最高!」発言もその一つの証拠だろう。そして音楽が語りうることについて言えば、それは言語の語りうることより確実に少ない。音楽は言語より語りの内容についてははるかに希少だ。だからつい「最高!」とか貧相な誉め言葉を音楽に向かって放ってしまう。同じことは言語そのものについても言える。それは「世界」について何でも語りうるふりをしているが、実は「世界」を構成しているモノよりはるかに少ない。「世界」は無限だが言語は有限。だから言語には必ず同音異議が生じる(一つの音で複数のことを語る)。そして言語はこの本性的希少性により、語りそのものをどんどん増幅させていく。何かを正確に語ろうとすれば、費やされる言葉はどんどん増えていく。無限の世界に拮抗するには言葉を無限に増やすほかない。音楽はそんな言語より、「世界」に対しはるかに希少な「言語」であるだろう。一音で「世界」まるごとを表現できるくらいに希少。言語はモノとその「世界」を反復し、音楽はその言語を反復する。音楽は言語よりはるかに少ない表現手段により、言語が表現しようとするものを表現する。というか表現してしまう。リスナーを「世界」に送り届けてしまう。「世界」に没入させてしまう。

モノと言語と音楽を繋いでいるのは、「音」というモノだろう。話者、演者、読者、リスナーから独立している第三者であり、表現される「世界」に属していながら表現する手段として使われるモノ。言語も音楽も「世界」を反復することで、「世界」との差異や距離を開きつつ、同時にそれを埋めようとする。「これが世界だ」と主張する。反復とは差異の肯定かつ否定だ(モノマネを想起されたし)。言語と音楽はこんなふうに両者に対し外的な「世界」を介して繋がっているだけでなく、「音」を介して互いに内的な繋がりを持っている。「韻」を考えてみればよく分かるはず。「韻」は言葉にリズムを刻み、メロディーを持ち込まないか? また純粋音楽におけるリズムやメロディーや音響は、それ自体同音異議であるかのように、意味をめぐる空想、想起を掻き立てないか? 詩は歌であり、音楽は詩であり…という循環は言わば「音」から派生する必然であるかもしれない。

だから「音」には「世界」を組織する/生む力がある。そうレーモン・ルーセルは信じた。《billard》(ビリヤード)と《pillard》(略奪者)のほんのちょっとした「音」の違いから、 一つの《histoire》(物語=歴史)の全体を組み立てることができる、と。ほとんど同じ「音」が反復される時間と空間の隙間に、「世界」全体を挿入することができる、と。「はじめに言葉ありき」という聖書の教えをこれほど忠実に守った創作活動はなかろう。そしてルーセルの読者は知っている。彼の「作品」は読めた代物ではない。「世界だ」という触れ込みで差し出される「作品」はこの上なく「世界」からは遠く、もはや「作品」ではない。

市田良彦





 
2023年12月+28日

Mon camarade Yoshi,

リスナーは怖い存在だけど、正直に言えば、敵に見えることがある。リスナーを憎んでいるわけではないよ。それならリスナー、観客とは、そもそも仮想敵なのか? だがそれは僕にとってひとつの仮説ではない。寺山修司の天井桟敷を意識していたわけでは全くないが、ライブではとにかくリスナーとのある種の緊張関係がなければ、音楽的にいいライブとは思えなかった。今でもその考えは変わらない。リスナーの側で考えても、クラシック音楽のコンサートでも同じようなことが言えると思う。たとえばクラシックのピアニストは原則として弾き間違えたりできないのだから、なおさらその負荷は大きい。観客は固唾を飲んでそれを凝視している。これは一種の敵対関係だ。

以前、山本精一と二人でライブをやったとき、少しだけ話し合って互いに了解したことがあった。「今日は、嫌がらせの音楽をやろう!」。彼は爆音ノイズ・ギター、僕は主にオルガンを弾いた。僕の方は、曲調としてすべてがノイズ・キーボードだったわけではないが(シンセは使わなかった)、ちょうど京都のお盆の最終日だったから、地獄の蓋が開いたようだった。お客のなかにもそのように言う人がいた。それは「誉めている」のではなく、軽い当惑だった。地獄にもいろいろある。この合図があらかじめあったから、お互いの演奏はかなりうまくいったように自分たちでは思った。その日はやっていて、久しぶりにかなり面白かったんだ。

君が言うように、たとえこんな感じであっても、なるほどそこには「言語」が全反射のように行き交っていたし、観客の反応も、当惑を含めて、それとは無関係ではあり得なかったのだろう。「敵対」はもちろんそれ自体言語的なものであるが、しかしこのような敵対としての演奏を「自然」(?)に、無意思的にやれるなら、ミュージシャン側の「言語」は「音」との関係においてさらに曖昧に、抽象的なものになっていくような感じがする。音楽の言語からじょじょに解放されている……? いま思えば、昔、EP-4のライブのときの僕の印象では、そのままで政治的言語ということではないが、この敵対関係はもっと政治的ニュアンスがぴりぴりと感じられた。まあ、ポスト・パンクの時代だったしね。だがこの日の山本精一氏とのライブはそれとも全く違った。このライブでは「敵対関係」の内と外があって、挑発とは違う関係が成立するかのようだった。うまく言えないが、喧嘩腰ではなく、山本と僕はその「内部」的状態を楽しんでいたと言えばいいのか……。

音楽において、僕にはたしかに「言語的」構想がある。それは認めるよ。僕が一方では作家もどきをやっているのだし、そのような人間であることしか元々できないのだから、それぞれの音楽的動機の基盤にはなおさら「言語」があることは承知しているし、それどころか、全然そういう問題でないこともわかっている。だけど演奏は? 演奏しているときはどうなのか? 君の唯物論的観点からすれば、それこそが言語的だと解することを理解しているつもりだが、自分では実感としてよくわからないんだ。「穴」に入っているみたいな感じがするときがある。「穴」は「間隙」だけではなく「陥穽」でもある。レーモン・ルーセルの『ロクス・ソルス』仕様のようには「作品」として成り立たないところがあって、身動きできないことがある。「作品」化について、「作品」を目前にして、僕は何かの言い訳をしているのだろうか。何かをかわして(esquiver)いるのだろうか。それは巧みに逃れることなのか。後は、「さようなら」と言えばいいのか。

君は前回の手紙で「音から派生する必然」と言った。それは「偶然性唯物論」によるものかもしれないと思ったりもする。チャンス・オペレーションのことではない。八卦でもない。偶然性唯物論ならやれるかもしれない。それならまだやる気が出るかもしれない。循環的であることによる突発的な派生。ミニマル・ミュージックのことを言っているのではない。「同じ音」! 同じ音がないことによる「同じ音」を目指して、それを聴くためだ。はたして人は「同じ音」を聞いたことがあったのだろうか……。

鈴木創士





 
2024年1月31日

創士くん、

観客として言わせてもらえば、演奏されているときにこそ、音楽は言語と見分けがたくなる、と思っている。客席からは、舞台上の君(たち)は自分(たち)と「語りあっている」ように見える。あるいはそう聞こえる。自分(たち)の声を聞いている/聞きあっている(s’entendre parler)ように。言葉である歌のあるなしに関わらず。客席に届けられる前、客席とは無関係に、君たち自身が自分および隣の演者と会話しており、そのループに客席の僕は付き合っているように。音が連続継起する、長かったり短かったりする「間(ま)」ごとにそのループはあって、こちらからは分からない「合図signe」をその「間」の一瞬で送り/受け取りあいながら、君(たち)は演奏を作っているのであろう。こちらからは発せられた音しか聞こえず、音の一群や全体が僕に向けられた「記号signe」のように受け取れるのだが、それが「意味するsignifier」のは結局のところ、音と音の間に広がる君たちどうしの会話なのだろう。そこから排除されているという疎外感が客席の僕にはある。演奏者が一人でも複数でも、この事態に変わりはない。アシュケナージでもモンクでも。

最終的に「意味される」のはループそのものとその推移であるから、これこそ「言わんとすること」である、と意味内容を言語的に描写することはできない。というかループは刻々、作られては消えていくだけであるから、その「中」には何も入っていない。あるいはそれは意味の欠如、真空を「意味する」だけ。この欠如なり真空を、君は前葉で「穴」と呼んでいたのではないか、と僕は解する。この「穴」があるから、音楽は言語のようであってしまう。要するに、言わんとする意味のあるなし、それが何を言っているか以前に、こちらの解釈を強いるものが音楽にはある。恋人の一挙手一動のようなものか。いや、この恋人は何の意思もなく、こちらに「サイン」を送ってくるぶん、よほど始末に悪い。君は演奏中、そんな女を相手にしているわけよ。そして僕はまた観客として、君の演奏の向こうにそんな女を幻視している。けっして「愛している」とは言ってくれない女。まあ、この話はプルーストを読むドゥルーズ(『プルーストとシーニュ』)の僕なりのアレンジだな。

しかし、《signe》と《s’entendre parler》を関連づけることは、ドゥルーズはしていなかったはず。しているのかもしれないが、そこに彼の〈音楽としての小説〉論の主眼はない。また《s’entendre parler》は普通、「我思う、ゆえに我あり」のように「私=私」の自己同一性を基礎づける根拠のように見なされ悪者扱いされるけれども、僕は上に書いたことからも窺えると思うが、まったく逆に、それを自分が自分でなくなる原因のように見なしている。分身の出現をこそ根拠づけるものにように。自分と自分の間に距離を生み、自分の中に「穴」を導き入れる原因のように。その「穴」から、「穴」の向こうから、僕の言葉は僕に到来する。僕はそれを聞く。ドゥルーズは「身体」の発する「シーニュ」について、それだけが強い意味において「存在」すると語ったけれども(「存在するのはシーニュだけだ。(…)存在するのは諸々の身体だけである。(…)諸々の身体がそれ自体すでに言語である。」)、僕は「シーニュ」よりも「身体」よりも先に「s’entendre parler」という〈分裂〉を置いている。とりあえず人間に関しては。声なり音がそれ自体と意味とに〈分裂〉する──二つの同音異議語をなすかのように──わけだが、意味のほうは実のところ、最終的には分裂の結果できた「穴」──君の言うように「間隙」でも「陥穽」でもいい──を意味している。〈意味がない〉ということを。〈ない〉から、そこを埋めようとして意味が傾れ込んでくる場所、それが《s’entendre parler》ではないだろうか。人間だけが、言葉の二重奏として音楽を奏でる/聞くことのできる動物ではないだろうか。あるいは音楽こそが純粋な差異の範例であり、その絶えざる再来、反復であると言えばよいだろうか。このこと自体にはドゥルーズも同意してくれるかもしれないが、言わば生の直中にある死のような「虚無」──そう言ってしまおう──がそれを支えている、と彼は認めるだろうか。演奏しながら君は「死んでいる」──死を体験している──と僕は言っているようなものだから。「かんたんに死ねない」とカフカ流に言ったところで何も変わらない。音楽でも文学でも、芸術の〈生産〉は死の反復だ、と僕なら言うね。

あらゆる音はつねにその音であってすでに別の音である、つまり二重奏である、ということぐらいは、「シニフィアン連鎖」を云々する人は認めるかもしれない。プルーストも偉大な芸術について、例外なくみな「同じだが、違う」と言っているそうだ。だが、そこから純粋な「差異と反復」としての「存在の一義性」を帰結する──「ある」のは差異の反復、反復としての差異だけだ!──ことに対しては、ちょっと待ってくれと言いたい。二重奏は幻想にすぎないじゃないか。実際に「ある」のは一つの音だけではないか。分身はあくまで〈余分の存在〉ではないか。僕も君も現実にはまだ死んではいない。存在するものとその〈余分〉が同じように存在しているとは、僕にはどうしても思えない。

市田良彦



 
 
2024年2月29日

市田君

プルーストの「同じだが、違う」を見つけ出す絶妙さは、ほとんど無意志的であることを「装う」ように、突発的、あるいは、言ってみれば即興的(こちらは無意志的だ)にやって来るところにあるように思われる。そのことは、作家にはわりと珍しいといえるプルーストの「耳」のよさ(なぜなのかはわからないが、もともとの音楽的素養とはほとんど無関係だ)、あるいは音楽に対する全く新しいといえる珍しい見解(例えば後期のベートーヴェンについて)のなかにうかがうことができる。ここには明らかに同じ記号(シーニュ)とは違う記号、だが決定的には違わない記号がある。決定的には違わないで、違っているもの。もちろん、あのダサいお経か独り言のような「差異の反復」でも、「反復としての差異」でもないもの。ともあれ、この記号は発せられたものだ。二重奏が一人で成り立っているように、もちろん、互いの「幻想」のなかで発せられる? 君は反論するかもしれないが、この幻想は、果てや境界を確定できないという点で「存在の一義性」に類しているのではないか。

しかし、たしかに「s’entendre parler」という「分裂」がある。だけど、そのように見えたとしても、演奏のときになかなか語り合えないのが通常だよ。分裂が最初にあったのであれば、「ミュージシャン」は普通に記号を発しているつもりでも、相手のほうはそれを受け取りたくない場合がある。否認ではなく、拒否だ。演奏の途中、ロックンロールの人たちは別にして、意味内容だけではなく意味作用に対する拒絶はわりとひんぱんに起きている。ループから逃げるというわけではないが、特に僕の場合は、そのことが基本になっているといっていいくらいだ。見てのとおりだよ。君が言うように、音楽が言語であるとすれば、意味内容がそこにあっても、それ自体が他処または外を予感させる一個の「穴」であるし、ループはつくられては消えていくだけであるからかもしれない。それ自体として「意味内容」を受け取ることができない。これはゲーデルの「世界観」、彼の言う「不完全性定理」の簡単明瞭な結論じゃないか? つまりこちら側だけでの証明はありえない。だから音楽の場合、そこに形式の発展というものは見られない。形式の破綻という点で、ベートーヴェンの晩年に起きたのはまさしくそれだった。テオドール・アドルノも似たようなことを言っていた。作曲の際にベートーヴェンの耳が聞こえていなかったこととはたぶん無関係だと思う。それだけではただ「破綻」が起きているだけだと言う人もいるだろうが、はっきり言って、この破綻は誰にでもできる芸当ではない。今までのところ、僕は、無理は無理なりに、それを無手勝流に考えていたし、楽しんでさえいる。

「我は聴く、故に我あり」かな……。そんな風に言いたいときがある。今にして思えば、耳を澄ませてずっと聞いていた感じがするよ。いろんな音が聞こえる。テレビを消して、ラジオを消して、音楽も聞かず、何もしない。馬鹿のように耳をすます。僕の手法だ。今でもたまにやることがある。音がしてくる。いろんな数少ない音。どこかの原住民は虹にも音があると言っていなかったっけ。子供の叫び声だって聞こえる。向こうの建設現場や隣の作業所の音とか。鳥の囀りとか。雨、車、足音、風。そしてひとつの音。あるいはひとつの音階、半音階。どちらかを選ぶのではない。ピアノの一音と一音の間。ファとファ♯の間。それを確固として在るはずの「分身」が聞いているかもしれない。何かを聞いているとき、「我思わない、故に我あり。しかるに分身は存在する」。意識は関係ない。自分の成れの果てだよ。どうしようもない。つまらない音楽。ひょっとしたらいい音楽は聞いたことがないかもしれない。だからと言って、いい文学、いい哲学って、何なんだろう。それが本当に「人生」と関わりがなければいいのだけれど、君は反論したくなるだろうが、我々というか僕のような、初学者、初心者には、そうもいかないところがある。謙遜しているのではない。人生には伝えることがない。

「俺の義務は免除されている。それを考えることさえしてはならない」、ランボーはあえてそう言った。彼の結論はこうだ、「俺は実際に墓の彼方にいるが、伝言などない」。そう、音楽にも「伝言」はないはずだ。

鈴木創士