騒音書簡2-31

2024年9月30日

良彦さま

先日、京都ミングルという小さなスペースでユンツボタジと僕と二人だけの爆音デュオ・ライブをやった。京都デュオは、パーカッションとキーボードの二つのみだったので、我々としてもレアな感じになった。安易なやり方だとまた君に叱られるかもしれないが、はじめはバッハ、途中はブリジット・フォンテーヌ、アンコールはプレスリーをノイズっぽく挟んだりした。でもボンゴの伴奏で(!)バッハの平均律をキーボード電子音でやるというのは、それでもかなりレアだよ。EP-4 unitPをやって十年になるらしいが、三人というのはあったのだが(unitP第一回ライブのメンバーにはオプトロンの伊東篤宏君が加わってくれた)、じつはユンと二人だけというのははじめてだった。なかなか新鮮だったし、ユンがバンドじゃなくてどうしても二人でやると言い出したときには、若干「えーっ」と思ったが、それはそれでやってみてよかったと言える。僕はミュージシャンとしては〇歳だから。

京都ライブの一週間後、神戸カタカムナで、unitPのライブがあった。こちらはバンドだ。ユンと僕の他には、ベースその他のホソイヒサト、エレクトロニックその他の安井麻人、数曲、ヴォーカルに大川透が加わった。最近の固定メンバーだ。京都ライブの続きということで、僕とユン二人でプレリュード(「三歳の」ブリジット・フォンテーヌへのオマージュだったが、詳細はまあいいだろう)から始め、その後他のメンバーが順々に音を重ねていった。最後は8ビートのロックン・ロール風? 録音状態が良かったので、そのうちこの日のライブ音源を世に出そうと思っているので、曲その他の詳細はここでは語らない。ただこの日の演奏は、我々としては混沌としすぎていなかったし、ある事情通によればわかりやすかったそうだし、バンドとして考えれば、演奏者としての感触ではうまくいった感じがした。つまりメンバーそれぞれの演奏が良かったし、バランスもそれなりによかったのだが、手前味噌になるので、この辺でよしておく。事情を知っている人たちは別として、若い観客、たぶん神戸でこのような音を聞いたことのない若者たちが喜んでくれたのがよかった。そうでなくても僕は年寄りより若者が好きなんだ。

前葉で君が述べた「体験」と「経験」についての考察に反論の余地はない。君の言うとおりだと思うよ。しかし演奏する人間として言わせてもらえば、つまり僕としては演者として語るしかないからだが、ライブというものは、「体験」でもなく、「経験」でもなく、この場合は、「体験」-「経験」と並行した「音楽」なんだ。僕にはそのようにしか言うことができない。なぜなら我々の音は、音を出し、演奏の形をとると同時に、音を出す直前、まさにそのときに、批評性が含まれる、というか批評性そのものだからだ。しかしこの批評性は、演奏者の「体験」としても、「経験」としても、ほぼ確認されることはないだろう。その意味では無であるし、「作品」の不在に連なる。演奏している我々は同時にリスナーであり続けるが、自分が演奏している音だけのリスナーではない。即興の部分でさえ構築-解体はつねになされるし、バランスも、それどころかカオスさえもうまくいけば保たれる。カオスモスなんてことは言わないし、カオスモーズでもない。演奏主体についていえば、デカルトの夢の懐疑性は瞬時に解消される。解消されたとたんに、主体の位置は吹き飛ぶか、分裂して粉々になり、その後きわめて茫洋として曖昧なものとなる。「音楽」とはそういうものだとしか言えない。見当をつけることはできない。ライブの後、君の言葉を借りれば、主観と客観が一致するというのはいまひとつ僕にはわからない。だからライブの「意味」としては、誰が演っていても、誰が聞いていても、誰の音でも結局は僕にとってはどうでもいいということになる。演奏について懐疑を抱く自分がいたとしても、妄想を抱く「狂人」を極力排除しないし、排除できない。だけど全体として見れば、すべての音響的動機、音の発生は批評的であることができる。これがunitPの即興的特徴だと言っていい。我々はフリー・ジャズをやっているのではないし、現代音楽(クラシック)でもない。ジャンルとしてはポップスだが、あれがポップスだとは誰も認めてくれないだろう。それは無意志的に意図的であり、ぎりぎりのところで「音楽」というものそのものの動機を含んでいると僕は考えている。ノイズという呼称はそのためにあると言っていいくらいだ。

案外、ジャズの連中が参加している類いの最近のヒップ・ホップを手本にすべきかもしれない……ヒップ・ホップやろうかな……。タイミングが難しそうだけど、詩の部分はAIとかを使って……。


鈴木創士

鈴木創士

鈴木 創士(すずき そうし)

作家、フランス文学者、評論家、翻訳家、ミュージシャン──著書『アントナン・アルトーの帰還』(河出書房新社)、『中島らも烈伝』(河出書房新社)、『離人小説集』(幻戱書房)、『うつせみ』(作品社)、『文楽徘徊』(現代思潮新社)、『連合赤軍』(編・月曜社)、『芸術破綻論』(月曜社)他、翻訳監修など

【Monologue】ライブが続いたし、熱帯雨林のいるので、ばてております。