2023年1月30日
創士へ、
勝手に死ぬことは許されない、と心得よ。一旦共演をはじめてしまったからには、それが音楽であろうと手紙の応酬であろうと。自然死であろうが勝手な離脱は「はじめる」という黙契に反する。どう終えてよいか分からない? きみは文章にピリオドを打つであろう。同じことだ。と、俺は今、きみよりもむしろ佐藤薫と読者を困らせるためにこう書いている。さてきみたちは、これを読んでどうする? どう答える?
ボードレールが終わったところからはじめる、と書いたのはマラルメであった(1867年 ヴィリエ・ド・リラダン宛書簡)。文学オンチを公言して「騒音書簡」をはじめた俺は、ひょんなことからこんなところに足を踏み入れてしまっている。文学も面白いかもと思いはじめている。ただし然々の作品が面白く読めるようになったというわけではない。ボードレールの韻文詩については、これを面白いというやつは当然ヒップホップに頭を下げるよな、とぐらいにしか今のところ思えていない。つまりルールに縛られつつときに逸脱を楽しむようなゲームが俺にはやはり性に合わない、と。そんなゲームはギャンブルと同じであろう。ルールを操る神様の手のひらの上でひたすら転がされているだけ。ジャズが面白くなくなったのは、マラルメが打ったピリオドに知らぬふりを決め込むようなものだからであろう。韻文としてのジャズに戻ったからであろう。ではマラルメは? これを面白いというやつはなにかしらコンプレックスを抱えている──つまり実は面白さを楽しんでいない──のではないか。日本人なら、難解なフランス語に挑戦する私ってすごい、現代のフランス人なら、昔日の栄光よ! ベルエポック万歳! というところか。いずれにしても、楽しいフリをしているという点では不健全極まりない。プルーストの言うスノッブな態度?
文学でも音楽でも、放置しておけば「流行」は必ず終わる。終わって、必ず新しい傾向が「スタイル」として生まれる。世代交代、新陳代謝と変わるところはない。「流行」はその都度ちょっとした共同性を生み出し、同時にそこからはみ出る者、そこに白ける者たちを堆積させ、彼らは彼らで別の共同性を形作ったりする。俺がマラルメで面白いと思ったのは、そんな命運をまさに「流行」と名指し、それを自分の「状態」──肌身に受け継いだ遺産と言ってもいい──として受け入れたところだ。文学はもはや活字の踊る新聞に勝てない。ならば詩は「流行」のバレエのようであるべし。彼が打ったピリオドも、とりあえず一つの「流行」──ロマン主義と呼ばれた──を終わらせるべしという意志の符牒にすぎない。それを彼はよく知っていたと思う。
とはいえ、俺が面白いと思ったのは、踊り「のよう」であることを希求した彼の詩のスタイルではない(「隠喩」をめぐる第2回書簡を想起されたい)。もちろん、「骰子一擲」にとりあえず見て取れるそんなスタイルを、これまた模倣しようとして音楽上のスタイル(印象派)が生まれたことでもない。面白いと思ったのは、「流行」をひとまず受け入れて、そこにピリオドを打つこと自体を「作品」にしようと悪戦苦闘している様子それ自体だ。それは新しい「流行」を作ることとは決定的に違う。どう考えても流行りようのない、つまり模倣しようのない作品を、遺産としての「流行」から作ること。そこにたしかにスタイルはある──ゆえに自分だけの私的言語ではない──ものの、同じスタイルの作品がその作品以外にない作品。いかにも無理筋だ。だから彼は詩人の化身イジチュールに自死させたのだろう。ピリオドの作品化である。
前々回の書簡で紹介した岡崎次郎再刊本のあとがきに、俺は「死が作品でありえたころ」というタイトルを付けた(本の刊行は遅れているらしい)。つまり、自分で選ぶ死に方そのものが作品でありえる時代はもう終わった、と俺は思っている。自死はもはや一つの「流行」でしかない。あるいは自然死の模倣。
文学史に引き寄せて言えば、俺は要するになんとかブランショを再評価できないだろうかと思っている。『文学空間』のブランショはここのところ評判が悪いようだ。作品をいっとき書けなくなったマラルメの経験を、同書の彼は「不可能性」と「死」の形而上学にしてしまった、あるいは作家ブランショは文学なるものをロマン主義とは違ったやり方であれ再び「彼方」に祭り上げてしまった、と見なされているようである。俺が自分でマラルメを少し読んで気付いたのは、彼の「経験」がありふれて現代的だということ。作品など「流行」の産物にすぎないと見切る点と、なぜそれに抵抗しない? と挑発する点において。ブランショを引き継いで「作品の不在」を作品化する営みを「狂気」と呼んだフーコーも、「狂気」をある意味ありふれた現象と見なす方向に進んだではないか。わたしたちは誰もが狂っているし、死につつある。それでよいではないか。どうしてそのことを実作の糧としない? 少なくとも実作に手を染めた人間には、勝手に死ぬことは許されない。
ボードレールが終わったところからはじめる、と書いたのはマラルメであった(1867年 ヴィリエ・ド・リラダン宛書簡)。文学オンチを公言して「騒音書簡」をはじめた俺は、ひょんなことからこんなところに足を踏み入れてしまっている。文学も面白いかもと思いはじめている。ただし然々の作品が面白く読めるようになったというわけではない。ボードレールの韻文詩については、これを面白いというやつは当然ヒップホップに頭を下げるよな、とぐらいにしか今のところ思えていない。つまりルールに縛られつつときに逸脱を楽しむようなゲームが俺にはやはり性に合わない、と。そんなゲームはギャンブルと同じであろう。ルールを操る神様の手のひらの上でひたすら転がされているだけ。ジャズが面白くなくなったのは、マラルメが打ったピリオドに知らぬふりを決め込むようなものだからであろう。韻文としてのジャズに戻ったからであろう。ではマラルメは? これを面白いというやつはなにかしらコンプレックスを抱えている──つまり実は面白さを楽しんでいない──のではないか。日本人なら、難解なフランス語に挑戦する私ってすごい、現代のフランス人なら、昔日の栄光よ! ベルエポック万歳! というところか。いずれにしても、楽しいフリをしているという点では不健全極まりない。プルーストの言うスノッブな態度?
文学でも音楽でも、放置しておけば「流行」は必ず終わる。終わって、必ず新しい傾向が「スタイル」として生まれる。世代交代、新陳代謝と変わるところはない。「流行」はその都度ちょっとした共同性を生み出し、同時にそこからはみ出る者、そこに白ける者たちを堆積させ、彼らは彼らで別の共同性を形作ったりする。俺がマラルメで面白いと思ったのは、そんな命運をまさに「流行」と名指し、それを自分の「状態」──肌身に受け継いだ遺産と言ってもいい──として受け入れたところだ。文学はもはや活字の踊る新聞に勝てない。ならば詩は「流行」のバレエのようであるべし。彼が打ったピリオドも、とりあえず一つの「流行」──ロマン主義と呼ばれた──を終わらせるべしという意志の符牒にすぎない。それを彼はよく知っていたと思う。
とはいえ、俺が面白いと思ったのは、踊り「のよう」であることを希求した彼の詩のスタイルではない(「隠喩」をめぐる第2回書簡を想起されたい)。もちろん、「骰子一擲」にとりあえず見て取れるそんなスタイルを、これまた模倣しようとして音楽上のスタイル(印象派)が生まれたことでもない。面白いと思ったのは、「流行」をひとまず受け入れて、そこにピリオドを打つこと自体を「作品」にしようと悪戦苦闘している様子それ自体だ。それは新しい「流行」を作ることとは決定的に違う。どう考えても流行りようのない、つまり模倣しようのない作品を、遺産としての「流行」から作ること。そこにたしかにスタイルはある──ゆえに自分だけの私的言語ではない──ものの、同じスタイルの作品がその作品以外にない作品。いかにも無理筋だ。だから彼は詩人の化身イジチュールに自死させたのだろう。ピリオドの作品化である。
前々回の書簡で紹介した岡崎次郎再刊本のあとがきに、俺は「死が作品でありえたころ」というタイトルを付けた(本の刊行は遅れているらしい)。つまり、自分で選ぶ死に方そのものが作品でありえる時代はもう終わった、と俺は思っている。自死はもはや一つの「流行」でしかない。あるいは自然死の模倣。
文学史に引き寄せて言えば、俺は要するになんとかブランショを再評価できないだろうかと思っている。『文学空間』のブランショはここのところ評判が悪いようだ。作品をいっとき書けなくなったマラルメの経験を、同書の彼は「不可能性」と「死」の形而上学にしてしまった、あるいは作家ブランショは文学なるものをロマン主義とは違ったやり方であれ再び「彼方」に祭り上げてしまった、と見なされているようである。俺が自分でマラルメを少し読んで気付いたのは、彼の「経験」がありふれて現代的だということ。作品など「流行」の産物にすぎないと見切る点と、なぜそれに抵抗しない? と挑発する点において。ブランショを引き継いで「作品の不在」を作品化する営みを「狂気」と呼んだフーコーも、「狂気」をある意味ありふれた現象と見なす方向に進んだではないか。わたしたちは誰もが狂っているし、死につつある。それでよいではないか。どうしてそのことを実作の糧としない? 少なくとも実作に手を染めた人間には、勝手に死ぬことは許されない。