2022 Autumn Live Information

2022.10.18.tue

M.U.D.R.O.M. 1st Album “THE END OF THE LOOP” release Live

インダストライバル・ユニット「M.U.D.R.O.M.」レコ発イベント、満を持してついに開催!φonon創始者、佐藤薫のライヴから、当サイトの人気連載、市田良彦と鈴木創士の「騒音書簡」の初公開談義、今回は特別に佐藤薫も加わり、騒音鼎談?セッション?も繰り広げられる。

※不測の事態が起きても当レーベルは一切責任を負いかねます。

M.U.D.R.O.M.

“THE END OF THE LOOP” release Live

出演:M.U.D.R.O.M. (Live)
ゲスト:市田良彦(Talk)+鈴木創士(Talk)
佐藤薫(Live&Talk)

2022/10/18/tue
@Kyoto UrBANGUILD

Open 18:30 / Start 19:00
adv. 2,500yen + 1drink
door. 3,000yen + 1drink

予約:http://urbanguild.net/event/20221018_mudrom/
〒604-8017
京都府京都市中京区材木町181-2 ニュー京都ビル3F
TEL 075-212-1125


2022.11.19.sat

ラジオ・オペラートの夕べ
Una serata di radio operato

秋の夜長、φonnonのレギュラー陣が集結、古典を奏でる⁈

1924年、私はRAIでペトロリーニを聴いた。ムッソリーニの物真似が上手い喜劇役者。ラジオ国民国家の時代。この喧しい箱をひとつ開腹してやろうじゃないか。そいつで古典を奏でよう。発明家フェッセンデンの回想曰く、1906年に世界初で電波に乗せたレコードはヘンデルのセルセ。まだ吹き込みが無い筈のカルーソーのシェラック。迷妄だろうか。Radio comédie ensembleは電子楽器の無線放送をラジオで受信し、更に生ピアノで異形化する試み。Madam Anonimo+渡邊未帆は17~18世紀のイタリア歌謡を中心にしたアンプラグドの演目。マイナー古楽の為に! 終演後は懇談会。お喋りにワインでも如何?

ラジオ・オペラート

ラジオ・オペレート演者

ラジオ・オペラートの夕べ
Una serata di radio operato

2022/11/19 /sat
渋谷 Li-Po
18:30open 19:00start

出演:
Radio comédie ensemble
(Radio ensembles Aiida(ラジオ)+森田潤(Modular synth)+鈴木創士(P))

Madam Anonimo(Vo)+渡邊未帆(p)

予約: 4000円+1d
当日: 4500円+1d
予約受付: http://li-po.jp/

渋谷 Li-Po
〒150-0002 東京渋谷区渋谷3-22-11

ラジオ・オペラートの夕べ Una serata di radio operato

ラジオ・オペラート

秋の夜長、φonnonのレギュラー陣が集結、古典を奏でる⁈

1924年、私はRAIでペトロリーニを聴いた。ムッソリーニの物真似が上手い喜劇役者。ラジオ国民国家の時代。この喧しい箱をひとつ開腹してやろうじゃないか。そいつで古典を奏でよう。発明家フェッセンデンの回想曰く、1906年に世界初で電波に乗せたレコードはヘンデルのセルセ。まだ吹き込みが無い筈のカルーソーのシェラック。迷妄だろうか。Radio comédie ensembleは電子楽器の無線放送をラジオで受信し、更に生ピアノで異形化する試み。Madam Anonimo+渡邊未帆は17~18世紀のイタリア歌謡を中心にしたアンプラグドの演目。マイナー古楽の為に! 終演後は懇談会。お喋りにワインでも如何?
ラジオ・オペラート
ラジオ・オペレート演者

M.U.D.R.O.M. 1st Album “THE END OF THE LOOP” release Live

M.U.D.R.O.M.

インダストライバル・ユニット「M.U.D.R.O.M.」レコ発イベント、満を持してついに開催!φonon創始者、佐藤薫のライヴから、当サイトの人気連載、市田良彦と鈴木創士の「騒音書簡」の初公開談義、今回は特別に佐藤薫も加わり、騒音鼎談?セッション?も繰り広げられる。

※不測の事態が起きても当レーベルは一切責任を負いかねます。
M.U.D.R.O.M.
“THE END OF THE LOOP” release Live

東⚡️京⚡️感⚡️電⚡️帯⚡️通⚡️信 004

倉持さん、
第3書簡、何とスピンオフも付いてボリューム満点なので、さて何から書こうかと考えましたが、前回は自己紹介的な事、自身の背景については言及していなかったので、今回私個人の今日に至る変遷(とはいえ主にここ20数年分)を軸に書こうと思います。(脱線気味でなかなか鋸南町での農作業や害獣駆除の話にならなくてすいません

OFFSITEの活動を特集した英wire誌 2003年7月 233号 ライターのクライヴ ベル氏は1か月程度の東京滞在中、何度も店に足を運んで取材してくれました。

倉持さんが書いてくれていた様に、私は2000年から2005年迄の間、JR代々木駅近くのOFFSITEというギャラリーフリースペースの運営に携わってました。(定期借家契約で最初から5年間限定で運営する事は決めていました)私はそこで音楽/音と映像関連の企画を担当していましたが、環境的理由(准商業地域で両隣は一般住宅、店自体もほぼ防音設備無し)から普通に音が出せない状況なのにも関わらず、音~音楽イベントを毎週末やっていました。「超」が付く位の小さな音量で。

OFFSITEが当時の音や美術の最前線だったのかは正直今でもよくわかりません。(確実に面白い事が起きている「現場」ではありましたが)店の基本方針は当時のパートナーだった藤本ユカリと私が、それ迄(主に90年代) に美術の現場等に関わって来た中で感じていた、これだけはやりたくないという事例の消去法で方針を固めていったと記憶しています。つまりアレがしたい、コレがしたい、ではなく、どちらかといえばアレやコレは絶対やるまい、という姿勢が基本方針になったという事です[註1]。なので少なくとも当時の美術の流行とはOFFSITEは無縁だったと思うし、音に関する展示やライヴも、大きな音が出せないなら出せないなりに他の場所ではやっていない事、やれない事をしよう、という考え方から、PAも防音設備もない場所で、出来る限り小さい音のライヴを行う[註2]」という方針でスタートしました。

WIRE Magazine

当然、そんな方法論で音楽イベントをやっている場所は少なくとも当時はありませんでした。故にそれは最前線というより最地下活動的な認識でしたね、当時は。ただ、時期的に90年代半ばから2000年代初頭の世界的な潮流であった、即興演奏やエレクトロニクスミュージックの新たな解釈としての「音響派」と呼ばれるムーブメントや、それに伴う様にプレイヤーによる「聴取」に対する解釈の再定義が為されたりと、たまたまOFFSITEの音に対するスタンスと世の流れのタイミングが上手く合致したおかげで、国内外の様々なアーチストが弱音~微音の演奏や実験をOFFSITEで繰り広げてくれました。また、時を同じくして国内の美術の領域でも音を扱う作家や作品が少しずつ注目される様になって来た事、PCや安価な音楽用機材の普及により、音~音楽制作の幅が(良くも悪くも) 広がった事、そして大手のいわゆる「呼び屋」による召集ではない海外からのアーティストの自主的な来日が一気に増えた時期でもあった事等々、これまた様々なタイミングの巡り合わせでOFFSITEは一部では知られた場所になったのだと思っています。

現在も20年前と同じ外観で存在している元OFFSITEの建物と狭い路地。元々が開発地区の計画頓挫により使い道に困って貸し出された物件だったが、今もマンションに囲まれつつひっそりと建つ。

結果的にはエクストリームな表現ではありましたが、演者さん達はその「音響派」の世界的な流行みたいな感覚よりただただ環境的に音が出せない事をポジティブに捉えて各々が実験と実践を繰り広げてくれていたと思いますし、我々運営サイドも世界的な流行をそれなりに認識出来たのは2003年以降だった様に思います。そんなこんなで、様々なアーティスト達(音楽家も美術家も)がOFFSITE を訪れてくれましたし(演者としてではなく、オーディエンスとしてお店に来てくれた著名なアーチストも結構いました[註3])、ライヴでは音量に関係なくエキサイティングな瞬間を何度も体験させて頂きました。

同時期に都内に存在していた UPLINK FACTORYやSuper Deluxe(“super”が付く前の「Deluxe」時代も)とはある種の共闘関係にあったと言えるのではないかと思いますし、倉持さんが書いてくれていた様に当時、其々の現場で暗黙の役割分担がなんとなく出来ていた様に思います。個人的にもこの2つのvenue /場所には大変お世話になりましたし、Mike Kubeck氏の新たなる試みも非常に楽しみです。2005年の5月末に OFESITEは当初の方針通り活躍を停止し、その後 私は場所を持たず、自身のライヴ活動や展覧会、ライヴイベント企画等を行いつつ何だかんだで今日に至ります。

つらつらと書いてきましたが、ここ迄読んで頂いても私の変遷に何ら現在の活動→鋸南町/房総半島通いに繋がる話が見えて来ないと思います。しかし2000年代~2020年代という20年の間には、2001年9/11のアメリカ同時多発テロに始まり、2008年のいわゆる”リーマンショック”、2011年の東日本大震災と原発事故、そして2020年には全世界的なCOVID 19の蔓延、と日本国内だけの事変にとどまらない世界規模の大きな出来事~変動が短いスパンで起こりました。そしてこれらの出来事は結果的にそれ迄の我々の「日常的当たり前」や「とりあえず見ないで済んで来た事」等の「常識」や「既成概念」を大きく揺るがしました。それはこれまでの社会成立基盤や様々なコミュニティの成り立ち自体が根底から揺らぐ、または崩壊する事態を目の当たりにする事でもありました。個人的には特に東日本大震災と福島原発の事故 、そして2年前から今に至るコロナ禍、という3つの大きな出来事は、自身が表現活動を続けていく事自体や、現場(ライヴハウスやクラブ)との関わりについて根底から再考する必要を突きつけられましたし、今もその最中にいると思っています。

そういった経験や想いからここ数年~現時点でとりあえず至った私個人の行動原則は、興味が沸いた事象に対しては兎に角 四の五の言わず実際に動いて体験してみる。それと、身近で何らかの関わりのある人やコミニュティで何かしらの問題が発生し、その問題解決の為の助力が望まれていた場合、もし自分が関わる事で多少の良い作用が生まれそうであれば、時間や体力の許す限りは普通に手伝う~協力する。そこに金銭換算や損得勘定を出来る限り持ち込まない。使える既存のシステムはある程度利用するが、基本的には行政絡み、企業絡み、広告代理店絡みの案件とは一定の距離を取る。といったシンプル (単純) 且つ ある意味では時代錯誤とも言えるものでした。

こういった発想やアクションは私の思春期、70年代末~80年代初頭の所謂PUNK~NO(NEW) WAVEの時代にDIYムーヴメント ~多くのインディペンデントレーベルの設立という動きを通して盛んに行われて来た~言及されて来ました。既存の音楽産業のシステムに頼らない、その草の根運動的なやり方 (流通方法、デザインやパッケージング、等々含めて)は、私自身が作品制作や表現をしていく上での根幹部に多大な影響を与えました。(時代と共にそのムーヴメントも商業的、エンターテインメント的になっていく訳ですが)

鋸南町 横根地区では害獣捕獲用の罠が仕掛けられている場所には写真の様なピンクのリボンが目印として巻かれている。これを見かけると、どうか何も掛らないでくれという思いがよぎる。

2020年の3月に入ったと同時にCOVID19の広まりが決定的となり、予定されていたライヴの中止や延期が相次いだ状況の中で私個人、色々な考えや想いが頭を巡りましたが、自身のルーツであるDIY精神やインディペンデントレーベルを通じて観て来た、聴いて来たそれらのムーヴメントとは一体何だったのか、そしてそれが自身にどう影響を与え、今の自分の思考や行動に反映したのかという事について、結果的に再考する時間が生まれました。その事について細かく説明する事は文字数的にも何より本書簡の流れからも難しいのですが、上記した自身のここ最近の行動原則とこのルーツの話はそもそもが関係し合っている話である事だけは間違いありません。

そして2021年、倉持さんと私がearthdomで始めた「新大久保アンダーグラウンドマーケット」にて鹿の頭蓋骨に出会う事で、鋸南町/房総半島と私の行動原則が一気に繋がっていく事になります。そう、四の五の言わず、好奇心で千葉県安房郡鋸南町に飛び込んでみた訳ですが、これが予想を上回る体験や出来事の連続で… ようやく今の活動の話に繋がりました。

今回の書簡、殆ど自分語りに終始する結果になってしまいました。すいません…次回の私の書簡(第6書簡) では出来るだけ鋸南町での活動を軸にした展開にしていきたく思っております。長文にお付き合い頂きありがとうございました。第5書簡、楽しみにしております。

伊東


伊東篤宏

1965年生、美術家、OPTRONプレーヤー
蛍光灯音具OPTRON開発者 兼 奏者
ソロ ライヴパフォーマンス以外にもZVIZMO、entangle、等のユニットで活動中美術家としては近年は平面絵画作品をメインに発表している。


註1:

思い出せる限りでも、
•  展示もライヴもOFFSITEでやる意味がある事だけをやる>→貸しギャラリーやレンタルスペース的な事はしない
• 人の財布 (企業メセナや助成金、等々) を当てにしない
•  サウンドアート的な展示をするギャラリーが、当時ほぼ皆無だったので、OFFSITEでは音を扱う展示もする
•  PAシステムも無いし、音量を極端なまでに小さくしてプレイする事にトライしてもらえるアーチストのライヴを行う、つまりはライヴハウスやクラブでは出来ない演奏に挑戦してもらう→基本がギャラリーなので既存の、音楽を奏でるまたは聴く場所 とは異なる聴取や鑑賞があっても良い筈
• 5年間限定で、それ以上延長はしない
といった感じ。

註2:

OFFSITEは当時、多分世界で最も小さな音のライヴを繰り広げていたが、それは時代のトレンドを意識した訳ではなく、近隣への配慮という理由が1<番大きかった (何とも東京的!)。演奏による音で苦情が来た事は無いけれど、人が集まってやたらじっと静かにしている様 (つまりオーディエンスの方達が、耳をそば立ててライヴを聴く事に集中していた) に、隣の住人から「何やら新しい宗教団体か何かじゃないか?」という嫌疑をかけられて警察を呼ばれるという、その当時の社会的な背景(オウム真理教による地下鉄サリン事件からまだ5年しか経過していなかった) を感じさせるご対応を頂いた。そんな近隣トラブルが何回かあったが故に、当時「東京の音響派シーンはOFFSITEの隣の家の親父が作った」というコチラとしては苦笑するしかないギャグがあった。

註3:OFFSITEで展示やライヴ出演こそしなかったけれどもオーディエンスとして遊びに来てくれた印象的な著名人としては、クリスチャン・マークレー氏、デヴィッド・カニンガム氏、ロブ・マズレク氏、室伏鴻氏、等々
訳あってシークレットでライヴ出演して頂いたビッグネームにアルヴィン・ルシエ氏がいる。

騒音書簡1-06

2022年8月29日

良彦さま

前回の手紙の君の意見に賛成だ。この前のEP-4 unitP+佐藤薫+山本精一の大阪ライブだが、佐藤薫には、シンセは横に置いて、ど真ん中のスタンドマイクの前に立っていてもらいたかった。昔のように。だけど何も昔のようにやりたいわけじゃない。我々は盆栽バンドではない。観賞用ではないし、黙って自分を愛でておけばいい対象にもなれるはずがない。盆栽にはないバンドの幾何学がある。君の言う通りだ(まあ、スタンドマイクについては、今度直接本人にそっと言うつもりでいる)。EP-4 unitPに佐藤が加わったのはこれで三回目くらいだったと思うが、特に今回、僕は初期のEP-4のライブを思い出していた。佐久間コウというオリジナル・メンバーが一緒に演奏したからだけじゃない(ユンはその頃いなかった)。音の面だけじゃない。別のことがある。演奏中に擦り切れた風景が現れた。分厚い雲、ヒステリックな隙間、暗い電球、一瞬の退屈、飛んだヒューズ、ノイズのなかの怒号(これは空耳だ)、ぱらぱらとしたダンス……。まあ、いいだろう。

で、EP-4にとっての「アンディ・ウォーホル」、つまり君のことだが、ウォーホルはそもそもヴェルベット・アンダーグラウンドにとっても、自分の分身イーディ・セジウィックにとっても、徹底的な「マゾヒスト」だった。自分で自分を一生懸命いじめ抜いていた。「毛皮のヴィーナス」という曲をルー・リードが書いたとき、念頭にあったのはウォーホルのことだったと僕は思っているが、それ以上の事態がウォーホル本人のなかでずっと起きていたんだ。君に即して言えば、君のサディズムは内側に向かうしかないことになる。イーディについては、彼女は歌もうたえないし楽器もできないから、ファクトリーで踊る以外に何もできなかったが、ほとんどヴェルベット・アンダーグラウンドのメンバーみたいなものだった。たしかにウォーホールはプロデューサーだった。だがプロデューサーといっても、彼はミイラを取りに行ったミイラだった。前に『分身入門』という本に書いたが、要するに「ヴェルベット・アンダーグラウンド共同体」というものがあったんだ。それが日本にまで及んでいたとしても、不思議じゃない。演奏面についていえば、誰もが微妙に演奏に加わらない。知らん顔で別のことを始める。別の音を聞いているようにして演奏に加わり、加わっている風でそれを否定して知らん顔をする。この点は「共同体」にとって重要だ。ある意味で高度な技術だよ。unitPのメンバーにはそれができる。僕は彼らを見て惚れぼれするとともに、彼らには感謝の念しかない。君がヴェルベット・アンダーグラウンドと言うとき、たぶんあの「共同体から離脱する共同体」を同時に考えているのだろうが、僕はそのことを君の本『ランシエール』から学んだ。余談だが、先日、神戸でunitPを演ったんだが、打ち込みデータの入ったホソイヒサトのコンピュータが本番一時間前に完全にお釈迦になった。データが全部飛んだ。というわけで、安井麻人のデータは残っていたものの、イヌイジュンのドラムが数曲加わったこともあって、ほとんど生演奏に近かったが、以上の点が変わることはなかった。

君がヴェルベット・アンダーグラウンドを引き合いにするとき、裸のラリーズが亡霊のように後ろに控えているように思う。ラリーズという存在はずっと好きだったが、初期結成メンバーである写真家のNさんやラリーズ関係者で僕の古い友人だったK君は知り合いなので、言いにくいところがある。その代わりといっては何だが、水谷孝のエピソードをひとつ。

大昔、銀座のイエナ書店に年上の友人と一緒に向かっていたときのことだ。イエナは洋書専門だったが、ろくに外国語もできないし金もない俺たちは外国雑誌や写真集や画集を立ち見するためだった。俺たちはぶらぶら歩いていた。前からやって来たサングラスの男とすれ違った(彼はたぶんイエナを出たばかりだった)。
僕が言った、
「いまの澁澤龍彦でしょ?」
「違うよ、ラリーズの水谷君だよ」
真夏の吸血鬼……。
そういえば、澁澤龍彦はあのくそ暑かった夏の盛りに革ジャンと革パンをはいたりしないはずだ。

鈴木創士

鈴木創士

鈴木 創士(すずき そうし)

作家、フランス文学者、評論家、翻訳家、ミュージシャン──著書『アントナン・アルトーの帰還』(河出書房新社)、『中島らも烈伝』(河出書房新社)、『離人小説集』(幻戱書房)、『うつせみ』(作品社)、『文楽徘徊』(現代思潮新社)、『連合赤軍』(編・月曜社)、『芸術破綻論』(月曜社)他、翻訳監修など

【Monologue】アントナン・アルトー『アルトー・ル・モモ』(アルトー・コレクション2)、鈴木創士/岡本健 訳、月曜社刊が出ました。