騒音書簡2-23

2024年1月28日 市田さま 君にコルトレーン役を引き受けてほしかったのは、なにも君をコルトレーンのような精神的求道者にしたいわけではないし、君のことをまったくそう思ってもいないが、たまたまコルトレーンとドルフィーの話 …

騒音書簡1-23

2024年1月31日 創士くん、 観客として言わせてもらえば、演奏されているときにこそ、音楽は言語と見分けがたくなる、と思っている。客席からは、舞台上の君(たち)は自分(たち)と「語りあっている」ように見える。あるいはそ …

騒音書簡2-21

2023年11月28日 親愛なる良彦さま 「完全にってわけじゃない」けど、君が言うように、リズムが狂っている、あるいはリズムを狂わせるのは、自慢することではないが、僕のオハコかもしれない。いや、いや、もちろん自慢している …

騒音書簡1-22

2023年12月+28日 Mon camarade Yoshi, リスナーは怖い存在だけど、正直に言えば、敵に見えることがある。リスナーを憎んでいるわけではないよ。それならリスナー、観客とは、そもそも仮想敵なのか? だが …

騒音書簡1-21

2023年11月29日 創士くん、 そう、リスナーは怖いよ。誉めるから。ライブ終わりに「最高!」なんて声をかけるのはまさに誉め殺しではあるまいか、とよく思う。そのときリスナーは自分がいかにお高くとまっているのか忘れている …

騒音書簡1-20

2023年10月29日 市田良彦さま バンド(EP-4 unitP)の「作品」がバンドそのものでしかないというのは、確かにそのとおりで、それがバンドの強みであり、「ハーモニー」であり、その「破綻」であり、スリルであると僕 …

騒音書簡2-20

2023年10月28日 レディース・アンド・ジェントルメン、 みなさんに向けて今回は書きます。前回の鈴木創士からの手紙は「まだ」私に宛てたものとは受け取れません。アルトーの言葉を自分のものとして私に届けているわけではなさ …

騒音書簡2-19

2023年9月25日 親愛なる市田君、 アルトーがヴァレーズとオペラを作ろうとしたのは、1932、3年頃だった。ヴァレーズの「Ionisation」も「Octandre」も作曲されていたが、レコードもないし、演奏会も稀だ …

騒音書簡1-19

2023年9月30日 創士くん、 森田潤と君の競作、 《Vita Nova》を聴きながらこれを書きはじめている。率直に言うが、これは「作品」として、EP-4 unitPのライブよりよほど面白いではないか。二つを比べること …

騒音書簡1-18

2023年8月31日 Mon cher ami, 君が言うように、「作品」とはゼロから出発してすべてをつくることであれば、「狂気=作品の不在」とはゼロから出発して「全て」をつくれないということになる。ところで、フーコーが …

騒音書簡2-18

2023年8月25日 鈴木創士兄、 アルトーとヴァレーズの話は、以前、貴兄の文章で読んだ記憶がある。そのときにも思ったが、アルトーはヴァレーズの特にどの曲にどのように惹かれたのだろう。文献的には知りようないかもしれないが …

騒音書簡2-17

2023年7月28日 親愛なる市田君、 アントナン・アルトー。ひとつの名前。単純にして同時に複雑な署名。僕が最初に書いた本は、『アントナン・アルトーの帰還』だった。小説仕立てだったが、監禁されていた精神病院を退院して、ア …

騒音書簡1-17

2023年7月29日 Cher Sô-si, 「言葉」は「作品の不在」と同時的なのだろうか、と君は書いた。少し腑分けが必要かと思う。まず「作品の不在」について。この表現を有名にしたのはフーコーの「狂気、作品の不在」という …

騒音書簡1-16

2023年6月28日 良彦さま、 我々の聴覚体系に入り込んだ「隠された歌」はまだ言語ではないかもしれない。この歌は僕にとって「言葉」を伴っているのか、あるいは「言葉」そのものであるのかどうかいまだ確信がもてないと僕は言っ …

騒音書簡2-16

2023年6月28日 創士くん、 せっかくだからアルトーに託けた話をもう少しだけ。君の音作りに一定親しみ、君の小説を読み、また「偽の古典主義者」だという君の自己規定を知るにつけ、常々考え込んでしまう問いがある。これのどこ …

騒音書簡1−15

2023年5月26日 So-siくん、 ひょっとして君は、言語がなくても音楽はある、と考えているのだろうか。「音楽を聞いたことがない状態を想像できない」とはそういうこと?「我々の聴覚の体系」に入り込んだ「隠された歌」は言 …

騒音書簡1−14

2023年4月30日 学兄どの、 前回の君の手紙を理解できているかどうか、はなはだ心もとないが、思いついたことを書いてみる。 君が最後に引用したドルフィーの発言、「音楽はいったん終われば空中に去ってしまう。二度とそれを捕 …

騒音書簡2−15

2023年5月21日 親愛なる市田 前回の君の手紙に答えるべきことが色々あるようだ。 無関係のあり方も千差万別。僕は勝手にその一つをアラン・バディウ風に「非-関係」と呼んでいる。サルトルの話はすごく腑に落ちるし、怒るどこ …

騒音書簡2−14

2023年4月30日 鈴木創士殿、 もうすぐ「5・21」40周年ライブなんだね。その機会に君が、別働隊unit PとはいえEP-4にヴォーカルを入れるとは嬉しいニュース(にしてもPって何?)。たまたまマーク・スチュアート …

騒音書簡1-13

2023年3月28日 創士兄、 「ボードレールの世界」はあるが「マラルメの世界」はない、か。その通りだと思う。しかし自分の理解がちょっと常識的文化史にもたれすぎているかも、と危惧するから、擦り合わせのためにその理解を疑問 …

騒音書簡2-13

2023年3月31日 Mon camarade 僕も音楽と言葉の通常の合体には耐えられない。まあ、他人がうたっている歌を聞くとき、僕はほぼ言葉の意味を無視する、というか耳にほとんど入ってこないから、別にそれほど嫌悪感はな …

騒音書簡1-12

2023年2月28日 市田君 「勝手に死ぬことは許されない」かよ。勝手に死ぬのは難しい。勝手気ままな性癖は一生をふいにしたかもしれないな。 ところで、君があとがきを書いた岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年』(航思社)を読み …

騒音書簡2-11

2023年1月31日 親愛なる友 歌……。すべての音楽、あるいは「音」が、「歌」に収斂するのかどうか僕にはわからない。最初に「歌」があったのか、「歌」とともに、「言葉」やメロディ、リズム、その他のものが、我々の「血肉」に …

騒音書簡1-11

2023年1月30日 創士へ、 勝手に死ぬことは許されない、と心得よ。一旦共演をはじめてしまったからには、それが音楽であろうと手紙の応酬であろうと。自然死であろうが勝手な離脱は「はじめる」という黙契に反する。どう終えてよ …

騒音書簡2-10

2022年12月29日 鈴木創士兄、 困るなあ。僕は貴兄たちのアルバム──LAST CHANCE IN KOENJI──を批評するのに適任ではないと思うぞ。特に批評を貴兄が求めているのではない、ということは僕も分かってい …

騒音書簡1-10

2022年12月31日 市田お兄さん 終わりはなかなか来ないようだ。サド侯爵の言い方を借りれば、共和主義者たらんとせば、終わりまであと一歩だ。今日は大晦日だし、世界の終わりが元旦の時報とともにやって来るならすっきりするだ …

騒音書簡2-09

2022年11月28日 Ma vieille branche, 1)2)どうもお互いの返答はうまく噛み合っていないようだが、というかこんな風の吹きまわしになるのが佐藤薫の仕組んだ往復書簡なのだろう。それに僕の設問の立て方 …

騒音書簡1-9

2022年11月29日 Sô-siくん、 「ラリーズのコンサートをやって西部講堂を燃やす」。あの放言は俺としてはものごとの「終わり」という問題に関わっていた。この「騒音書簡」の最初のほうで書き、ある意味ずっとそのフィード …

騒音書簡2-8

2022年10月29日 鈴木創士殿、 何に対しどう反論されているのか、ちょっとよく分からんが、とりあえずいくつか応えてみる。それらはたぶん、相互に連関しているはずだ。 1) 『鑑識レコード倶楽部』におけるアリスの位置は、 …