騒音書簡2-25

2024年3月31日

市っちゃん、

前葉では、君はモーツァルト+森田潤の『レクイエム』をまだ聴いていないようだから、まずはその感想を待つことにしよう。

ともあれ、モーツァルトが18世紀の歌謡曲だという君の意見はおおむね認めることができる。18世紀の秋元康というのはちょい異論があるけどね。モーツァルトは秋元のような「知識人」ではなく、むしろ退屈なカクテル・ピアノをパーティで思うままに弾きまくるジャズ・ピアノ弾きと言ったほうが僕のイメージに合っている。見たわけではないし、勝手な想像だけど、モーツァルトは音楽家というよりミュージシャン的なところがあったように思う。ガキのくせに、宮廷か何かの晩餐会に時間ぎりぎりに出向いて、ワインをあおり、即興で優雅なやつその他を弾きまくり、屁をこいたりしながら、適当なところで時間を切り上げ、はい、ギャラをくれ! という感じ。晩年は仕事に恵まれず、素行品行も悪く、金に困っている。要するにモーツァルトはウィーンの音楽界からパージされてしまった。嫌われていたのだ。歌謡曲作曲家・演奏家としても下火で、晩年は客の入りも悪かった。

『魔笛』に続いて『レクイエム』を制作中にモーツァルトは突然この世を去るが、晩年といっても、35歳で死んでいるのだから、ベートーヴェンのように晩年様式としての「形式の破綻」を考えることはむつかしい。だけど『レクイエム』はそれまでのモーツァルトの作品とは明らかに異なっている。断絶すら感ぜられる。君の言うように、それまでの作品が表象可能性の才能豊かな展開だったとすれば、それまでのモーツァルトの作品群はたしかに古典主義時代の「芸術」の範疇にあったことになる。しかし『レクイエム』は、僕にとって芸術以上の何かを示している、と言いたくなる。『レクイエム』という作品は恐ろしい。僕は下手なミュージシャンとしてそのように思わざるを得ない。森田潤の『GATHERING OF 100 REQUIEMS』を聞けばそれがわかると思う。

だけど、どう言えばいいのだろう? 『レクイエム』は文字どおりの意味で「光の外」に置かれた。君の言うとおりだ。啓蒙時代ということで言えば、モーツァルトはその時代にいたのだが、サド侯爵もフランシスコ・デ・ゴヤも健在だった。サド侯爵を啓蒙時代の思想家として位置づける人もいるが、むしろ啓蒙時代の「光の外」、それが僕(森田潤も?)を誘惑する。だがその光の外でどのように作品が成立するのか。サドもゴヤも唯物論者だった。どのみち宗教は関係ない。例えば、バッハはプロテスタントだったが、ニーチェが言うように、「カトリック音楽」だったといえるところが大だ。しかし『レクイエム』の場合、そのような意味でもまったくない。

『レクイエム』において、「死」を音楽のなかに招き入れた? そいつを持ち込んだ? それはバロックの「死」なのか? うーん、どうだろう。死は形を変えるのだろうか。音楽としては、どうしてもイタリアやイギリスのバロック音楽を考えてしまう。そこにはある種の明るい「単純さ」があったが、モーツァルトの『レクイエム』はそれとも違う。たしかに精神的な意味ではカルロ・ジェズアルドなどはそのような傾向をやばい方向に発展させたと言えるだろうが、音楽形式として見れば、そこにはまだ「音楽史」的なものを見てとることができるし、考えることができる。だからジェズアルドにおける無調性へと近づくものを「ノイズ」の可能性として受け取ることはできそうにない。つまりミュージシャンとしてジェジュアルドの音楽を「いじる」気にはなれない、と言っておけばいいのか。うまく言えないが、『レクイエム』には、そのような意味で、音楽の外、「言えないこと」の少なくとも萌芽がある。それが存在し始めるのだ。

『レクイエム』は、洗練の極致として、マイルスの『ビッチェズ・ブリュー』を想起させると君は前葉で言ったが、そこのところは僕にはよくわからない。『ビッチェズ・ブリュー』のような不意打ちと、それに反する(ともなう?)リラクゼーション(リズム的?)は、『レクイエム』には感じることができない。『レクイエム』にはもっと「暗い」何かがある。人をリラックスさせない何かがある。鎮魂させないんだ。言えないこと、それ自体が何かを言おうとして、存在し始め、極端に幅をきかす。言語的にも、余計な何かだ。つまるところモーツァルトは、僕にとって「野蛮な」音楽家なんだ。モーツァルトを嫌いになれないわけさ。

鈴木創士

鈴木創士

鈴木 創士(すずき そうし)

作家、フランス文学者、評論家、翻訳家、ミュージシャン──著書『アントナン・アルトーの帰還』(河出書房新社)、『中島らも烈伝』(河出書房新社)、『離人小説集』(幻戱書房)、『うつせみ』(作品社)、『文楽徘徊』(現代思潮新社)、『連合赤軍』(編・月曜社)、『芸術破綻論』(月曜社)他、翻訳監修など

【Monologue】森田潤との第二弾『残酷の音楽』完成に近づいております。