地下水脈から溶け出したEP-4とTACO。これは幻影なのか?
ANNIVERSARY PARTY
新連載『東⚡️京⚡️感⚡️電⚡️帯⚡️通⚡️信』スタート!
東京を拠点に、アンダーグラウンド+エクスペリメンタルな表現、独立系文化の現場で協働を繰り返しているアート倉持と伊東篤宏による『東⚡️京⚡️感⚡️電⚡️帯』が、時空を超えて行き来するフィジカルな公開ブレインストーミング、新しい「なにか」を始める試み!
東️⚡️京⚡️感⚡️電⚡️帯⚡️通⚡️信 001
アート倉持
1975年大阪生まれ。1999年より東京を拠点にライブイベントや作品展示などの企画を行っている。 漫画誌アックス(青林工藝舎)にてエッセイ『ル・デルニエ・クリの人びと』を連載中。zine『異聞新報』を不定期刊行中。 バンド『黒パイプ』でボーカルを担当。セッションユニット『OFFSEASON』や『everest c.c.』ではギターを弾く。稀にDJも行う。>>>新着イベント情報!
게 N गो 日時:2022年5月28日(土) open 17:00 / start 17:30 料金:前売2,500円 / 当日3,000円 (共に+1Dオーダー) 会場:新大久保EARTHDOM 出演: 佐藤薫+鈴木創士 QUEER NATIONS テンテンコ Entangle (イワモーター+伊東篤宏) everest c.c. (Stardust+野本直輝) Bay City Rolaz (Kyosuke Terada+Kentaro Nagata) Skin Job (FECROMASS+SYN)騒音書簡1-03
鈴木創士兄、
貴兄からの1通目の手紙を読み、僕はそれへの返信を、「問い」を投げるかたちで書いた。1通目にあった「ように」ってなによ。「ように」ってどういうことよ。それを問うことが返信としての僕の2通目の手紙だった。たった今、貴兄はもうその問いに対する返答を書いているはずだ。今日は貴兄のライブ本番の日だから、書き終えた手紙を一足先にもうサイト管理者に送っているかもしれない(今日は5月28日で原稿の締切は月末)。とにかく僕はまだその返答を読んでいない。ところが僕のすでに読んでいる/読んだ上でこの3通目を書かなくてはいけない貴兄からの手紙には、またしても、僕の目には肝心と見える箇所に「ように」とある。「アルトーのようにはとてもじゃないがやれない」。普段なら分かった気になってそのまま先に読み進めたろうこの一文に、僕の目は釘付けになる。前の手紙で「ように」ってなによ、と質問していたから。この「アルトーのように」ってどういうことよ、と僕はあらためて問わざるをえない。貴兄からの3通目、そこに答えが書いてあるはずの手紙を読まずに、僕は僕の3通目を書かなくてはいけない。貴兄の2通目は貴兄自身の1通目に僕のなかで送り返され、僕は自分の2通目に対する自分の反応込みで貴兄への3通目を書かなくてはいけない。僕にとって「ように」はまたなのだ。
フィードバックとはこういうことか。裸のラリーズを思い出さずにはいられない。前に進むことと後ろに帰ることを執拗に交差させる水谷孝のギターを。やりすぎの残響と異なる拍子の共存で、前に進みながら後ろに帰ることをこちらに強制する彼のいくつか(?)の曲を。それらは、この音はずっと昔から響いていたと思わせるほど、こちらを前に連れ戻す。いつはじまったか、いつ終わるか、という問いを無効にする。最近のEP-4の演奏(unit-Pではない)もその点では同じだ。
「アルトーのようにはとてもじゃないがやれない」と書いたすぐ後に、貴兄は続けた。「つまり、我々の騒音書簡は(…)『最初の一文』にとどまり続けるかもしれない」。この「つまり」に対し、僕は今、騒音書簡の仕掛けにより違和感を持たされている。つまり、我々の「はじまり」がフィードバック効果によりもう消されてしまった、いや「最初の一文」なんか実はない、と感じている。「アルトーのように」がどういうことかはさておき、貴兄の書く「つまり」から判断される「アルトーのように」我々は現にやっているではないか、むしろ「アルトーのよう」であるよう強いられているではないか、と。僕の「つまり」と貴兄の「つまり」はこの瞬間、反対を向いている。我々の間に一つのピンポン玉がない(二つある?)ゆえの事態だろう。
「きみは哲学者だから」と貴兄は言ってくれたが、その規定を受け入れるには僕は「哲学」に対し皮肉すぎる感情を抱いている。そんなもの、もう終わっているではないか。哲学はもう実在していない。ひょっとすると実在したことがなかったかもしれない、とさえ思っている。これはもちろん、他人の受け売りなのだが、僕はその他人──ミシェル・フーコーという──の診断に深く同意する。同意して、彼のように「言われたこと」を「記述する」ことだけをしていたいと思っている。「言われたこと」は「出された音」であってもいい。つまり、と貴兄にならって言えば、「言われた」内容、なにが「言われた」かにはあまり興味がなく(それは言った本人に聞け)、「言われたこと」/「出された音」を「物」扱いして、「物」としての効果を再現してみたい、と。2通目の手紙ではその効果が、「ように」ってなに?と問うことであり、この3通目では、手紙という二つの「物」の「間」──これも「物」の一つだろう──を「記述」してみたいと思った。
市田良彦
思想史家(社会思想史)、作家、翻訳家、神戸大学教授──著書『闘争の思考』、『アルチュセール ある連結の哲学』、『革命論 マルチチュードの政治哲学序説』(以上、平凡社)、『ルイ・アルチュセール 行方不明者の哲学』(岩波書店)、『ランシエール 新〈音楽の哲学〉』(新版・白水社) 他、共著翻訳など
【Monologue】重信房子の釈放会見を見る。あなたまで謝罪するのか。せんといかんのか。してどうなるというのか。せめてカメラの外でお願いしたかった。
騒音書簡 1-02
親愛なる市田君
鈴木創士
作家、フランス文学者、評論家、翻訳家、ミュージシャン──著書『アントナン・アルトーの帰還』(河出書房新社)、『中島らも烈伝』(河出書房新社)、『離人小説集』(幻戱書房)、『うつせみ』(作品社)、『文楽徘徊』(現代思潮新社)、『連合赤軍』(編・月曜社)、『芸術破綻論』(月曜社) 他、翻訳監修など
【Monologue】二つの近隣の工事騒音。あと一年は続く