歌……ゴダールは映像 image と音 son からなる映画 film を≪Notre musique≫(我らの音楽)と呼んだが、僕は音楽と言葉からなるものを「歌」と考えたい。というかそう思っている。音楽と詩を結婚させれば総合芸術としてのオペラが出来上がる、と見なしたワグナーに倣いたいわけではない。音楽に言葉を乗せたり、逆に言葉にメロディーを付けたり、という「歌」作りのノウハウは、いつかはともかく〈後〉からできたもので、あくまで〈はじめ〉に「歌」ありき。音楽よりも言葉よりも先に。
困るなあ。僕は貴兄たちのアルバム──LAST CHANCE IN KOENJI──を批評するのに適任ではないと思うぞ。特に批評を貴兄が求めているのではない、ということは僕も分かっているつもりだが、何を書いたところで「騒音書簡」には読者がいる。顔も人数も分からない公衆という存在がいて、彼らには僕が何を書こうが書くまいが、それは批評になってしまう。書く側としては、作品を批評するにはある種の無関係が作品との間に必要であるのに、僕はどうしてもこの「騒音書簡」という〈デュオ〉における貴兄を、鈴木創士vs森田潤のそれに投影して聞いてしまう。そんなこと気にしなくていいじゃん、と読者も貴兄も思うだろうが、こちらにそれは無理。この無理を読者には分かってもらえないと思う。というか、この〈分かってもらえないかも〉という関係が、僕が何かを批評するには対象との間で必要なんだ。おれとおまえは関係ない、だからおまえについて何ごとかを書ける、それを他人に読ませることができる──そういう次第。以下はそれを踏まえて読んでいただきたい、皆様。
OZ Daysを数年ぶりで聴いて思い出した。そういえば、これは俺が70年代末頃に、アレルギー反応を起こすぐらい嫌いになった類の音楽だった。「音」のせいではない。京大西部講堂のせいだ。水谷さんの京都時代の仲間に同志社出身の「小松ちゃん」という人がいた(故人)。同志社時代はたしか劇団を主宰していたのではなかったか。個人的な付き合いがあったわけではないのだが、彼は当時、西部講堂を代表する人格だったと言ってよく、その「小松ちゃん」が代表する西部講堂的なもの、ひいては京大と同志社の「全共闘」生き残り組の「カルチャー」ときっぱり縁を切りたい、と思ったわけ。そうなった事情はどこかで書いたことがあるし、「小松ちゃん」のせいでもなく、要するにローカルな「政治」絡みの話であるから、ここではどうでもいい。とにかく、とある事件のようなもののせいで、20代前半だった俺は、10代の頃から馴染んでいた京都ローカルのアングラ的なもの一切に嫌悪感を抱くようになった。「裸のラリーズ」はそれを「音」において、あるいは「音」により、代表していた。二回しか生で聴いたことがなかったのにな。でもOZ Daysのような音イメージとして、バンド周辺の逸話が醸すアウラとともに、はっきり記憶に刻まれている。
2005年のOFF SITEの閉店とほぼ同時期にFACTORYは同じ渋谷の中で移転をし、ベニューとしての機能が拡張されるに至りました。新しくなった場所で最初に企画したのは、当時OFF SITE とFACTORYに出入りしていて今でも何かと現場をご一緒する機会の多い大谷能生さんとの「大谷能生のフランス革命」というイベントでした。その後、あの場所でできることの選択肢は増えていった一方で、自分がやるべきだと認識していた仕事の数々がどうして段階的にできなくなっていったのか━━ということについてはよく考えます。大谷さんはたまにFACTORYで何かをしている夢を見るんだそうで「それは決まって昔のFACTORYなんだ」と言っていました。それは僕も同じなんですよね。失敗も含めて色々なことが起こった場所でした。
というのも、俺にはセロニアス・モンクが「破綻」しているとは思えんのよ。というか、前にも書いたが俺にとって「はじまり」をなすあの音を、「破綻」ではないものとして受容できるよう、俺は修行してきたのではないかと先日のライブを聞いてあらためて思ったのよ。一人であの音を出すことは難しくても、バンドならそれが可能で、それを希求する者たちの系譜が確実にあり、君たちもそこに連なろうとしているのではないか。いや、妄想的に言う。連なることを目指してほしい。« Sister Ray »のヴェルヴェッツ、 何作かのミンガス、« Les Stances à Sophie »のアート・アンサンブル・オブ・シカゴ、« Last Date »のドルフィー(一曲目はモンクのカバーだ)等々、いくつものバンドが先人として頭に浮かぶ。それは俺の密かな言い方では、バンド音楽を「盆栽」にしないことに賭けてきた者たちの系譜で、君がひょっとしてノイズ・バンドなどという有難いのかそうでないのかよく分からんカテゴライズを受け入れてやろうとしている音もそこに連なるのかも──電子音を使ってな──とあの夜思った。日本にはジャズでもロックでもうまいバンドはいくらでもいる。けれどもいくらそれに感心しても、感心しているその瞬間、俺は盆栽を愛でる気分になっている自分に気づいて嫌になる。森の野生を忘れてしまったのか、と。どんなバンドの音も必ず音楽史のそれなりの総括と縮図になる。そのようにしかバンドは聴くことができない。そこに「古典主義」もその「破綻」もない、と俺には思える。盆栽か森か──比喩である。
2011年の東日本大地震や2020年からのコロナ禍等、それまで漫然とやれて来た事、常識だと思わされていた事象が否応なく揺さぶられ、認識を改めざるを得ない大きな出来事を幾つか経験し、(当然の事ではありますが) オーガナイズのやり方、その根底にあるテーマ性、そしてライヴや作品のクリエイティヴ面も少しずつしかし確実に変わり続けてきました。(私自身もだいぶ歳とりましたしね)2020年以降に「東⚡️京⚡️感⚡️電⚡️帯」企画名義(註3)で複数回行なったbonoboでのイベントも「新大久保アンダーグラウンドマーケット」も「게 N गो」(註1)も今迄我々が続けて来たライヴイベント企画の現時点での最新アップデート版と言えます。スマートなアップデートだった事は一度もありませんけど。
そして2020年以降、ライヴハウスやクラブにかつての様にお客さんを集めるのはかなり大変ですが、以前の様な状況にはもう戻らないだろうし、そもそも以前と同じに戻る必要もないだろうという話は我々の間でよくしますよね。過去をなぞるのではなく、むしろ何か少しでも今迄にやってこなかったアイデアや動きを積極的に導入した方が良いですから。これはライヴの集客云々の話だけではなく、2020年以降のあらゆる商業的な行為に当てはまるのではないかと思っています。