2024年10月29日
0歳の音楽家へ、
ある故人を偲んで催された会合がそろそろお開きになろうかというころ、友人から一人の老人を紹介された。「ヨネさんだよ」。知っている人、知っているはずの人だが、半世紀近く見ていないその顔は、仮面のように見えた。〈これが彼?〉。僕ほど髪は薄くなっていないものの、かなりの白髪で、浅黒い頬には皺が刻まれている。〈これが彼?〉。僕は仮面に昔の面影を探している。すると次第に、色白の若い顔が二重写しになって現れる。目の前の顔が仮面と素顔の、今と昔の落差そのものになる。その間数秒か。型通りに再会の挨拶を交わすと、彼はやや唐突に一冊の冊子と分厚いコピーを差し出した。「読んどいてくれないか」。どちらも奥村ヒデマロの回想記であった。通称「ヒデマロ」、憂歌団のマネージャーとして昔日の僕たちには知られた人である。直接の知己を得る機会はなかったし、ヨネさんとヒデマロの関係も知らなかった。それを問うこともしなかった。僕の意識はただ、新たに訪れた別の落差のなかを漂う。あの土地でうろうろしていたころの僕と、今同じ土地で物故者を偲ぶ会に出席している僕との落差。すぐに会合も終わり、僕たちは「じゃあ」と言って別れた。
帰宅してすぐ憂歌団の『ブルース:1973ー1975』を聴く。帰りの電車でヒデマロの回想記を読んでいるうちに、どうしてもまた聴きたい気分になっていた。憂歌団が英語でブルースの古典を歌ったアルバムである。収録されているライブのどこかの会場に僕もいたのではなかったか。散々聴いたこのアルバムを、僕は今どう聴くのだろうか。それは今、どう聞こえるのだろうか。ヨネさんの仮面の下に彼の「素顔」を探していたように、僕は自分のなかの落差を測って埋めようとしていたのだろうか。
訪れたのは〈痛み〉であった。それも複合的な。まず、演奏の上手さが今となってはやや痛い。木村の歌声、勘太郎のギターは、若い日本人のものとは到底思えない質をすでにもっている。信じがたい、と素直に思える。しかし、幸か不幸かあれ以来肥えたか捻くれたか判然としない耳には、本場モノとの違いも聞こえてしまう。ロバート・ジョンソンたちが体感させてくれる、体を後ろに引っ張るタイム感が、ときに前のめりになる「ノリ」に変調してしまう。観客の手拍子がそうさせてしまうところもあるようだ。〈演者も観客もみんな若いな、余分な力が入っている〉。そう思った自分がなによりも痛いのだ。批評家めいた感想を抱く自分は、ライブの只中で味わった感覚をもう忘れてしまっている。それでも、その忘れたはずの感覚が今の〈痛み〉としてはっきり蘇ってくる。そして憂歌団という一つの固有名詞が、僕の1970年代の一切合切を一つの塊にして、50年後の僕の体に突き刺す。痛くないわけがないだろう。回想記とアルバムはつまり、僕自身の蘇った過去だ。この回帰が、音楽をめぐる主観と客観/対象の一致を証しする典型例のように思える。対象としての音が、それを対象化する主観の全体を瞬時に屹立させる。「省察」──デカルトの?フッサールの?──を経由せずに。
これが老いるというか、とも苦々しく思う。友人たちは死にはじめ、自分は己の過去を痛んでいる(悼んでいる?)。それでもこの感覚は嫌いではない。なにより、過去を過去にできている証拠でもあるのだから。思い出を綴るヒデマロ──亡くなっているそうだ──もひたすら楽しそうである。痛みであれ喜びであれ、老人にしかこの感覚は味わえまい。というか、僕にはどうやら若者を好きという感覚が失われてしまっているようである。長年「スマイル0円!」と念じて学生たちに接してきたせいかもしれない。若者とは、まだ過去にできるほどの過去をもたない、それゆえ現在を現在として享受ー享楽できない者のことではないのか。過去をもっている老人にしか、若者が好きとは言えないのではないか。
音楽における0歳児──これも、意味は異なるが若者にはけっして言えないセリフであろう。それを〈言う〉きみは、どんな音楽的過去ももっていない。いや、そのすべてを自覚的に捨てている。これは僕に言わせればむしろ「前衛」の態度だ。どんなジャンル音楽であっても、進化の過程のどこかで道を逸れてしまい、乗っているはずのプラットフォームを崩してしまう瞬間が訪れる。たとえばマイルスにはいったい何度それが訪れ、彼はいったい何度プラットフォームのリセットを強いられたことか。彼を「前衛」にした、ときおり聞き取れる──多くは海賊版でしかないライブ盤で──そんな瞬間が僕は大好きだ。しかし彼は自分が前衛だなどと思ってもいなかったろう。〈言う〉か〈言わない〉か、思うか思わないか、この違いは対象が同じ〈音〉であっても小さくない。また、モンクにはどんな進化もなく、その点で彼は永遠の0歳児であったけれども、熟練のサイドメンに囲まれた彼の演奏は、聴く者に否応なく「前衛」の音を届ける。ドルフィーによる「エピストロフィー」のカバー(『ラスト・デイト』)は、そう聴いた人間による反応でなくてなんだろう。
要するに、音楽における0歳児を自覚する人間もまた、過去を捨てた/捨てることのできる過去を数多もっている「老人」には違いなかろう。しかし、ヨネさんはいったいなぜ僕にあれをくれたのだろうか。思い出せ、思い出して僕たちの0歳に戻れ、と言われた気がする。そこが「前衛」の立ち位置であろう、と。僕たちが偲んだ故人はたしかに、「前衛」たることと引き換えに7年を獄で過ごした人であったな。« Done got old »というバディ・ガイの言葉を彼には捧げたい。『ブルース:1973ー1975』をもう一度聴きながら。
帰宅してすぐ憂歌団の『ブルース:1973ー1975』を聴く。帰りの電車でヒデマロの回想記を読んでいるうちに、どうしてもまた聴きたい気分になっていた。憂歌団が英語でブルースの古典を歌ったアルバムである。収録されているライブのどこかの会場に僕もいたのではなかったか。散々聴いたこのアルバムを、僕は今どう聴くのだろうか。それは今、どう聞こえるのだろうか。ヨネさんの仮面の下に彼の「素顔」を探していたように、僕は自分のなかの落差を測って埋めようとしていたのだろうか。
訪れたのは〈痛み〉であった。それも複合的な。まず、演奏の上手さが今となってはやや痛い。木村の歌声、勘太郎のギターは、若い日本人のものとは到底思えない質をすでにもっている。信じがたい、と素直に思える。しかし、幸か不幸かあれ以来肥えたか捻くれたか判然としない耳には、本場モノとの違いも聞こえてしまう。ロバート・ジョンソンたちが体感させてくれる、体を後ろに引っ張るタイム感が、ときに前のめりになる「ノリ」に変調してしまう。観客の手拍子がそうさせてしまうところもあるようだ。〈演者も観客もみんな若いな、余分な力が入っている〉。そう思った自分がなによりも痛いのだ。批評家めいた感想を抱く自分は、ライブの只中で味わった感覚をもう忘れてしまっている。それでも、その忘れたはずの感覚が今の〈痛み〉としてはっきり蘇ってくる。そして憂歌団という一つの固有名詞が、僕の1970年代の一切合切を一つの塊にして、50年後の僕の体に突き刺す。痛くないわけがないだろう。回想記とアルバムはつまり、僕自身の蘇った過去だ。この回帰が、音楽をめぐる主観と客観/対象の一致を証しする典型例のように思える。対象としての音が、それを対象化する主観の全体を瞬時に屹立させる。「省察」──デカルトの?フッサールの?──を経由せずに。
これが老いるというか、とも苦々しく思う。友人たちは死にはじめ、自分は己の過去を痛んでいる(悼んでいる?)。それでもこの感覚は嫌いではない。なにより、過去を過去にできている証拠でもあるのだから。思い出を綴るヒデマロ──亡くなっているそうだ──もひたすら楽しそうである。痛みであれ喜びであれ、老人にしかこの感覚は味わえまい。というか、僕にはどうやら若者を好きという感覚が失われてしまっているようである。長年「スマイル0円!」と念じて学生たちに接してきたせいかもしれない。若者とは、まだ過去にできるほどの過去をもたない、それゆえ現在を現在として享受ー享楽できない者のことではないのか。過去をもっている老人にしか、若者が好きとは言えないのではないか。
音楽における0歳児──これも、意味は異なるが若者にはけっして言えないセリフであろう。それを〈言う〉きみは、どんな音楽的過去ももっていない。いや、そのすべてを自覚的に捨てている。これは僕に言わせればむしろ「前衛」の態度だ。どんなジャンル音楽であっても、進化の過程のどこかで道を逸れてしまい、乗っているはずのプラットフォームを崩してしまう瞬間が訪れる。たとえばマイルスにはいったい何度それが訪れ、彼はいったい何度プラットフォームのリセットを強いられたことか。彼を「前衛」にした、ときおり聞き取れる──多くは海賊版でしかないライブ盤で──そんな瞬間が僕は大好きだ。しかし彼は自分が前衛だなどと思ってもいなかったろう。〈言う〉か〈言わない〉か、思うか思わないか、この違いは対象が同じ〈音〉であっても小さくない。また、モンクにはどんな進化もなく、その点で彼は永遠の0歳児であったけれども、熟練のサイドメンに囲まれた彼の演奏は、聴く者に否応なく「前衛」の音を届ける。ドルフィーによる「エピストロフィー」のカバー(『ラスト・デイト』)は、そう聴いた人間による反応でなくてなんだろう。
要するに、音楽における0歳児を自覚する人間もまた、過去を捨てた/捨てることのできる過去を数多もっている「老人」には違いなかろう。しかし、ヨネさんはいったいなぜ僕にあれをくれたのだろうか。思い出せ、思い出して僕たちの0歳に戻れ、と言われた気がする。そこが「前衛」の立ち位置であろう、と。僕たちが偲んだ故人はたしかに、「前衛」たることと引き換えに7年を獄で過ごした人であったな。« Done got old »というバディ・ガイの言葉を彼には捧げたい。『ブルース:1973ー1975』をもう一度聴きながら。